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【不快耐性】自分が快適である事に重きを置きすぎてない?

日本て本当に色んな所で大小様々な配慮がされていて、つくづくおもてなしの国だなって思う。

お客様に対する配慮

マイノリティに対する配慮

子どもへの配慮

高齢者への配慮

配慮、配慮、配慮って…

もしかして日本国民全員、上級国民ですか?貴族?

っていうくらい、私たちはこれでもか!ってぐらいの配慮を受けながら日々生活しているわけで

そのおかげで毎日快適に過ごすことができている

…わけもなく、何かしらの不満やイライラを感じる事が、私の場合まぁまぁな頻度で起こる。

例えばお店で店員さんの態度が悪かった。

悪かったと言っても、ちょっと笑顔がなかったり機械的な対応だったり、気が利かないなぁとか、その程度。

自分自身が長年接客業をやってきたからこそ、そう思うのかもしれないが。

あとはAmazonのダンボールのサイズが大きすぎるとか、自分は仕事なのに世の中は連休で、浮かれてる人たちの姿をテレビで連日見せつけられる、とか。

でも、ある日気付いてしまった。

普段から色んな事に配慮されすぎていて、配慮される事が当たり前になっている。少しでも不快になる事が許せなくなってる、ってことに。



まだ記憶に新しい「産休クッキー」の話。

様々な意見や感想があって、その中には当然「不妊治療中の人の気持ちも考えて、配慮すべき」というのがあると思う。

確かに、私も不妊外来に通った事があるし、妊娠を焦っていた時期があるので気持ちはわかる。

友人からの年賀状に2人目、3人目ができたと書いてあると、心がギュっとなりザワザワしたものだ。

その頃は世間でも「写真付き年賀状での近況報告が不快だ」という意見が聞こえるようになり、私もそうだそうだ!と思っていた。

でも今は、年賀状の送り主が相手に配慮すべき、というのも違うんじゃないかと思っている。

産休クッキーもそうだけど、もらって心がざわつくのは受け取り側の問題であって、送り主には関係のない話。

その心のザワザワは、相手に配慮を求めるものじゃなくて、自分で乗り越えなきゃいけない事。

そりゃあ相手が不妊に悩んでいると知りながらわざわざ妊娠を自慢気に話すとか、そういうのは下品だと思うけど。


もうひとつ、電車で隣に座ってくる人の話。

他にも席が空いてるのに、なぜわざわざ自分の隣に座ってくるの?不快なんですけど!って…

それで身の危険を感じるようなら、自分が席を移動すればいいじゃない?自己防衛、大事。

隣の人が臭いだとかキモいだとか、そんなのただ運が悪かっただけ。

確かにお気の毒だと思う。私も臭い人の隣は嫌だ。

荷物が邪魔だとか脚を広げすぎだとか、確かに迷惑だなぁと思うことはあるし、気を付けなきゃいけない。

でも、公共の乗りものに乗っているんだから、ある程度は我慢してもいいと思う。SNSで声高らかに発信して激論を生むような事じゃない。




妊娠したら「不妊治療中の人がいるかもしれないから」

連休でレジャーに行けば「仕事の人もいるから」

家族で過ごせば「片親の子もいるかもしれないから」

色んな状況の人がいる事を想定して、誰も不快にならないように配慮するって、優しくて素敵な考え方だと想う。

でも、本当に些細な事で「配慮がない」と切り捨てられ糾弾される事が多いなあという印象の昨今。

なんだかそれって、優しい世界からは遠のいてるような気がしてならない。

もしかしたらこの記事も、日々誰もが不快にならないよう、配慮する努力をしている人に対して「配慮がない」と言われてしまうのかもしれない。

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