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黑世界 2020.9.22観劇記録

音楽朗読劇『黑世界 ~リリーの永遠記憶探訪記、或いは、終わりなき繭期にまつわる寥々たる考察について~』

 2020年9月24日現在、サンシャイン劇場にて上演されている舞台の感想になります。本作の内容についてずっと記述されていますので、ご覧になられていない方は、以下の感想文をお読みになるのはお控えになってください。
 東京公演は映像配信があり、また東京・大阪公演共にチケットの追加販売がございますので、劇場に走れ!!! 永遠の少女が目の前に立つのは、今この瞬間、劇場でだけだ…。

 ちなみに、こちらの感想文は一万六千字におよぶことを先にご承知おきください。また、22日公演の雨下・日和を劇場で見たのに加え、22日日和を一回配信で見たのみですので、やや記憶違いがあるかもしれません。また書ききれていない気持ちもたくさんあります。でも、初めて見た瞬間の気持ちを言葉に出来る分だけでも書き残したくて、間違いがあるのを承知でここに筆を執った次第です。


二つの章と少女について

 リリーは永遠に枯れない花で、永遠を生きる少女で、純潔だった。
 体は呪われていても、心を失くさずに凛としている様が美しかった。

 各話で描かれる話の要素としての永遠と、リリーの佇まいから感じられる永遠があった。
 <雨下の章>は永遠を身に宿した少女と、永遠には辿り着くことの出来ない人々の儚い生との対比があった。<日和の章>ではほんの数年、短い時間に生まれた関係が、思い出が、永遠になっていくのをみた。
 鞘師里保さんはLILIUMでリリーを16歳になったばかりで演じ、黑世界では22歳で演じている、ここに6年の月日があるのに、話し方、動き方、間の取り方、表情、顔立ちそれぞれがあまりに同じに重なっていた。キャストの中でも小柄で、最も年齢が低くて、あまりに少女に見える彼女が、人々の中で特別な存在であることを、姿形からも浮き彫りにしているようだった。変わらない存在である彼女が、確かに舞台に一つの揺らぐことのない軸を通していた。

 舞台の幕が開ける前、私はリリーが狂気に落ちて、正気などなくしてしまっていると思っていた。花園を壊した後、あの瞬間、絶叫の後に何か残ったとしても、罪の意識でまともには生きていけないと思っていた。でも、この物語で描かれた少女の姿は違った。
 狂気に落ちず、心を持ち続けようと、自分の意思を持っていた。その様が孤高で美しかった。
 心を持ち続けているからこそ苦しんで、心を持ち続けているからこそ、誰かに心を寄せてもらえる。
 そんな、少女の旅だった。


<雨下の章>


 幕開けの美しさはすばらしかった。
 ひとり舞台中央に蹲る少女と、周りに置かれていく数冊の本。本を手に取り現れる、リリーの記憶にある人達。

 作中でずっと共通することだけど、彼らは決して触れ合わない。今の世情がさせたことだけど、それはとても自然な演出に見えた。僕たちには手の届かないたったひとりの少女との間に横たわる、わずかで、永遠の距離。


①イデアの闖入者[作・末満健一]


 開幕五分で心をめちゃくちゃにされた。繭期を越えてクランを出て、父と母の元に帰る夢をリリーが見ているのが胸を締め付けられた。やめて。クランにいる時のリリーはまるで過去がなくて、何処からか引っこ抜かれて花壇につきさされたような感じがあった。父母とか実在するのかな?突然この世に生まれたのでは?という気持ちもしてくるような。でも、父母の夢を見ていて、それが本当に元はひとりの女の子だったんだ、ということを突きつけられた。
 その夢を破壊された時の叫びが、現実を思い出すあの日のリフレインが辛かった。LILIUMを劇場に観に行かなかったことを惜しみ続けているんですけど、あの絶叫を聴くとは思わなくて、目の前で死のうとするリリーを見るとは思わなくて。私は一瞬思考力を失った。
 シュカに『眠り姫』て呼ばれてるの可愛すぎてやばかった。『眠り姫』よ、姫。あらすじから脱線した。ヴラド機関との話し合い()が上手なシュカ。「悪い人には見えなかったのに」とリリーがぽつりと呟くけど、雨下の章最終話で明かされる二人の一種の共通項を感じ取っているのかな、と思いました。さみしそうな少女と男が血の雨が降ったあとを踏み越えて別れる。
 っていうかシュカがほんと良かった……。いや最終的に全員にほんとよかったってこの感想中に出てきて、みんなよかったってことじゃん、てなることを予言しておきますね。シュカの松岡さんは普段の活動存じ上げないんですけど、なんかね、よかった…。歌い方の個性とか、醸し出す雰囲気とか、リリーに向ける思いとか。シュカに私は観ていて感情移入したかもしれない。
 ここで登場する妄想の友達チェリーは、リリーの表面的にはわかりにくい心情を補足してくれてるようでもありますね。チェリーの言葉を、自然とリリーの心の声の一部と思って聞いてしまいます。まあまあ意見食い違ってるけどね、思考のプロセスの一部が人格になっているのかもしれない。クランにいたチェリーとは顔は似ても似つかないけど、お節介焼きでツッコミ役ということは似通っている幻覚のチェリー。どういう心理で、リリーはチェリーを作り出したのだろう。雨下の冒頭でチェリーが言った言葉は耳には聞こえず、今のところ唇の形も私には読み取れていません。「罪悪感」ではないか、とツイッターで仰っている方がいましたが、納得感はあります。確かに、チェリーはリリーを責めて、そして片時もいなくならない。
 黑世界のテーマソングに入る流れもすごくよかったですね。希望など何処にもない、何処まで行っても黑い世界。鞘師と新良さんの声がこんなにハマると思わなかったな…。また男女の混声も良いですね…、歌の厚みがあります。その中で突き抜けてくるリリーの寂寞の宿る歌声が好きです。「だからこの孤独を見守っていて。」
 それにしてもまぁーー鞘師さんの動きがずっと綺麗でしたね、作中ずっと。身のこなしもダンスも立ち姿も。可愛い動きも好き…。仕草の美しさはリリーの潔白な印象を大きく構成してると思います。そして人外であることも。シュカに助けられて?ぺたんって座ってる時のちんまい感じと、シュカのデカさのギャップがほんまこうなんていうか萌えました。背中のラインすらかわいい何。


②ついでいくもの、こえていくこと[作・宮沢龍生]


 お、お、親方ーー!!! 弟子ーー!!!
 永遠に一人ではたどり着かないけど、技術や想いを継承していくことは永遠につながるだろう、と。弟子が歌うのを、離れて見つめているリリーという構図が、互いの違いを明らかにしているようだった。手に入らないものを持っている人達。交わらない距離。でもリリーは五年もの時間をその街で過ごして、最初に石橋を渡って旅立つ程に交流を重ねたのだと思うと、胸にくるものがある。交わらなくとも共にいられるんだ…それは永遠の中では一瞬だけど。
 橋を作ってる時の元気な歌、想いをつないでいく弟子の歌、どれもとてもよかったですね。元気な歌の時、リリーが可愛くてガン見しちゃった。足跳ね上げてテッテケテッテケ踊ってるの可愛いんだもん。あとね、外套と帽子ありがとうございます。可愛いです。
 リリー、寝ているところを発見されるの二回目。ちなみに一回目はシュカ。


③求めろ捧げろ待っていろ[作・中屋敷法仁]


 だ、だ、だ、大往生ーーー!!! 勢いで死んだーーー!!!!
 もうヴァンプを殺したくない!!? そっか、そうだよね~~~!!!!?? でも今後ともファンのために頑張って!!!
 なんかすごかった。面白かった。開始前、暗転してる時から舞台中央に立っているリリーのポーズがおかしいなどうした?と思ったら幕開けから愉快な感じになってるし、愉快な仲間が増えるし、すごい。イケメンヴァンパイヤハンターのおっかけ、めちゃめちゃ人生楽しんでる。推しにヤバい感じに狂ってる。すごい、血を、捧げてる…すごい……。あんな衝動的に死んで…。え、ほんとに死んだの? 死んだんだ…。あの年齢で若いイケメンハンターに全てを捧げられるの、命が輝いてる感じがするよね…そうかな…。
 ヴァンパイアハンターに守ってもらうために自らの身を切り刻むというの、「そうかなるほど賢い!」って納得したんですけど、よく考えると何一つ賢くはない。ほんと楽しかったですね。リリーは面白い奴らに巻き込まれますね…もっと巻き込まれて。
 イケメンとおっかけ、どっちもお芝居も歌も最高でしたね! イケメンは池岡さん、おっかけは中尾さん。息が合い過ぎてて勢いもすごくて本当に朗読してた??? 本持ってたっけ??? 本を持ってたかさえ思い出せない。割と序盤から、朗読劇というタイトルだけど本持ってなくない?みたいなこと多かったですけど、本を持ってるのは本当に必要最低限って感じですねみなさん。ものすごく歌って踊って身体表現しますよこの音楽朗読劇!
 中尾さんや松岡さんの年代の方の歌唱を普段聞かないせいもあるのかと思いますが、お二人の歌に他の方とは違う個性を感じました。巧拙とは別の、スタイルというか。言うまでもなく、大変な顔ぶれのキャストさん達なので、スキルの土台が強いなと思うことばかりなのですが、やはりこの歳頃まで一線で活躍されている方の表現は、染み出る味が違うのかも知れない、と思いました。
 あとコミカルなリリーが見られて可愛くて楽しかったです。元気な可愛いところとかもそうですが、言葉の端々にクランにいたころのリリーが被ります。鞘師さんの表現の幅の広がりと、変わらないところの二つを感じます。それにしても繭期のヴァンプだけど、目の前で血を振りまく女の血をすすりたいとは思わないんですねリリーは。結構感覚がまともな子だよね。


④少女を映す鏡[作・末満健一]


 とても好きな話でした。
 この話のラストで本当に気が遠くなって危なかった…。必死に意識を繋ぎとめた。
 人んちの納屋とかで寝てるところを発見されがちのリリー(3回目)。虜になりがちのリリー2回目(1回目は1話でヴラド機関に捕まりそうだったを勘定)、睡眠薬で眠らされて閉じ込められるの図。不死の少女って、生きていくの大変。
 TRUMPやソフィは良くヴラド機関とかその他危ない奴から逃げてますよね。TRUMPはその気になれば、吸血種皆に「自分を決して見つけるな」って命令できそうだからそりゃ誰にも捕まらないだろうし、ソフィの作ってたサナトリウム・クランはヴラド機関に遠巻きに観察されていたっぽいし、ソフィは自分自身の方がヤバい奴なので巻き込まれないんだろうな…。でもリリーは人に関わるからな…あとやたらそこらへんで寝て脇が甘いし。
 突然ですが、雨下の章は私の『撃ち抜いてはいけないものを全部撃ち抜いていった』ことを表明します。ちなみに書き出してみたら全10個ありましたが、ここまでで①リリーが見る父母の夢、②あの日の絶叫、③チェリー、④誰にも届かない永遠、とこの話までに4つも登場しました。そして4話はのっけから⑤虜にされてしまう永遠の少女(しかも鏡の中!)、というわけで精神が危なかった4話は冒頭から。
 少女を映す鏡、本当に良いですね。気が狂ったヤバいおっかけの女から、見事に15歳の恋に怯える女の子に転生する中尾さん、心優しい繭期の青年になる弟子大久保さん。ほんと役者のみなさんの基礎点が高い所に積み上げて来てるからヤバいっすね…。
 もう一回言いますけど、話の筋が本当に面白かった。それと15歳の女の子のバイタリティースゲェや、可愛い女の子を見つけたら速攻で大工呼んで女の子を鏡の中に閉じ込める部屋作るんだから。ちゃんと中にトイレとかあるのか気になっちゃった。永遠の少女が食事を必要としているのか、それに伴った新陳代謝があるのかは謎ですが、閉じ込める為の部屋を作るときは一応気にするじゃん? ね。鏡の中に綺麗な女の子を閉じ込めて、鏡の中の私と呼んで、その容姿をめでつつ、なんか差込口とかから朝昼晩ご飯差し入れてる図って…なんかすごい…何だろう耽美? 背徳的? でも本人は心の底では、リリーは自分ではないとわかっていて、人より五倍も早く歳を取る自分は恋できる筈ない、あの少年が自分を好きな筈ない、繭期の向こう側に辿り着いた時には孤独に戻されるのではないか、という苦い感情を同時に抱えていた。
 人の心の姿が見える繭期の少年と、心を置き去りに体が年老いていく少女と、不老不死の少女、そしてここではまだ明かされない秘密を持った50年間姿の変わらない男。
 TRUMPシリーズで初めて旅をする話で、ヴァンプの町にも人間の町にもリリーが訪れて人と交流を持つことで、あの世界にはやっぱりいくつもの町が広がって、たくさんの人生が折り重なって生きているんだな、というのを実感できたように思います。たくさんの生と死を見つめるリリー。
 この話の最後に、シュカが永遠を生きる少女に「狂ってしまった方が楽なのではないか」と語り掛けますが、それに対するリリーの答えで私は気絶した。この胸の奥にあるのが悲しいという気持ちなら、これを抱えていく、なんて。
 リリーは心を持ったまま、永遠の孤独を歩んでいくことを決めた。口に出しただけで、元よりそうだったのかもしれない。体は呪われても、心は純潔である様が、その純潔を表すかのようなまっすぐな美しい立ち姿が、『少女純潔』だった。

 「撃ち抜かれてはいけないのに撃ち抜かれてしまったもの」、⑥心を持ったまま。

 リリーの容姿を褒める少女の言葉は、自分とはまるで違う、自分には3歳の頃に通り過ぎてしまった理想の容姿を持つ女の子に向けて呟く、孤独な言葉だったけど。でも心も、そして本当の見目も、あの少年は受け止めてくれたのは、うつくしく、少し冷たい雨の音と匂いの似合う、静かな幕引きでした。


⑤馬車の日[作・降田天]


 いやぁ~~~~好きですね~~~~。
 虜になりがちのリリー、三回目です。メイプルさんに甘えた声で話すのもう可愛くてどうにかなりそうだったんだがどうしてくれるんだ。めちゃくちゃ声可愛いじゃないか仕草もめちゃくちゃ可愛い。こんな可愛い女の子を捕まえて息子????可愛すぎるんだが。シチュエーションは可愛くない。
 「ヘーゼルはクランに行ったよ。」
 たったそれきりが言えなかったヘーゼル(真)。厳しいというか、現代的な感覚では身体的暴力を伴う虐待がある家庭に当たると思うんですけど、そんな家を出るためにした行動が齎した結果に耐えられなかったヘーゼル。その上、倫理観は狂っていて、母の精神状態に比べれば繭期の少年の命など一年未満で使い捨てられるヘーゼル。それでも少年たちを捕まえてくるのは大変だし、撃ち殺せば心は痛むヘーゼル。そんな彼にとって、いくら殺しても生き返る、永遠に死ぬことのない少女リリーは、毎年殺して新しく捕まえる必要もなく、殺すことに罪悪感を覚えずに済むから、彼にとって都合が良かった。
 リリーが不死であることを目の当たりにするような、死して生き返るエピソードってやらないのかな、と実はこの時まで思ってたんですよね。そう思っていたら、ヘーゼルに仕立てられた少年がいきなり射殺されるし、次にリリーが撃ち殺されるからヒッて…。
 そしてそれから何度も何度も、殺しても生き返るから胸が痛まないと、閉じ込められて一年に一回毎年殺され続けるリリー。永遠の命を持ったことで、命の価値が何よりも軽くなっている少女がそこにはいた。そのことが苦しい。閉じ込められるときのダンスは可愛かったし、窓には格子って手をバッテンにしてるの本当に可愛かったけど。シチュエーションは全く可愛くない。
 この話だと思うんですけど、リリーが死んだ時に膝を折って仰向けに倒れるところがありますよね。その姿勢からインナーマッスルだけで起き上がって来る時の滑らかさに驚きました。随所で感じるので言及するの何回目かになると思うけど、鞘師さんは動きが綺麗ですね。体幹が強くて、軸がぶれず、関節は柔らかで、音楽と動きが調和して、毛先まで操るし。シンプルな動きからもう人ではないことを伝えてくる。
 ヘーゼル(真)は繭期を抜けた18歳頃から、あの風貌になるまで少年達を殺し続けた罪を負って、これからどうするんだろう。長い年月、母であるメイプルに夢を見続けさせたのも同様に罪だと思う。リリーも夢を見続けさせることを咎めましたね。自由な意思決定を奪い、その機会さえ与えないで縛り続けるのは、他人を支配することだものね。
 リリーはあのクランでソフィがしたこと、自分がしてしまったことと、同様なことをしている人を時折責めますね。バッドトリップで幻覚に責められている時も多いけど、理性的な会話の裏返しで自分を責めていることも多いです。ずっと責め続けて生きていくしかできないんですね。でも、仲間を殺した罪を感じる心を持ったまま、狂気に落ちずに生きていくことを決めているから。
 「撃ち抜かれてはいけないのに撃ち抜かれてしまったもの」、⑦死して蘇る、⑧永遠の命を持ったことで命の価値が何よりも軽くなる。もう僕はつらいよ。なによりその姿が、永遠を生きる少女の一面そのものでもあるのだから。


⑥枯れゆくウル[作・末満健一]

 ウウッ!!
 シュカ…! スノウ! リリー!! ああッ…
 LILIUMを観た後、みんな百回は考えたであろう「この後リリーはどうなっちゃうのかな…」。そのバリエーションは数多あると思いますが、辛いコンボが来た。撃ち抜いてはいけないところの最後二つ、⑨すり潰され燃やされ引きちぎられ溶かされ何十年も実験に使われるリリーと、⑩一輪のスノウ。過去虜になっていたことが明らかにされ、通算四回目を記録。

 TRUMP、ソフィ、リリーには、ヴラド機関からの扱われ方に差がありますね。全ての吸血種の神のような存在であるTRUMPが絶対なのは言うまでもないことは何千年もの昔から続いています。ソフィはあの疑似クランを営んでいることを知られながらも、黙認なのか容認なのか積極支援なのか位置づけは別として、遠巻きに血盟議会によって守られていたことが過去作で語られています。また本作中の言葉から、ヴラド機関はソフィが「ウル」という秘薬で少女達に不老を与えていたことをわかっているのに加え、ソフィはTRUMPによって不死とされたことも把握しているようでした。そして、ソフィというTRUMPではないものが、秘薬ウルによって、リリーという不死者を新たに生み出すことは予想外であった、という主旨のセリフ。ここから、リリーはTRUMPによって永遠の命を分け与えられるのではなく、人工的に永遠の命を作り出せるかもしれない、という妄執の対象になってしまったのかな…と思いました。
 ソフィになるにはTRUMPから命を分け与えてもらわないとならず、それは不可能に近い。しかし、この少女は薬によって不死の命を得た。だからこの少女の命の根源さえわかれば、自分達も永遠の命を手に入れられるかもしれない。永遠の命は、何千年も前から多くの者達が求めてやまないもの。だから、少女を切って燃やしてすり潰して溶かしてなんでもした。TRUMPはソフィには執心したから傷付けるのは恐ろしいかもしれないが、リリーはTRUMPとは神とは無関係なのだから、恐れることは何もない。
 不死の少女を何度殺そうとも、罪悪感はない。
 この数十年の時間、リリーにとっては何をしても自分が死なないことを確かめる時間でもあったんだろうな…。肉塊の中から不死を拾い上げようという実験は、自害の範囲で出来ることを超えていたんじゃないかな…。肉体をバラバラにして分離して置いたら何処から再生されるのかとかね、ミンチをいくつかの瓶詰にして置いたらどうなるのかとかね、気になるもんね…。一個だけ瓶詰肉は新鮮なのか、全部新鮮なのか、とかさ…。
 この狂気のるつぼの中で、リリーとシュカは似ていた。狂気に落ちてしまうことができないところが。ずっと、一掬の涙のようにか細くとも、心を手放さずにいたことが。

 リリーを見守ることを望んだけれど、永遠に手が届くことはなく、枯れゆく木のように命を失っていくシュカ。
 二人の紡ぐ歌、リリーが響かせる歌声、どちらもとても印象的でした。
 シュカ、すごく良い登場人物でしたね…。自分よりも見た目は遥かに年上の男性を、少女であるリリーが許す姿は象徴的です。この舞台の構図は、ひとりの少女を中心にして人々が立っていて、少女に永遠、許し、理想、幻想を求める。宗教画に似た構図を私は思い浮かべました。人々の触れえない高みに一人がいて、それを見上げている図。ただ少女は神様ではないから、同じ地上で、ひとり黑い世界を旅している。


 長い間、リリーを見守ってくれた人は死に、旅の途中で出会ってきた人とも別れ、その誰も永遠へは触れえない。
 心を持ったまま、純潔のまま咲き続ける、永遠に枯れない花。
 僕たちの手の届かないたったひとりの少女。

 残された少女の旅が続くのを、見つめ続けるしかない。
 心を持つがゆえに苦しみ、心を持つがゆえに誰かと出会う、少女の旅を。


<日和の章>

 永遠に枯れない花が私の胸に咲いてしまった。
 永遠に生きる少女だった。

①家族ごっこ[作・末満健一]


 雨下の章冒頭、リリーは夢の中で会っていた父と母さえ否定されて、たったひとりになった。そのリリーの打ち砕かれた家族が、違う形で目の前に現れる。今度は妄想ではなく、血は繋がっていないけど実在する人たちと。リリーにとってはたった五年、小さな子供たちにとってはかけがえのない五年。
 そこらへんで寝ていたリリーが通りがかった人に回収されること通算4回目。十代の女の子を捕まえてママはないやろラッカちゃんと思ったけど、それだけお母さんに憧れていたのだろうと思う。最初に「ママ」って呼んだ時は変な音を立てて息を吸いました。繭期を越えない永遠の少女であるリリーは自分の子を持つことはないのに、共に過ごした時間の愛しさによってママと呼ばれる。けど、流れる時間は違う。五年間が長いのか短いのかさえリリーにはわからないで、ただこの穏やかな家族ごっこの時間の愛しさだけは染み入るような。
 この話、リリーがずっと罪の意識に苛まれているところ、家族ごっこをするところ、殺されてしまうところ、殺してしまうところが、もう本当にしんどかった。それから「ごめんなさい!」って叫んで逃げ出してしまうことも、「ママ―!」って縋るところも、何もかも辛いんだけど……。
 愛しさを除いたら、もう自分には辛い以外書くことがない。イニシアチブを取って相手を自害させ、その返り血と自分の血でべとべとに濡れている姿が、クランの繰り返しで、決して自分を許すことの出来ないでいるリリーには重たい。精神も、濡れた服も、髪も。斬られ突き刺されて死に、蘇ってから次々に暗殺者たちを噛む様は恐ろしかった。化け物、と守った家族に呟かれてしまうのが痛い。この様をラッカ達に見せたくなかっただろうな。体の傷の痛みは無意味になって、後は心さえ捨ててしまえば何も痛まないけど、それだけは大事に握り締めているから、傷付いて痛み続ける。何度泣きそうなリリーの声を聞くのだろう、この黑い世界で。
 かつて言った「みんなを救いたかった」というのは本心なのだと思う。誰か助けてくれただろうか、あのクランから。ウルを飲み続けなければ老いさらばえて死に、ウルを飲み続ければ不老のまま、話し合いによってそれぞれの意志を聞こうにも少女達は皆がソフィとそして彼と同化したリリーのイニシアチブの元にある。ソフィは記憶を改竄している。自由な意志はもうなく、身体の自由もない。だから、みんなを救うには殺すしかなかった。
 でも、命を奪うことも、罪には違いない。だから罪悪感から逃れられなくて、永遠に尽きることない命の中で、永遠に懺悔し続ける。そういう懺悔、贖罪、もしくは許しの話が日和の章だった。


②青い薔薇の教会[作・葛木英]


 三好さんの熱演、朴璐美さんのイケボ、リリーへの問いかけ。
 テーマがとても好きですし、神父さまが妹を殺した吸血種に対して出す答えが、幸福であろうと努力し続ける人間の姿を描いていて、正直とても共感しました。
 ちなみに劇場で見ている間ずっとラッカと青薔薇を育てる青年が別の役者さんだと思ってました。具体的に言うと青年を樹里さんだと思ってました。雨下の章で活躍してた方よ樹里さんは、と気付いてから、ラッカとこの青年が朴璐美さんだとわかって驚きました、凄いですね流石…あまりにイケボなので宝塚出身だと思った……。
 「繭期のヴァンプが人間を殺すのはよくあることです。」ってサラッとリリーが言うの、わ、そういう常識なんだ…てこうコワ…と感じるポイントですね個人的に。リリーは繭期でもむやみやたらに人を殺したいなんて思ってないですし、目の前でヤバい女が繭期の吸血種達に自分を襲わせるために血みどろになっている時も、う、うわぁ……ってなってるだけ、という割とまともな感覚の少女です(時々面白いことになるけど)。そのリリーが、「繭期のヴァンプが人間を殺すのはよくあることです。」と答えるのが、この世界の人間とヴァンプの軋轢を見た、って感じ…。
 青い薔薇を育てるときの歌、とても好きです、すごく印象に残ります。歩むようなリズムの弦楽器の音が、数年の日々を語る曲としてとてもあっているように思いました。
 話の主題とあっているのか、見ながら自分の考えと重ねてしまって自信がないのですが、どうしても自分を許すのは最後は自分しかいないんですよね。それに向き合うよう、あの青年に語りながら、同時にリリーへも告げるこの話が、本当に今回参加された新しい作家さんのものなのか…と少しの驚きもあるくらいに、重要なものであるよう思いました。
 それにしても、罪悪感に押し潰されそうなリリーの演技が好きですね…。死んで償うこともできないリリー。でも、神父さまが無残に妹を殺した吸血種の命を奪うことを選択しないのは、死は償いにはそもそもならない、と示しているようにも思います。
 いつの日か、皆の心が少しでも解れますよう。


③静かな村の賑やかなふたり[作・岩井勇気]


 いやほんと元気だったね。
 完。
 いやほんとだってずーっとふざけてるだけだったじゃん??? 一瞬思ったよね、上原理生の無駄遣い(贅沢)って。 MIOさんとYAEさんについて詳しくないので、どちらがどちらか認識していないのが申し訳ないんですけど、ま~~~~でもほんとお元気でよかったですね。今日、服を洗ったら布が重なってる部分が生乾きだったから笑っちゃった。そう言えば雨下で洗濯には重曹とかいう台詞がありましたね。このアホカップルのおかげで、洗濯物がちょっと楽しくなりそうです。
 「ソーシャルディスタンスキッス!」ってリリーが言ったところ、「ハッ!壁ドン!!」とノリが一緒でなつかしくなっちゃった。こういう些細なところもずっと時が経ってないのはなんでなんですか鞘師さん。ほんと元気だったね…。呆れかえるチェリーに、「もう少し様子を見ましょう」って返すリリー、ほんと楽しんでるじゃん…。かわいいかよ…。
 少し話は前後しますが、不死になると手の切り傷がすぐに治るなら、ソフィはあのクラン・サナトリウムで不老の少女達を殺さずとも、不死かどうか確かめられたんじゃいでしょうか。少女達の手を少し切ればよかっただけです。でも、思い至らなかったんでしょうね、彼にはあまりに生が遠すぎて。体の傷は痛まず、狂ってしまって他者のためには心も痛まないのだから。死ぬか死なないかしか、ソフィには意味がないから、他人の手の怪我なんて目に入らない。だから少女達を殺し続けることしかできなかったのかもしれない。


④血と記憶[作・末満健一]


 リリーは心を持ったままだから、誰かに心を寄せてもらえる。
 例え時の流れからも生死の循環からも取り残されたのだとしても、触れ合う心だけはそばにある。
 言葉にできないような大きな気持ちの塊が胸にあるんだけど、どうにか言葉にしようと努力しようと思う。この初めて見た気持ちを、残しておくために。
 ラップのヤバい奴ほんとヤバで、根が真面目そうなラッカとノクと性格が全く合わなそう。なんでこの人選にしちゃったの。この役、アイクさんがそのままやったらどんな味わいだったのか、本当に気になりますね。芸人さんであることがスゴイ作用を起こして、めっちゃキャッキャしながら坑道を崩落させるヤバい奴になってたとかだったらどうしよう。コロナからの復帰を祈念しております。
 ヴラド機関からずっと追われて、しかもかなり畜生な方法で追い詰められてるちっぽけな女の子リリー。虜になること5回目は避けたいですね、必死に坑道の中を逃げる様とチェリーの焦った声が本当に困っている。でも不死だからと自分は何度殺されても良いからどうにかして追跡者を殺して逃げよう、という発想が少しもないから、こうやって坑道に追い詰められてるんでしょうね。
 語られていませんが、不死者としてリリーが足取りを捕捉されたということは、何処かで死んで生き返るところを誰かに見られたのかな、とちらりと思いました。十五、六歳の純血の女の子で名前はリリー、というだけではとても探し出すことはできないから。追われる日々でもあるリリーの旅は、描かれないところでも血を流しているのかもしれない。
 あの日だまりのような、家族ごっこをしていた日々から二十年。
 チェリーが「ラッカはまだ子供でしょう」と驚く言葉からわかる、リリーにとっての二十年という歳月の短さ。それよりさらに短い四人で家族として過ごした五年など、リリーにとっては吹けば飛ぶようなものだったろう。でも、三十歳になって、それでもリリーを忘れられず、あの日失った幸福を取り戻したいと願うラッカには、あまりに大きな五年であり、二十年だった。ノクにとってもそう。
 ラッカとノクが互いに想いを歌でぶつけ合う中、同じ環の中を歩めど、決して歌に入ることのできないリリーが、二人との距離を無言で如実に語るようだった。リリーと出会い別れてからの二十五年、リリーを知らなかった頃よりもはるかに長い年月を生きて大人になった二人がぶつけあう本心。格子のような光の奥に照らし出されたリリーが象徴的な演出でしたね。
 また、三十歳のラッカが自分より小さな十六歳くらいの少女をママと呼ぶその様は端的には異様で、リリーという異物を浮き彫りにしているようでもありました。でも、この世界の理から外れても、これほどまでに想いを寄せてくれる人がいるのは、かけがえのないことに思いました。そして、リリーも想いを寄せていた。だから、岩盤の崩落からラッカを守った。ノクも守ろうとした。
 岩に潰されてしまうところ。
 朗読劇で、言葉だから聞いて想像することと、台詞には時差があって。ノクを岩盤から守ろうとして、でもただの少女であるリリーが支えきれず筈もなく、共に骨も肉も原型の残らない肉片になってしまったとき、死体となったノクの肉と血だまりの中で目を覚ますリリーを想像しました。けど、実際には潰されたまま、岩が邪魔で肉片のままうごめき続けるしかできなくて、その光景があまりに人間とはかけ離れていて、空しいくらいにぐちゃぐちゃの塊でしかなくて、それでもやがて再生するのがむごたらしかった。
 肉片が蠢くところを人生で見たことがありませんし、おそらくみることはないと思いますし、見ないで済む人生であって欲しいと願いますが、あの動きの岩で潰された肉片を想起させる力がすさまじかったですね。そしてあれは、雨下の章最終話で語られた、切られすりつぶされ燃やされ溶かされ、それでも蘇ったリリーそのものなんですね…。血液が地下水脈に流れ込み、河口へと至り、また人の形を取り戻すまでにどれほどの歳月がかかったろう。同じ肉片となって混ざり合ったノクの体は、土に還ったろうに。
 常に背筋を伸ばし凛とした様でいるリリーのあの純潔は、これまでどれほど肉片に変えられても絶えることはなかったと思うとむごく、苦しみに満ちているのだと見せつけられた気がしました。それゆえに、尊く、高潔でもある。
 孤独が永遠を支配して、ノクの願う通りにラッカに記憶を返してやれないまま、リリーは夕日の中何処へ消えていくのか。記憶を返してやるには、二人と出会ってしまった自分を許すことが必要で、でもまだその許しは、手の中にはないのに。


⑤二本の鎖[作・来楽零]


 お幸せに…!
 いやなんかお幸せになれそうな気がした。イニシアチブの鎖で互いを縛り合ってしまったから、元の真実はわからないのよね。でも、元の形がどうだったかなんて、あまり大きな問題には思えませんでした。根本的には互いへの想いがあるように見えたからかな。
 少女の歌声が甘くて、会場で聞いているとリップ音も結構入っていたのですが、それが曲の雰囲気や二人の間にもったりと流れるまとわりつくような空気にあっているよう思いました。また、星が落ちてくればいい、と願った歌も、その背徳的な歌詞もそれへの熱望も迸り、とても印象的でした。繭期を抜けられない人たちばかりだったTRUMPシリーズですが、黑世界では繭期を超える人がそれなりにいます。普通はちゃんと越えられるんでしょうね、そうでないとヴァンプは死滅してしまうので。吸血種達が当たり前に繭から抜け出て、羽化していく。でも、永遠に繭期を抜けることの出来ない少女は大人になることを夢想するだけ。可愛いようで、悲しい歌が目に鮮やかでした。
 や、ほんと、厚いキャスト層ですよね。何度言っても足りないくらい。キャストの経歴も様々でいろんな畑の人で構成されているので、本当に良いですね。経歴の違いがそのまま個性でありキャラ層の厚みにもなっていると思います。


⑥百年の孤独[作・末満健一]


 雨下の章冒頭で家族を否定されたリリーが、日和の章最後に新しい家族の思い出を得る。
 初めて出会った頃、僅か五歳だった少女が今や百三十歳という高齢になって、穏やかに窓の外を眺めているときに現れる、あの日々と姿かたちの変わらない少女。自分の手は枯れ木のようだけれど、その少女の手はつややかなまま傷一つなく、同じ温もりを宿している。
 たった五年間の思い出は、互いにとってどれだけ愛しいものだったか、確かめる二人の歌。
 狂気で全てを失わないが故に苦痛を舐めて、心を持ち続けたが故に得た思い出。家族ごっこではなく、百年の時を経て本当に家族になれた。皆、死んでしまったけれど、思い出だけは永遠に繋がっている。リリーがラッカに思い出を返しに来たのは、少しでも自分を許せたからなのだろうか。許せなくとも、不意に手の中に舞い込んだ家族の思い出の大切さを、あたたかさを、自身で思い知ったからなのだろうか。「出会わなければよかった」と一度は思ったけれど、「出会ったものがすべて」だから。
 三十歳のラッカがママと呼んだ時よりもさらに年齢は開いて、今、百三十歳のラッカがリリーをママと呼ぶ。その光景は不死の少女を、永遠に枯れない花を、互いの間に横たわる永遠の隔たりを明らかにして、彼女を遥かなものにして、美しい。
 雨の中、百年の時をかけて自分を見守った男を許したリリーが、日差しの中で、百年の時をかけて見守り続けた少女を見送る。
 そして贈られる、ノクからの歌『少女純潔』。
 孤独を孤高に変えて気高く咲き誇る彼女にふさわしい歌だった。その歌を受けて静かに舞う少女は美しかった、この世のものならずとも。LILIUMとは歌詞が「僕は眠ろう」などの一人称が「星」に変わっていたと思う。星はおそらく、リリーが出会って来た人々を意味しているのだと思う。心を交わした人たちは皆死んで、遠い夜空で、リリーを見守っている。いずれリリーの手が星に届けば、皆の元に行けるだろう。夜空に瞬く星達は、これまでの抽象的な「死」ではなく、別れてしまった人達の姿になった。

 白い光の中、星に手を伸ばそうとするリリー。
 シリーズで共通のKeyたるこの仕草を、リリーは一度もこれまでしたことがなかった。あのゆっくりと手を伸ばしていく様を見て、心震えずにいられなかった。本当に、リリーは手を頭上高くまで掲げるだろうか、と。希望などない、この世界は何処までも続く黑い世界だと歌ったリリーが、星に手を伸ばすのを諦めはしないか、と。
 星へと手を伸ばしたリリーの絶対的な存在感は絶大だった。
 胸を掻きむしった…。この瞬間、自分の胸に永遠に枯れない花が咲いてしまったのを自覚した。永遠に、純潔に生きる少女がそこにはいた。

 エンディングテーマはリリーと出会い別れてきた人たちの願いが重なり合う歌だった。リリーを中心に据えて、遠くに立って歌う人たちの姿は、リリーが特別なたったひとりの少女であることを明白にした。
 僕たちの手の届かないたったひとりの少女。
 永遠を生きる少女を遠くみながら歌う人たち。

 リリーは本当に、永遠に枯れない花だった。

 百合の花言葉は純潔のままで。


<全編通して、終わりに>


 黑世界、本当によかったです。
 永遠に枯れない花になってしまった少女が、心を持ったまま旅を続けている姿に胸を打たれました。心を持つが故に苦しんで、心を持つが故に誰かに心を寄せられる。その様が、12編の短編と層の厚いキャスト、多様な音楽や演出で描かれていく、見ごたえがすごかったです。本当に上演していただけて嬉しいです。
 キャストさんほんと基礎力たっか…!みたいに思うことばかりよ。すごくてね、ほんと…なんだろうな、中の人が頑張ってます!感がなくて、自分達はこの本の中に生きています、という本当によく完成されていてすごい。
 化け物みたいな表現者ばかりだけど鞘師がいると軸が通る、と末満さんがインタビューで仰っていたのをそのまま見せつけられたように思いました。リリーはずっと凛とした佇まいで、変わらない自分の心を持っていて、それが何百年も誰と出会っても変わらずにいることが、物語の揺るぎない軸でした。
 実は劇場で見ながら、2014年と2020年の違うを探るように見てしまってすごく窮屈だったんですけど、そんな見方をしてしまってるのに、どんどん鞘師さん演じるリリーがかつてのままに重なっていきました。22日ソワレ三話後半からは、もうあの日のままにしか見えませんでした。キャストの中でも一番年下でちんまりしてる小娘が永遠の少女を演じ、特別な存在としているという構図に、もはや頭がどうにかなりそうです。
 決して手の届かない永遠の少女が純潔のまま生きている。
 そのことについて寄せていた幻想よりも、舞台は美しくて胸に焼き付いています。
 リリーは12編のなかで実にたくさんの呼び名で呼ばれていますね。雨下を一度しかまだ見ていないのでやや曖昧ですが、眠り姫、お姉ちゃん、お嬢さん、鏡の中の私、匿名希望さん(自称)、ママ、フェアリーテイル、ファルス、リリー。これはそのまま、リリーが多くの人とかかわったことの証左だな、と思いました。(フェアリーテイルはまぁ厄介な奴に絡まれたところなんだけど。フェアリーテイル(おとぎ話)とリリーが呼ばれてるのめっちゃグッと来ましたね。眠り姫も別の意味でグッときました。ママ、についてはもう何も言うことはありません。)

 心を持ったまま、リリーは何処へ歩いて行くのだろう。永遠は始まったばかりで、罪の意識は途絶えることがなくて、でも新しくあたたかな記憶を確かに手にして。
 エンディングテーマの中、リリーが前に向かって手を伸ばすその動きのなめらかで音楽と溶け合うような仕草は忘れえません。彼女の伸ばした手の先、永遠に孤独に負けないで、いつか何かを掴めるのでしょうか。
 たった一人、心を握り締めた不死者である彼女は、希望たりえるのでしょうか。


 朗読劇という概念を打ち壊すような本作が、最後まで上演され、また多くの方の目に触れることを祈っております。また、始まったばかりのこの舞台が、どう進化していくのかも楽しみでなりません。


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