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【写真】梅の季節

かれこれ7年くらい、
梅の花が咲くと写真を撮りに出かける
という習慣が続いています。


梅の花を撮る習慣

年始特有のぼや〜とした感覚がすっかり抜けて新しい年に馴染みはじめる頃になると、
「そろそろ梅が咲き始めるかな?」
とソワソワしだします。

梅は桜と違って街路に植っていることがあまり多くないので、わざわざネットで植物園の開花情報を検索しにいきます。
「もう咲き始めたんだ〜」とか「まだ咲いてないのか〜」とか、まずは情報だけで花の様子を楽しみながら出かける時期をうかがい、どこに行こうか目星をつけます。

そして、梅の開花状況と自分の行けるタイミングが合ったらいざ実行!


今年も撮りに行きました!

さて、今年は暖冬らしく、
梅の開花も早かった気がします。

1月末に公園に出かけた頃には、もう咲き始めていました!

ぽつりと咲く一輪。
場所によってはたくさん花をつけているものも。



2月半ばにも別の場所に撮りに出かけましたが、見頃のものもあれば、まだまだこれからというものもあり、いろんな種類の梅を楽しめました!

八重咲の梅
花だけじゃなくて、
幹や枝のうねりもすごく好き。

3月に入って満開のところも多いと聞くので、今週末にまた撮りに出かけようかなと企んでます…!



私にとって梅の花は、
1年の定点観測地点のようなもの。

これには2つの意味合いがあります。

1つ目は、季節の移ろいを確かに感じるための一年の中の大事なポイントであるということ。

梅、桜、紫陽花、ひまわり、彼岸花、紅葉…
と1年を通して季節と植物のサイクルは連動して巡っています。
植物が毎年ある時期に花開くように、人間にも「この時期は調子がいい」というような生命活動のサイクルがわずかながらあるように思います。
私が梅に特に惹かれるのは、私自身の生命活動が活発な時期、生の実感が強い時期が梅と同じ1〜3月だからなのかもしれません。

地球・生命の周期的なうごめきを象徴的に感じとれるのが「植物が花開くこと」であり、その重要な一点として私は無意識的に「梅」を選んでいるようです。

巡りの中の一点


2つ目は、自分の状況や心の状態を定期的に観測・記録するためのトリガーであるということ。

梅の開花をトリガーとして写真を撮るという行動を起こすことで、毎年ある一定の時期に一定の方法で自分自身を観測することができます。
そして、撮った写真にはそれがありのままに残ります。

単純なところだと、撮影地や撮影時期(開花状況)の情報から、その当時の住んでいた場所や生活スタイル・忙しさといった自分の置かれていた状況がわかります。

学生時代にお気に入りだった場所の梅。
学生最後の年は、3月に入ってようやく撮りに行けた。
修論で1〜2月は撮りに出かける余裕がなかったんだな…。


それから、これが最も大事なのですが、写真には当時の心の状態や思考・興味がありのまま映し出されます。
先ほど載せた学生時代最後の梅の写真も、清々しさや達成感、少しの寂しさなど…言葉にすると単調になってしまう複雑な感情が映し出されている気がします。
(「修論が終わった」という具体的な背景はもちろん自分にしかわからないけど、それによって自分の中で発生した思いや感情は写真の印象としてぼんやり記録されているなと思います。)

手癖ではなくちゃんと撮った写真には、意図的であれ無意識的であれ撮影者の内面が自然と反映されるものなんだろうな。
梅という同じ被写体を撮り続けているからこそ、
その内面のぶれを観測できて面白いです!


時間が経って見返したとき、あのときの自分は幸せだったな、辛かったななどと懐かしく思い出せる写真を今後も撮り重ねていきたいです。
それから、単に自分が思い出せるだけじゃなくて、他者にもその感覚を想起してもらえるような「表現した」写真も増やしていきたいな。


今年の梅の写真はこんな感じ。

病んではないけど、
複雑な思いがこんがらがってる。
これはゴッホの「花咲くアーモンドの枝」を意識して
撮影・レタッチした写真。
ある意味で自分の興味が現れてる。
「組織の中の個」について考えることが増えた。


梅に惹かれる理由は他にもたくさんあってそれについてもいつか書きたいんだけど、とにかく梅の写真を撮りにいく習慣は今後も大切にしていきたい習慣です!

10年目には定点観測の結果をまとめた写真集を作りたいな〜
写真の表現力も鍛錬し続けていきたいです💪

それでは!

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