東京に憧れて

始まりの日にも少し書きましたが、東京との出会い、東京への憧れ。田舎者のフワフワした感じを読んでくださいませ。

1.母親の思い出話から始まった

母親が豊島区の歯科医院で働いていた話を10歳ほどの時に初めて聞いた。
駅前に自社ビル(自社というのか?)を持つ病院で、そこに住み込みで働いていた。
池袋サンシャインシティが近く、院長の子どもたちとしょっちゅう一緒に遊びに行ったという。
また、病院が休みの日は有名ホテル内にあった陶磁器専門店でバイトをし、ハンバーガーを食べて帰っていたと。

住んでいた場所から徒歩で駅に着く。
電車に乗り遅れてもすぐ次が来る。
終電を過ぎてもタクシーがすぐつかまるから困らない。路線バスだってまだ走っている。
テレビで観る有名人はしょっちゅう見かける。
デパートはたくさんあり、ハシゴできる。
お洒落な飲食店がそこらじゅうにある。

その時の私が生きている環境と真逆だった。

最寄りの駅まで車で30分
電車に乗り遅れたら次は15〜20分来ない。
終電が行ってしまったら、誰かに車で迎えに来てもらうしかない。タクシーは電話しないと来ない。路線バスは昼間でも1時間に一本。
テレビで観る人って本当に存在するんだね。
デパートはバスと電車で1時間半かけて西武のみ。
飲食店か…駄菓子屋は飲食店?

2.東京に住みたいという決意

「東京はお金さえあれば、本当に楽しい場所だ」
東京の思い出話の最後は、いつもこの台詞で母は締めくくった。
8歳のとき冠婚葬祭で日帰りの東京滞在をしたが、建物がとにかく高いイメージしかなかった。
そこにたびたび刷り込まれる大都会。
こんなクソ田舎を出て、自分も東京に住みたい。そのために勉強しようと決めた。

壊滅的な数学に苦しめられた高校受験勉強も、

大学受験勉強の大事な高校3年生の夏から年末にかけて、母親乳がん発覚から放射線治療終了までだだ被りし、メンタルぐちゃぐちゃな時も、

東京に行くというザックリした目標が私を支えていた。

田舎のひとりっ子は
地元の学校を出て、
地元の会社に就職し、
地元の人と結婚して、
親の近くに住む。

両親もそれを望んでいたかもしれない。
いや、絶対望んでたな。

でも刷り込んだのはそっちじゃん?
と、母親に言うとちょい寂しそうに笑うのを見るのはほんのすこーーーしだけ心が痛む。
痛くも無いか、気になるくらい。

でも今たまに両親がこちらに遊びに来ると母親は特に楽しそうで、こちらとしては(なんだ、やっぱ都会の方が良いんじゃん)と思います。

3.ただね、

進学したの、神奈川の大学だったんですねー…

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