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怪談備忘録 第十八夜 『道との遭遇』

これは私が子供の頃に体験した話。

当時の私は奈良にできた新興住宅地で暮らしていた。

まだまだ空き地が多く、住人は大阪から家を持つために越してきた家族がほとんどだった。

そこでは子供会なるコミュニティ活動があり、クリスマス会やお誕生日会、夏には空き地を使ったキャンプ、肝試しなどが行われていた。

私が小学五年生になった空き地でのキャンプの事である。

小学三年生までは21時に解散となり自宅に帰らされるが、四年生以上は次の日の朝まで空き地に張られたテントで過ごす事が許されていた。

皆数分で家に帰る事ができる場所ではあったが、友人達と外で朝まで過ごせる事には特別な楽しさがあった。

その日は既に19時に低学年も含めた肝試しが行われたのだが、私を含めた小学五年生の仲良し四人組にはある計画があった。

それは深夜2時に私達四人だけで肝試しをする事だった。

子供会では、泊まるのはいいが空き地と家の往復以外はしないとの決まりがあったが、実際には家との往復が許されているので、空き地を離れる事は容易だったのである。

肝試しのルールは簡単なものだ。私達の住宅は高台にある埋め立て地で、学校への通学路にはまず山を切り崩して作ったかのような鋪装されていない山道のようなものを下っていく。

途中にフナ釣りが出来る溜め池があるが、そこにある電灯が消えてしまうと辺りは真っ暗な闇となり、夜の歩行には懐中電灯が必須だった。

麓近くには三角屋根の古い祠のようなものがあり、その先をしばらく行くと鋪装された道路に出る。

その道路にある電信柱をゴールとして各々5分ごとにスタートするという内容だった。
ゴールには先に行った中学生の私の兄が待っていてくれた。

順番をジャンケンで決めるかとなった際、私は一番手を名乗り出た。

怖がりじゃない自分を演出する意図もあったが、それよりもコース途中の茂みに隠れて後から来る友人を驚かせたかったのだ。

私が一番に行くことに反対する者はなく、他の友人達がジャンケンで順番を決めた後、肝試しが始まった。

私は家から持って来た防災用の赤い大きな懐中電灯をつけると、昼間は通い慣れた山道を下り始めた。

空は万点の星空で明るかったが、山道に入ると一気に暗くなるのを感じた。
大きい割に懐中電灯が照らす範囲は狭く足元を確認しつつ進まなければならないほど心許ない。

周りでは鈴虫やコオロギ、知らない虫の鳴き声が響き渡っていて、耳が痛いほどだった。友人を驚かせるという事で頭が一杯の私には、怖いという気持ちはほとんどなかった。

数分下った前方に祠の影が確認できる辺りで私は立ち止まると、道の周りの背の高い草むらを探してしゃがみ込み身を潜めた。

後は数分後にやって来る友人を驚かせるだけだ、驚く友人を想像するだけでニヤニヤしてしまう。驚かせた後は友人二人で後から来るやつも驚かせようと思っていた、最後に来るやつが一番怖い。

数分寄って来る蚊を払い除けながら待っていたが、二番手はなかなかやって来ない。
足が痺れて来るので時折立ち上がって屈伸などしつつ待っているが、怖くて早く進めないのか懐中電灯の灯りも確認できなかった。

ふと前方の道が明るくなっているように感じた。

目が慣れてきたのかとも思ったが、全体的に視界が広がったというよりは、私を中心に左右10メートルほどだろうか、前方の道が何かに照らされているかのように明るくなっていく。

私は数年前に見た映画「未知との遭遇」を思い出した。トラックがUFOの閃光に照らし出される印象的なシーンだ。

すぐさま上を見上げたが、そこには光源となるものは何もなく星空が確認できるだけだった。
どうも目の前の道自体が発光しているように思える。

恐怖よりも何か凄い現象に遭遇しているという興奮の方が勝っていた。呆気に取られつつも凝視していると、明るくなった道が二重写しのようにブレ始めた。

そこには無いはずの木や草が実際の道に重なって少し褪せたセピアのような色味で浮かび上がっている。似た道ではあるが微妙に違うもう一つの道が重なっているような感じで、重なった道は昼間のように明るい。

重なった道を人が走って来るのが見えた。

しゃがんでそれを見ていた私は更に身を屈めた、流石にその時は恐怖を感じたのだ。

江戸時代の人?私はそう思った。

当時の私は歴史に全く興味はなかったが絵が好きで、永谷園のお茶漬けのオマケとして入っていた名刺サイズの北斎の絵のカードを集めていた。

走って来る人物は頭に笠を被っており、着ているものも北斎が描く服装にとてもよく似ていたのだ。

走って来る人物はとても奇妙だった、足の動きと移動の速さがチグハグで異様なスピードで私の前を通過していき、前方にある祠の中に吸い込まれるようにして消えていった。

それを目で追って初めて気付いたが、祠も光を放っていたようだ。

人物が祠に消えると同時に、目の前にあった別の風景も一瞬にして消え去った。
完全な闇と同時に一気に虫の音が耳を覆った。
どうやらあの風景を見ていた間、虫の音も止んでいたようだ。

私は友人を驚かす事も忘れて一刻も早くこの出来事を伝えようと、懐中電灯をつけて坂を上った。

ところがスタート地点に戻っても誰もいない。キャンプ地にも戻ってみたが、友人三人を見つける事は出来なかった。

一体皆んなどこへ行ったんだとスタート地点に戻り、兄がいるゴールに行くかとまたあの山道を下り始めると、下の方からいくつかの懐中電灯の灯が坂を上って来るのが見えた。

兄と友人三人だった。

兄には「お前、どこ行ってたんや!!」と酷く叱られた。二番手の友人に先に私が着いているはずと聴いた兄は、この辺りを私の友人達と探し回っていたのである。

私には15分程度の間に起こった出来事に感じられたが、実際には肝試しを始めてから50分近くの時間が経過していた。

茂みに隠れている間、友人や兄が通過する事はなかったし、兄達が私を見つけられない事もなかっただろう。

私は今さっき起こった出来事を必死で説明したが、兄も友人も半信半疑のまま肝試しは終了した……

……そんなお話。

■メモ■
映画「未知との遭遇」はCGが当たり前になった今では、特に驚く事はないだろう。
しかしCGがない時代、特撮であそこまでUFOとの遭遇を再現したものを見た事がなかった人達にとっては、正にUFOを実際に目撃したぐらいの感動と興奮があった。

この体験をした時の私に一番近い感覚である。

私が見たものはあの土地が持つ記憶のようなものだったのだろうか、私の体験には時空の歪み的な体験が多い気がする。
祠については当時何の謂れも聴いた記憶がない。

稲川淳二さんの体験談で、お経を唱えるお坊さんに遭遇する話があったと思うが、足の動きと移動の速さが合っていないというような表現をしていて、自分が見たものもそれと同じ感じだ!と思った事がある。


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