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行き過ぎた資本主義が嫌いだ

ストレスの敵は何だろう

私は行き過ぎた資本主義が嫌いです。

世界中がストレス過多な時代。そこには複数の因果関係が絡み合うため、具体的なひとつの原因はありません。

世の中、特定の政治家や経営者が悪いわけではありません。そこを肯定してしまうと陰謀論。

本当に社会は複雑なのですが、個人的に嫌いになってしまったものが一つあります。

「行き過ぎた資本主義」です。

資本主義ってこんなんだっけ

だからと言って社会主義(or共産主義)が理想だという意図ではありません。私が享受している経済基盤や農工業の発達も資本主義の成果です。むしろ大感謝レベル。

ただ、どうも行き過ぎてると思うのです。「資本主義の奴隷」なんて言葉もありますが、現代人は明らかに働き過ぎです。

世界的に労働時間が徐々に減っているとはいえ、社会インフラを維持するだけの最低労働時間に対し、労働時間は供給過多。ほぼ無意味な管理業務や雑務の増加など、いわゆる「ブルシットジョブ」が社会的に増えすぎました。

労働者をギリギリまで働かせるのは経営者にとって当然のこと。経営者も株主からのプレッシャーに日々晒されています。

絶対的な資本主義という社会基盤の上で、各層が資本を求めて当然の経済活動を行っているに過ぎません。

そんな中で犠牲になるものは何でしょう。

「資本と見なされない大切なモノ」かもしれません。

例えば「優しさ」とか「人間性」、「倫理観」が該当しそうです。

「資本」ではない、つまり「直接的にお金に換算されない価値」はやっぱり犠牲になるもの。上の階層からは数字しか見えませんから。

株主が経営者に、経営者が労働者に。とにかく結果を、数字を求めたことで、たくさんのモノが犠牲になっています。

以上が「行き過ぎた資本主義」の問題かと思っています。

この社会に抗うために

「上司がムカつく」とか「社長がクソだ」とか、一見個人レベルの問題のようで、実は社会構造の問題が絡むことはよくあります。

世の中、上には上がいます。

構造的に「優しさ」などの人間味は徹底的に排除されており、どこまで行っても救われないものです。

だから、私は決めました。この行き過ぎた資本主義社会に抗うことを。

できる範囲で、私なりのやり方で。

会社を辞めて、個人事業主になることにしました。
経済活動を最小限にして、自ら野菜を作り、不用品を修理して使うことにしました。
結婚も育児も望まず、人付き合いも可能な限り避け、低コストで生き続けることにしました。

GDPに全く貢献しない、「ただ生きてるだけの人」になるわけです。

もちろん実際は復讐心だけではありません。個人事業に憧れはありましたし、野菜作りや不用品修理は趣味です。さらに、ひとりで過ごすことも大好きです。

その上で、行き過ぎた資本主義に対する個人レベルの精一杯の反抗がコレです。

行動力のある人なら、社会をより良くするためにデモを起こしたり選挙に出たりするのでしょう。私はその気力も興味もありません。

というわけで、表向きは誰にも文句を言わずにひとり静かに生きている人になるのです。

たまにnoteでこうして毒を吐きながら。












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