見出し画像

怪談備忘録 第十夜 『鼻歌』

私が昔住んでいたアパートでの話。

そのアパートは三部屋ずつの二階建てで、駅から少し離れた閑静な住宅街にある築年数の古いものだった。

私の部屋は南側の一階角部屋で西側に玄関、東側には小さな庭に出る掃き出し窓があり、南側の腰高窓を開けると一メートル程先に高さ二メートル程のブロック塀があり、その向こうは大型車が通るにはギリギリの狭い通りになっている。

私はその腰高窓の前にソファーを置き、タバコを吸う際はその窓を全開にするのが常だった。

人通りは少ないが、タバコを吸いながら通りを歩く人達の足音や話し声を聞くうちに妙な事に気が付いた。

夜型の私は仕事のある平日でも午前四時過ぎまで平気で起きている事が多く、それに気付いたのも午前三時過ぎの事だった。

この時間帯になると時々通りを歩いていく恐らく中年男性の鼻歌が聞こえる、最初の内は陽気なおっさんだな、お疲れさんぐらいで気にも止めていなかったが、ちょくちょくその鼻歌を聞く度に「フン、フフ~ンフフフン♪」という男性の鼻歌がずっと歌いながら歩いて来ている訳ではなく、私の部屋の前を通る辺りから部屋を過ぎた辺り迄の短い間だけだという事が分かった。

そういえば、この通りではこの男性だけでなく、やけに鼻歌を歌いながら歩いて行く人が多い。

その後、鼻歌が聞こえると注意して聞き耳を立てるようになったが、そのどれもが私の部屋の前の通りの一定の区間だけで歌われている事が分かった。

自転車に乗る男性が結構なスピードで前を通り過ぎた時も、私の部屋を過ぎる一瞬だけ「イエァ!」と大きな声を張り上げたり、「キーキーピャー!ヒーヒー!」という奇怪な鳴き声にペットの猿か何かかと思ったら、ベビーカーに乗せられた幼児の声で、それも私の部屋を過ぎるとピタリと止んだ。

女性が叫び声を上げて走り去る事も二回あったが、これは近所に痴漢が出るという噂があったのでそのせいかも知れない。護身用に傘を持って表に出たが女性の姿も痴漢の姿も見る事は無かった。

一度、恐らく電話で話している女性の声で「怖い、ここヤバイ、ヤバイよここ」と足早に去る声も聞いた、電灯は結構あり暗い通りではない。

そんな感じで私の部屋の前を通る人達の鼻歌や奇声を上げる率が異様に高い事に興味が湧いたが、通る人達に何故鼻歌を歌うのか尋ねる訳にもいかず、やがて興味も薄れ、また歌ってるなぐらいにしか思わなくなった。

今思うと、あの通りには何か通る者に鼻歌を歌わせたり、声を上げさせる妖怪の様な者が住み着いていたのではないかと思ったりもする……

……そんなお話。

■メモ■
そもそも二メートルのブロック塀の向こうを歩く人達の姿は私の想像でしかないのだ。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?