私がホラーが苦手な理由

唐突な話をしよう、そうタイトルを見れば分かる通り
私はホラーが苦手だ。

ホラーというジャンルの作品も苦手であれば
実生活において、それらを体感する事も苦手だ。

だが、ふとした時に考えてみた。
私はどうしてホラーが苦手なのだろうと。

映画やアニメの創作を見るのは好きだ。
そこには残酷な描写を含んだものもある。
しかし、それら全てが駄目な訳でもなければ
それら全てが受け入れられる訳でもない。

中には見れない作品だってある。
だが逆に、どうしてホラーが苦手なのにその作品は見れるのか不思議に思われる作品もある。
故に、私は考える……どうして、大丈夫な作品とそうでない作品があるのかと……。
そして、ある時に気付いた。
そうか私は、ただ【恐怖だけを感じる作品が駄目なのだと】。

ここからは私の勝手な解釈だが
ホラーは、【人に恐怖を与えることが最上級の目的】だと思っている。

登場人物の台詞、情景描写、そしてそれらによって形作られる恐怖という名の空間。
ただ、恐怖という一つの感情を与える為だけの演出。
それらが苦手なのであると。

そして、私が見ることができる作品は【絶望】はあっても【恐怖】はないのだ。
絶望は希望に転じるという事があるように、絶望は終わりではない。
新たな希望に繋がる道標という側面もある。
だが、恐怖に続きはない。なぜならそこが終点だから。

恐怖は闇だ、そこから先に進めない完全なる闇。
闇は死を連想させる、だから暗闇に恐怖を感じる。
逆説的に考えれば、恐怖を感じるという事は命の危険を感じている。
という解釈はできないだろうか?

だから私は、恐怖を感じる事を恐れて、ホラーを見れないのだろう。

これを読んでいる人は、命を感じたことはあるだろうか?
私は、ある。

たった数秒前まで言葉を交わしていたのに
触れた身体から何かが抜けて、消え去る感覚。
肉体はそこにある、だが身体から熱が消えた。

人を人たらしめていた魂ともいえる存在が
この世から亡くなった。

あぁ、これが人の死なのかと痛感し
私は心の底から恐怖した、自分も何かの拍子にこうなってしまうのではないかと。

だから私は、恐怖を避ける、ホラーを見ない。
大昔の人がカメラで撮影すると魂を抜き取られてしまうと恐れたではないが
ホラーを見て、恐怖を感じると魂を連れてかれてしまうと私は内心で思ってるのかもしれない。

実生活で人がいればホラーを見れるのはきっと
人に触れている間は、人の魂を感じられるからなのだろう。
魂を感じられるという事は、自分はまだ大丈夫だと安心できるからだろう。

まぁ、どの創作もそうであるように
ホラーも奥が深いものだと理解している。
だが、それを理解して尚拒絶するのには理由があるのだと理解してほしい。

長くなったが結局言いたいのは……

ホラーを見るのもホラゲーやるのも嫌だなぁ……ってこと。

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