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ハリネズミと暮らして人生が変わった人の話

ちょっとおおげさなタイトルを付けてしまいました。

ここに書いた内容は、ハリネズミをお迎えしてお見送りした経験を持つ大勢の同志(勝手ながらそう呼ばせていただきます)には当たり前の素朴なエピソードです。ただ、この経験が私の人生のアクセルになり、現在ハリネズミ一色になったことは間違いありません。

きっかけは…

私がハリネズミを飼い始めたきっかけは、わずか11歳で難病が発症し、現在も入院生活を続けているUくん(仮名)に毎日の楽しみをつくってあげたいということ。

当時Uくんは病室内でノートパソコンを使うことが許されていました。Skypeを使って通話もしていたので、Webカメラやネットワークカメラで動物の映像を見られるようにすれば、退屈な入院生活も少しマシになるかもしれない。そう考え始めました。

私はアパートで一人暮らし。動物は元々好きでした。幼い頃よく遊びに行っていたおじさんの家の近くで馬を飼っている家があったこと(今考えるとなかなかパンチが効いてます)、自転車で少し行ったところに鹿やキツネがいる森があったことなど、動物が身近だったことが理由かもしれません。小学校の卒業文集では、「将来なりたい職業」欄に「ぞうさんの飼育係」と書いたことを覚えています。

実家ではワンちゃんを飼った経験が2度あり、犬が飼いたいなと思いました。でも、当時暮らしていたアパートではワンちゃんやネコちゃんは飼えません。いろいろと調べていると、ウサギ、ハムスター、ハリネズミといった小動物なら大丈夫かもしれないことに気付き、具体的に考えはじめました。

早々にウサギは候補から消えました。それは子どものころ、ご近所付き合いの一環で数日ケージごとうさちゃんを預かった記憶が蘇ったからです。けっこうケージが大きかったこと、ふれ合おうとしたら制御不能になって、あっちこっち走り回られて、うんちをポロポロ…となってしまいました。

そして残ったのはハムスターかハリネズミ。子どもの頃、実家で弟がハムスターを飼っていた時期があったのですが、その時私は、もうちょっと大きい動物のほうが好きだということに気付きました。そっちのほうが、見る楽しみもふれ合う楽しみも大きいように思ったからです。それで、体がまあまあ大きい動物としてハリネズミはどうだろう、と考え始めました。

調べていくと、鳴かない、ケージの大きさもそんなに大きくないといった、ポジティブな情報が出てきました。当時、インターネットでハリネズミについて調べても、うんちがいっぱいで毎日掃除が必要だとか、温度管理がシビアだとか、深刻な病気にかかることもあるとか、そういった情報はすぐに見つかるところにはありませんでした。
そのため、とにかくポジティブな情報に満たされた私は心の中でお迎えを内定して、Uくんに相談。楽しそうな出来事です、当然喜んでいました。

何の知識もなくペットショップで初のお迎え

善は急げというか、飼いたいとなったら頭の中はそのことでいっぱいです。寒さの厳しい1月末の休日に、早速東京・新宿にあるペットショップに出向くと、1匹だけメスのハリネズミが水槽の中で眠っていました。初めてですし、何をどう判断すればいいのかわからない状態です。即決でその子をお迎えすることにしました。
飼育用品は何も用意していませんでしたが、ペットショップだし何でもあるだろうと思って向かったので、店員さんにお任せして、一式を揃えてもらいました。

振り返って考えてみると、ペットショップの対応は利益優先で初心者への配慮に欠けていましたね。ケージはハリネズミの飼育には小さいルーミィ60、回し車もハムスター用の小さいもの、自社ブランドの床材や砂、某社の食いつきの悪いおやつ。ハウスは用意してもらえませんでした。また、温度環境やエサのあげ方などの指導もありませんし、アフターフォローについても説明はありません。

早速、Uくんに名前を考えてもらいました。数時間じっくりと考えて「きょうちゃん」に決まりました。あだ名ではありません。「ちゃん」までが名前ですので、ちゃんをつける場合は「きょうちゃんちゃん」となります(笑)。Uくんは生粋の日本人ですが、ちょっと日本語の使い方が独特な子なのです。

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さて、ペットショップで揃えてもらった飼育環境できょうちゃんの様子を数日見ていて、わからないこと、知らないことだらけだなと気付きました。とにかくハリネズミを飼わなきゃという一心で下調べが不十分だったのです。それからネットで飼育環境の情報を調べて、大きいケージや回し車、ハウスなどをネットで買い直しました。

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ここまでの体験がハリんちの心臓部になっています。「とにかく飼ってみたい」という気持ちが先走るのはよく理解できますし、そういうときに必要な情報とものを提供する人がいるといないとでは大きな違いが出ます。そのことを実感して始めたのが情報サイト運営、ハリネズミバー、生体販売、飼育用品販売です。

だんだんどんな子なのかわかってきた

きょうちゃんとの日々を重ねるうちに、うちの子はどうやら怖がりで人慣れしていない子だということがわかってきます。当時、人慣れしていない子が人に慣れる方法なんてまったく想像もつかず、こちらの気持ちに応えてくれないきょうちゃんに対してさほど愛情を持てないまま過ごしていました。もちろん、元々動物好きで、お世話も好きな性格。掃除や食餌、様子の確認は毎日苦もなくやっていました。その一方で、自分がのめり込めていないことを自覚していたという状態です。
Uくんのほうは、きょうちゃんの姿を毎日ネットワークカメラ越しに観察するのを楽しみにしていました。「朝こっち(レンズ)を見てた」「カキカキしとった」。暗視対応のネットワークカメラにしたので、夜中に目が覚めてチラッと覗き、爆走しているきょうちゃんを見て安心して眠ったこともあったようです。いい刺激になっている、それだけで私は満足でした。

突然訪れた重病、ハリ飼いになった日

お迎えから1年が過ぎたある日の朝、ケージの掃除をしようとケージを覗いたら、ホイールの上に何かの内臓のようなものがありました。500円玉大と大きめのもので、生臭いにおい。何があったのか想像もつきません。とにかくびっくりして心配になり、このとき初めて動物病院に連れて行きました。

早速、獣医さんにその内臓のようなものの写真を見せましたが、何なのかはわからずじまい。何か異常がある可能性が高いのでレントゲンやエコー検査をしましょう、ということで調べてもらいました。結果は、(今思えばまだ1歳2~3カ月と若いのに)子宮に腫瘍。ハリネズミを飼っていて「腫瘍」という言葉を聞くとは夢にも思っていませんでした。

手術費用は11~20万円ほどと告げられた直後、かなりうろたえました。

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こんなにお金がかかるとは想像していなかったためです。でも、数時間考えて、Uくんもかわいがっている子ですし、人として手術しないという選択をするなどありえないという結論に達しました。

手術当日の朝、眠そうなきょうちゃんをキャリーに入れて動物病院に向かい、よろしくお願いしますと預け、ぼんやりした気持ちで半日を過ごしました。夕方病院から電話があり、手術は成功したと聞いたとき、一気に全身の力が抜けました。知らず知らず、緊張で全身がこわばっていたんです。
体力があって元気なので、1泊せずに連れて帰ってもいいということで、夕方、迎えに行きました。飼い主と対面しても、相変わらず無愛想というか何の反応もないきょうちゃんですが、私はとてもうれしくて抱きしめたい思いでした(無理ですが…)。

そのとき初めて、心からきょうちゃんが愛おしいと思うようになりました。

不思議なもので、その日を境にこの子のツンケンした態度も、エサをもらったらさっさと引っ込んであっち行けとでも言わんばかりに鼻を動かす仕草も、すべてが愛おしく感じられるようになりました。

今思えば、このときやっと「ハリ飼い」になれたんです。お迎えから1年2カ月もかかってしまいました。

術後、ケージに戻してから、がんばったご褒美にと大好きなリンゴを食べてもらいました。

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後日、病理組織診断書の説明を聞くため、ひとりで動物病院へ。簡単に言うと、腫瘍はすべて取り切れていると思うし、心配ないと思うが、取り切れていない可能性もある、ということでした。

こういうとき、お医者さんはあらゆる可能性を考えて断言はしないものだと思っていたので、私は「大丈夫ってことだ」と受け取って、安心した気持ちで病院を後にしました。

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また訪れた危機

きょうちゃんの様子は以前と変わらず無愛想なのにもかかわらず、私はハリちゃんがいることが精神安定剤のようになりました。元気に生きていることがただただうれしく、表情や仕草のひとつひとつが愛おしい。

ホイールに内臓のようなものがあった日から1年が過ぎ、2月。
きょうちゃんが2歳3カ月になろうとしていた頃、食欲が急に落ち始め、運動量も減ってきました。心配になってまた動物病院へ。以前子宮摘出の手術を担当してくださった獣医さんを指名して、状況を説明しました。

先生にレントゲンと超音波(エコー)検査をしてもらった結果は決して良好ではありませんでした。
心臓付近に腫瘍がありそれが臓器を圧迫。痛みを感じていると思います、と告げられました。

「痛みを感じていると思います」。この言葉と告げられたときのショックは今でも忘れられません。自分は飼い主としてそれをわかってあげられていなかったという、驚きと恥ずかしさです。

以前子宮を摘出した時に「万が一」と告げられていた、その万が一に当たってしまったのです。

さらに先生は、目に涙を浮かべながら、患部が心臓近くのため、手術はできないと私に告げました。

とにかくこの子の体が楽になるようにと痛み止めの注射をし、薬をもらい、帰路につきました。私は、きょうちゃんが痛がっていることに気付けなかった自分が情けないことと、近いうちに死んでしまうんだということがまぜこぜになって、涙が止まりませんでした。

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介抱、喪失

あとどのくらい生きられるのかわからない、日に日に食欲が落ちていくきょうちゃんを介抱する日々が始まりました。体重もゆるやかに減り、活動量が減っていきました。後ろ脚が動かなくなり、前脚だけで這って移動するようになりました。また、痛みが襲ったときには、急にバタバタと激しく動くこともありました。

焦げ茶色のうんちも出なくなり、緑色で水っぽいうんちに。さらに水分が減って粘り気のある緑色のうんちばかりに。粘り気のあるうんちはおしりにくっついたままになり、お湯で濡らしたタオルで拭き取ってあげるのが日課になっていました。

もう少しで春本番という日の夕方、職場からネットワークカメラ越しに様子を見たとき、悟りました。
ネットワークカメラからの映像はいつもノイズ混じりでしたが、毎日見ていると、呼吸で体が動く様子もわかるようになります。送られてきた映像からは、それがまったく感じられなかったのです。

すぐに職場を早退して自宅に戻りましたが、やはりそうでした。

きょうちゃんを抱き上げたとき、生まれて初めて大きな声を上げて泣き崩れました。

自分のペットの亡骸に触れたのはこのときが初めて。
過去飼っていたワンちゃんも死に目に立ち会えていません。最初のワンちゃんは私の母が私たち子どもの知らないうちに保健所に連れて行き処分、次のワンちゃんは私が上京して数年後に地元で亡くなっています。ハムスターも私が知らない間に亡くなり埋葬されています。
初めて愛する者の死に触れたと言えるかもしれません。

その頃、Uくんと連絡ができる日は、病院のルールや治療内容によってまばらになっていたのですが、その夜はしっかりSkypeがオンラインに。落ち着いて伝えようと思いましたが、うまくできませんでした。改めて一緒にきょうちゃんに感謝をし、悼みました。

2日後には火葬を終え、小さな骨壺が帰ってきました。

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小さないのちひとつがいないだけで、家の中が静まりかえります。何も考えたくない気分で、掛け時計から聞こえる秒針のコツ、コツという音にボーッと耳を傾けていました。
空っぽになったケージは片付ける気も起きず、ずっとそのままにしておきました。

ハリ沼の入口へ

きょうちゃんを亡くしてからというもの、ハリネズミのことが頭にこびりついて離れません。四六時中、きょうちゃんのお迎えからお別れまでのできごとが脳内を巡っているのです。

亡くしてから10日ほど経ってから、寝る前に動悸がするようになりました。急に心音が「ドクン」と鳴ったり、鼓動のペースが乱れるような症状です。病院で検査をし、さらにホルター心電図で24時間診断をした結果、不整脈が出ていました。ただ、他の検査と総合すると深刻な病気ではなさそうとのこと。「最近何かストレスになることはありませんでしたか?大事な人を亡くしたりですとか」と尋ねられ、ああ、と思いました。

このとき、自分の体のことよりも、「ハリネズミはすごいな」という、感動に近い感情を抱いたことを覚えています。これがきっかけになり、私が一生をかけてしたいこと・できることの候補に、ハリネズミに関わることというものが加わったように思います。

再びハリネズミをお迎えしようと思い至ったのは、きょうちゃんが亡くなってから約1カ月半が過ぎた頃でした。ハリネズミがいなくなったことで、毎日がさみしく感じるようになったという理由もありますが、それ以上に前向きな気持ちがありました。やっぱり動物ってすごいな、一生をかけて打ち込めるものだよな、という思いです。

懐くとか懐かないとかそういう問題ではない。ただそこにいてお世話をさせてくれる、それだけで気持ちが充実するという、理屈を超えたもの。あんなに小さな動物なのに、人間とは何なんだろうと考えさせてくれる存在でした。

片耳がない男の子

次にお迎えした子は、5,000円で叩き売りされていた、片耳がない男の子でした。

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なぜ片耳がないのかペットショップでも理由はわからないとのことでしたが、傷跡みたいなものがあったので、親兄弟にかじられたのでしょう。触らせてもらったところ、まったく物怖じしません。「小さいうちに片耳をかじられてトラウマにもなっていないのか」と妙に感心してしまい、吸い寄せられるようにお迎えを決めました。

Uくんは、この子を元気くんと名付けました。
お迎え翌日の朝、ケージの中がうんちとおしっこでこれでもかというくらいめちゃくちゃになっていて、「ああ、これだよなぁ」と妙にうれしかったことを覚えています。

私の動悸は、その頃もう起こらなくなっていました。

ハリネズミの可能性に賭けたい

元気くんは物怖じしない子だということもあって、飼育に関する仮説検証にいろいろと付き合ってもらいました。発見があるたびに感心し、さらにハリネズミにのめり込んでいきました。またその頃、もうひとりのハリんちの立ち上げメンバー、ハリネズミバーの店長が飼っていた三太郎くんと蕾ちゃんの行動からも学ぶものがありました。この2匹の間にはハリんち産まれ第一号となる花くんが誕生。さらにハリネズミの奥深い世界に踏み込むことになります。

私は元々雑誌や書籍の編集者を生業にしていたこともあり、ハリネズミを飼いたい人、飼っている人に情報発信をしていきたいという思いを持っていました。その形のひとつとして、まずharinchi.comというサイトを立ち上げました。

そして、ハリネズミをよりよく知ってもらうために、ハリネズミバー ハリんちを大阪中崎町にオープン。これは、カフェ形態のハリネズミスポットに対するアンチテーゼとして開店したお店です。

私は、本来夜行性であるハリネズミを日中、ライトをガンガンに当てて無理矢理起こして接客させることに強い違和感を持っていました。とはいえ、ハリネズミのことを知ってもらう場所はあってほしい。ならば、夜営業のハリネズミスポットをつくればいいんじゃないか。そう考えてお店を始めました。

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現在、コロナ禍であることに加え、飲食店経営初経験のため、お店がうまくいっているとは言えない状況です。とはいえ、物販や生体販売、ダブルワークでこの難局を乗り切るべくもがいています。

一匹の小さないのちに突き動かされ、ここまで来てしまいました。もちろん、まだまだこれから。ハリネズミに関わることでやってみたいこともたくさんあります。ハリちゃんと並んで地道に歩を進めていきます。

私の体験談はここまでです。

ハリんちにはハリネズミバーの店長もいます。店長には店長の物語がありますので、それはぜひ大阪中崎町の店舗で。グラスを傾けながら話し込んでみてほしいと思います。


こぼれ話

ハリんちの子の中には少し変わった名前の子がいるのですが、その理由は、名付け親の大半はUくんだからです。

まずは「きょうちゃん」。前述の通り、「ちゃん」は名前に含まれるので、愛称を付ける場合は「きょうちゃんちゃん」となります。私が「変な名前!却下!」と一蹴できなかったのは、由来が「今日ちゃんと頑張る」というUくんの闘病に対する気持ちだったからです。

その他、「元気」「姫」「カルビ」「コロ」「夏」「音」「ごましお」「いちご」「ハミィ」「ハリン」「チクリン」もUくんが命名した子たちです。カルビは病床にあって食べたいものが食べられない事情から出てきた願望、コロは私が飼っていたワンちゃんの名前(保健所で殺処分されてしまった事情をUくんは知っていました)、ハミィは闘病生活の中で楽しみにしていた漫画『ピューと吹く!ジャガー』(うすた京介)に登場するキャラクターが由来です。

現在Uくんはパソコンの使用が体への負担になるからなのか、病院のルールなのか、パソコンは使えない状態で日々闘病しています。入院からかれこれ14年。Uくんは人生の半分以上を病床で過ごしているということになります。

どんな事情の人であっても、よりよく生きる権利は保障されてしかるべきです。もちろん治療は最優先ですが、過去にUくんと話していて、お医者さんや看護士さんが行う「心のケア」は不十分だと感じました。
また以前のように、パソコンで日常的に連絡が取れる日が戻ることを切に願います。そして、きょうちゃんと元気のことを共に振り返り、さらにその後の出来事すべてを、何日もかけて話したいです。



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