私たちは「当たり前」という思い込みの世界で生きている ①

私が日頃気に掛けている2つの「当たり前」についてお話したいと思います。

★ 無自覚であることに注意したい「当たり前」
☆ 在ることに感謝したい「当たり前」

どちらも自分から意識を向けないと気付きづらいものです。
「当たり前」だから。


まずは、一つ目。
★ 無自覚であることに注意したい「当たり前」


〇〇して当たり前。
普通は〇〇するもの。
〇〇する/しないのが常識。
〇〇すべき。

こういう言葉で表される価値観や観念。

親や家族の言動、育って来た環境、学校や職場など社会生活での経験、書物やメディアなど。
自分以外のあらゆる外界から、知らないうちに無意識に植え付けられている考え方。
また、自分の経験から勝手に作り出したルールだったりもします。

・朝起きたら顔を洗う、歯を磨く
・電車でお年寄りに席を譲る
・約束に遅刻しない
・上司の指示に従う
・結婚する、子供を産み育てる
・家事は夫婦、家族で分担する
・毎日掃除/洗濯をする
・駐車場で他の車に傷を付けない
・深夜に大騒ぎしない
・ゴミは決められた日に、決められた方法で出す

日常生活の些細な習慣から、仕事や人付き合いの時や礼儀作法、コミュニティでのルールなど。

全ての人が例外なく、自分の中に無数の「当たり前」を持っています。

無意識だから、世界に自分しか居なかったらおそらく気づきません。
もし、全く同じ感覚の人しか存在していなければ、やはり気づかない。
違う感覚を持った人の言動に触れた時に、違和感やモヤモヤとして気づかれる。

例えば、遅刻をしないのが当たり前と思っている場合。
互いに遅刻しない同士だったら、自分が持っている「当たり前」に気づかない。
でも、遅刻をする人に出会ったらモヤモヤする。
そうすると、自分は「遅刻をしないのが当たり前」という価値観を持っている、と気づくことが出来る。

ここで注意したいのが、
 良い悪いに関係なく、自分の感覚こそが疑いなくただ1つの真実だ
と思ってしまうこと。
自分にとっては「当たり前」だから。

その結果、自分と違う感覚の相手を攻撃してしまうことがある。
 信じられない!
 ありえない!
 間違ってる!
 非常識!

この違和感への対応をさらに複雑にするのが、
・相手との関係性の距離感や深さ
・信じている度合い(こだわり)の強弱

例えば、遅刻をしないのが当たり前と思っていて、
 遅刻をしたのが家族や友人だったら、まぁしょうがないと許せる
 遅刻をしたのが仕事の取引相手だったら、時間に遅れるなんて非常識と感じる

あるいは、家事は家族で分担すべきと思っていて、
 家族が家事を手伝ってくれないと怒りが込み上げる
 ワンオペという言葉に過剰に反応する

こんな風に物事の捉え方は人によって千差万別です。


人のストレスの多くは、自分の「当たり前」と違う価値観の人と関わるときの違和感なんだろうと思います。

「当たり前」が違う人に対してどう対応するか。
それが日常のストレスへの対処法にもなります。

誰かの言動に違和感やモヤモヤを感じたとき
 ✳︎ 自分の「当たり前」を相手に押し付けない
 ✳︎ 異なる「当たり前」を互いに確認して、妥協点を探してみる
 ✳︎ 自分の「当たり前」を疑ってみる、緩めてみる
 ✳︎ その人や環境から距離を置く


方法① 自分の価値観を相手に押し付けない

自分と違う価値観だからと、相手に対して批判や否定をしても実は意味がなくて。

ましてや、自分の正しさを相手に訴えて説得して意見を変えさせようとしても、おそらく無駄に終わります。
なぜなら、逆に自分が説得されて簡単に意見を変えるかというと、たぶん変わらないのだから同じこと。

自分が自分の「当たり前」の中で生きているように、相手も相手の「当たり前」の中で生きている。
自分が自分の考えが正しいと信じているように、相手も自分の考えが正しいと信じている。

どちらか一方が真実なわけではなく、真実は人の数だけ存在している。

自分の「当たり前」に合わせるよう相手に強要するのは傲慢というもの。

まずそれに気づくことが大事だと思います。


方法② 異なる価値観を互いに確認して妥協点を模索する

相手は自分と違うと認識した上で、
自分の「当たり前」と、相手の「当たり前」を互いに確認する。

これをしていないために拗れている場合がとても多いと感じます。

「言わなくても分かるでしょ!」のほとんどは伝わっていないので、
怒りになる前、気づいた時点でちゃんと言葉にして伝えましょう。
積りに積もってから言っても、お互いに良いことなしです。

違いを確認しただけでも良いけれど、そのままでは平行線になってしまうので、できれば互いの「当たり前」をすり合わせて、妥協点を見つけてみると尚良いです。


方法③ 自分の「当たり前」を疑ってみる

「当たり前」のほとんどは、外界から気付かないうちに植え付けられている価値観。

世間一般の常識とか、他人の目を気にして、何となく同調しているけど、
よくよく自分の本心を感じてみると、
自分でも薄々おかしいと思っていたりするような「当たり前」もある。

その「当たり前」本当に必要かな?、って自問してみて欲しい。

大して重要じゃないな、と思ったら書き換えたらいい。
自分のことだから、いつでも変えることが出来る。

自分ルールでガチガチになってしまってる時。
“ねばならない”に縛られて、それを邪魔する人や、達成できない環境にまで苛立ってしまう時。

例えば、毎日完璧に家事をこなさないといけないと思っている場合。
協力してくれない夫に苛立ち、
片付けたそばから散らかす子供に怒鳴り、
さらに、そうしてしまう自分を嫌悪する。

それって本当に必要?って自分に聞いてみて。

育児中に家をモデルルームみたいに綺麗に整えておく必要なんてないし、
多少散らかっていようと、掃除洗濯をサボろうと、生活に困らなければそれでいい。

元々綺麗好きで片付けや掃除が苦じゃない人は、
周りがどんな行動を取ってもそれほど気にしないはず。
自分がしたくてやっているから。

周りの行動に苛立つ時は、本当は自分がやりたくないことをやらなきゃいけないと思って、無理してやってる場合が多い。

自分の価値観と違う人に遭遇した場合も、
もし自分の本心と一致した揺るぎない価値観だったら、
違う価値観の人が居ても、それほど気にならない。
あなたはそうなんだ、私はこう。
それで済む話。

そこで相手に干渉していきたくなる時は、
・自分の本心は実は別のことを望んでいる時
・深い部分で自分のことが認められず、自分と違うものを批判したい時
・相手を自分の思い通りにしたい時

だから、本当にそうかな?って自分に聞いてみる癖をつけるのはとても大切。


方法④ 自分が壊れてしまうほど辛い場合は距離を置く

そういう人もいるんだねって受け流せず、妥協点もみつけられず、
どうしても許容できないなら、距離を置くことも一案。

どうやっても相容れない人っています。
たとえ家族であっても。

そういう時は、自分を殺してその場に留まるのではなく、そっとさよならしましょう。

自分一人で考えていると、離れるなんて不可能、と思ってしまいがち。
でも、方法はいくらでもあります。
色んなタイプの人に、自分がしっくりくる方法が見つかるまで何度でも相談して欲しい。

自分の「当たり前」の外に、きっと答えがあるから。


誰かの言動に違和感やモヤモヤを感じたとき
 ✳︎ 自分の「当たり前」を相手に押し付けない
 ✳︎ 異なる「当たり前」を互いに確認して、妥協点を探してみる
 ✳︎ 自分の「当たり前」を疑ってみる、緩めてみる
 ✳︎ その人や環境から距離を置く


自分にとって心地良い価値観は尊重した上で、それに固執することなく、臨機応変に変化しながら、他者とのバランスを取っていく。

言うほど簡単ではないけれど、反発していても苦しいだけなので、
意識して少し視点を変えてみるのがおすすめです。

他人を変えることは出来ません。
自分が他人の意見を簡単に聞き入れないのと同じくらい、相手も変わりません。

自分の中にあるものを自分が納得する形に変えることはできます。

もし、自分が折れてやるのが癪だ、と感じる場合は、
私の思い通りに動け!と強要している自分の傲慢さにも気付きましょう。

こだわりが強いと、自分を苦しめます。
私自身、これで身体を壊したことがあります。

無自覚に自分や相手を苦しめる「当たり前」に注意したいと、常々思っています。

こうでなきゃいけない!
よりも、
どっちでも大丈夫!
くらいの緩さと強さが欲しい。

みんな違って、みんな良い。

何においても一番強いのは、変化に対して臨機応変に、柔軟に対応する能力。

ストレスの軽減にもなるし、自分の視野を広げることにもなる。

私はそんな風に感じています。


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