お尻の穴をお腹に忘れてきた二女のこと
約8年ぶりとなる二女の出産に際してのあれこれをレポートしています。
今回はその続き。5000人におおよそ一人の割合であるという、鎖肛という状態で産まれてきた二女(ここでは、とっちゃんと呼ぶ)。
前回の記事を読んで、「ドキュメンタリーのようです。」と、ご感想をくださった方がいた。なるほど、ドキュメンタリー。確かに、生後間もないわが子が、お尻が鎖国しているという、一風変わった状態で産まれ、余裕もさほどない中で、詳細な記録を私は取った。「記録は取らねば」とも思った。
やはり、私にとって、書くことは必然なんだな、と感じる。感情も生もので、どれだけ鮮明に感じた気持ちも、時間が経つにつれ忘れてしまう。今回の出来事はショッキングだったが、とても大切な出来事でもあった。だからこそ、その時の私が、何を感じ、そして何を思ったかも、しっかり留めておきたいと思ったのだった。振り返った時に、未来の私が、過去の私に教えてもらうこともある。そう考えると、頑張っていた私、という存在は、他の何にも勝る応援団なのかもしれない。
お尻の穴を忘れて産まれてきた、とっちゃんのことpart2
◆生後2日目
後陣痛が続く中、この日も不安とともに過ごす。前回記事内で、今回の妊娠継続自体が奇跡的だったことがわかったと書いた。まずはそのことについて。
通常、赤ちゃんは胎盤と通じる臍の緒から栄養をとって大きくなる。ここが命綱、というわけだ。臍の緒は胎盤と結び付いているが、私たちを結んでいた臍の緒の位置が、胎盤の端、ギリギリのところだったそうで…(むしろ羊膜に少し、かかっていたくらい)
よくもまぁ、この、ギリギリの位置から、栄養をとっていたなと!いうこと。これがもしあと数ミリでも胎盤から外れてたら…??十分な栄養が取れず、そもそも娘は大きくなれていたのかどうかわからない。
かつ、今回の破水スタートの出産。これがもし、臍の緒の位置が破れての破水であれば…??娘はもっと苦しくなっていただろうとお医者さんに言われた。破水したのに、そこからずーっと心拍もドコドコ、元気でいてくれたのは、娘のお尻側の羊膜が破れて(つまり娘がそれほどはしんどくならない位置が破れていた)からこそ。
妊娠までのいろいろにしろ、臍の緒のミラクルな位置にしろ、破水の位置にしろ…何なんでしょうね。計算されたもの?たまたま?
赤ちゃんの未知なる力
ふと私が感じたのは、赤ちゃんって多分、ちゃんと自分の余力見て、全体も把握し、良き時、良き場所を選んで生まれ出てくるチカラがあるんではないか、ということ。私などが、とても及ばぬほど、いろんなことをたぶん、「わかって」いるのだろうなぁ。
***
さて、2日目の話に戻る。この日は娘の鎖肛の具合がどの程度か?を精密に検査した。病院へと、夫が車を走らせてくれる。午後1時頃、着信。結論から言うと…
✳︎娘は中位から低位の鎖肛だと判明
✳︎身体の筋肉がある程度ついてから正式な場所での肛門形成の手術をした方がいいので、ひとまず人口肛門は作る
✳︎手術は15時から
出口がないことには、お乳が飲めない。生後2日目にして、娘は大きな手術を経験することに。あんな小さな身体で。全身麻酔なんて、大人でも辛いのに。想像すると、痛々しくて辛かった。
ただ…親失格と言われるかもしれないのだが、不思議と「ごめんね」とは思わなかった。私のせいで…とも。代わってやれるなら、とは思ったけれど、「こんなことになってごめんね」という感情はおきない。なんでだろう。
だって、そんなことを思ったら、彼女に失礼や!と思ったから。「こんな」身体だなんて。謝られるような、哀れまれるような身体だなんて。必死に頑張ってるのに。お尻の穴がないだけやん!手術したら、できるんやん!苦労はさせるかもやけど、私も頑張る!
産後、入院していた私の個室には、入れ替わり立ち替わり、先生や助産師さんが来てくれた。でも、おかしいかな、みんな心配してくれるけど…
そんなに大変かなぁ?
苦労かなぁ?かわいそうって思われるほどのことなんかな?って思う自分もいた。強がってるだけかもしれないが。
だってねぇ、みんな何かしらあるでしょ。私も生後しばらく視力が出なかったし(今も右目は見にくい)、夫は胃腸が弱いしww、性格に難ありの人だっているやんか!!
娘の小さな身体に宿った生命力を信じて、私も頑張るのだ、今も、自分にそう言い聞かせている。
術後の経過
とはいえ、15時から手術で、2時間ほどで終わると聞いたものの、2時間過ぎ2時間半過ぎ…3時間が過ぎても連絡がないとき、息ができないほどだった。
そんな中、ようやく夫から
「無事に手術終わりました。経過も良好とのこと」
とメッセージがきて、脱力。それはそれは長い長い1日だった。(つづく)
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