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たかが一週間 ⑥風の土曜日

のぼせた顔に春のまだ冷たいままの夜風が心地よい。
今朝はせっかくの休みの日だというのに起きてもまだ頭が煮詰まっていてどうにもスッキリしなかったので、体を動かそうとあくせくと平日にできない家の掃除や買い出しをして、夕方からはジムに行った。さらに近所のスーパー銭湯に出掛けてサウナにも入った。夕飯もその場ですませた。
帰り道、風にあたりながら今度は煮詰まった体を冷ましている。疲れたからか頭の方は動きが悪くなって、余計なことを何も考えないから気分は悪くない。

喉が渇いたのでコンビニに寄ることにしたのに、サウナの熱が冷めない私は目移りして冷凍庫コーナーを物色する。最近はアイスの単価も上がっているけれど、嗜好品だから文句も言えないし、高くなった分クオリティも上がっているように感じる。他の必需品のように値段はほとんど変わらないのに少なくなったり陳腐化するよりは断然良い。
すぐに食べたいからカップよりは棒のついているタイプやモナカのようなものが良いと思い、新商品と書いてあったメロン味のアイスキャンデーを買った。

店を出て袋を開け、一口齧り横断歩道を渡り歩きだす。食べながら街灯の灯った住宅街を歩き帰る。思っていたよりもメロンの味が果物そのものに近く感心する。
ふとアイスを買うくらいのことならすぐに決断できるのにな、と思う。自分の仕事だとか周りの人間関係だとか、大きな規模になると急に何も決めることができなくなる。別に仕事中に決断できないとか、行動に移せないだとかそんなことはないのだけれど、自分自身のことになるとどうにも優柔不断だ。

けれど風が吹いて、揺れる街路樹の葉の音だとか追い抜かれた自転車の音とライトだとかそんなものに気を取られて、私の思考は散漫に散っていく。アイスを齧って何か思い出せそうで思い出せない。
残り少なくなったアイスが落ちないように棒の両側から齧りながら、先週接客の応援でホールに入った時に見た、ソフトクリームをこぼしていた子供のことを思い出す。

小さい頃といえばそういえば、昔好きだった絵本を少し前に本屋で見かけて思わず買ってしまったのだけれど、最近本屋で同じ本が小型の絵本になっているのを見て買うか悩んだことを思い出した。
でもよく考えてみるとここしばらく本屋に行った覚えがないし、それほどメジャーでもないあの絵本が小型になって売り出されるとも思えない。
もしかしてあれは夢だったのだろうか。でも夢にしてはリアルに手に取った時の重みやツルツルとした表紙の感触が残っている。

夢の中で誰かに会って、朝起きてから昔できなかったことを後悔することがよくある。告白の件もそうだけれど、言えなかった感謝の言葉や、遅すぎた謝罪。連絡しないでいたら音信不通になってしまった友達。
みんなそれぞれに過去の一時期私に大きな影響を及ぼした人なのは事実で、その時々では納得していたはずなのに今でも諦めがついていないのかと思ってしまう。けれど今さら過去のことを変えることもできない。

アイスを食べ終わってしまった。メロンの濃い味が口の中で溶けて、少しのくすぐったさを残して消えた。誰も見ていないからと棒を咥えたまま残り少しの家路を行く。
この一週間で桜の花は大半が散って、一斉に緑の新芽が開いた。この薄い緑が広がった風景を見るとようやく春だという気がしてくる。案外気温よりも目
に見える世界の方が私の感覚を刺激する。

案の定もう誰ともすれ違うことなく家まで辿り着き、キーケースを出して玄関の扉を開けた。だれもいない部屋に向かって「ただいま」を言うのが癖になっている。
電気をつけて部屋に入り、洗面所で手を洗う前に咥えて帰ってきたアイスの棒をゴミ箱に捨てる。その時ふと見ると棒に占いが書いてあった。
「明日なにかに誘われたらイエスと答えよう!」
(続く)

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