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著者の息遣いが聞こえる。私のお守りの1冊。『聞くこと、話すこと。』〈レビュー〉

私にとっての本当に好きな本、本当に大事な本は、実は少ない。その中でもこれは、今の私がお守りの一つに数える本だ。

尹さんの肩書きはインタビュアーと作家。執筆業のかたわら、生きづらさを抱える人の話をひたすら聞くことで解決の糸口を探る「インタビューセッション」という試みをおこなっている。著名人から一般の依頼者まで、これまでに1000人以上の話を聞いてきたそうだ。

この本では、『ドライブ・マイ・カー』で知られる映画監督の濱口竜介さん、沖縄で非行少女たちの調査をしている上間陽子さん、ケア技法「ユマニチュード」の提唱者であるイヴ・ジネストさん、自殺願望を持つ人々の相談を受けてきた作家の坂口恭平さんへのインタビューを通して、「聞くこと」と「話すこと」について4人がそれぞれ考えていること、そして尹さんが考えたことがつづられている。

尹雄大『聞くこと、話すこと。 人が本当のことを口にするとき』(大和書房) 2023年5月8日

聞く・話すというと、とても基本的なことに思えるが、いったいどれだけの人がそれを本当にできているのか。私たちは、同意と盛り上げのためだけのお決まりの内容ばかりをしゃべり、相手の話を咀嚼せず簡単にジャッジしてはいないか。そこには血が通っているか?

尹さんが大事にし、実践しているのは、「体で聞く」ことだ。ちまたにあふれるコミュニケーション術とは正反対の方向へ、この本はずんずん歩いていく。

私が惹かれたのは、ジャンルに分けられないその書きぶりだ。エッセイにしては専門的だし、いろんなことに踏み込みすぎている。かといって、実用や自己啓発にはとてもじゃないがくくれない。思慮深く、しかし赤裸々で、事実に即して書いていながら、散文詩のような印象さえ受ける。きっと、尹さんが自らの頭の中を書き表すにはこの文章しかなかった、という文章。息遣いすら聞こえてきそうだ。

特に何度も思い返すのが、おおむね落ち着いた印象を受ける尹さんが、イヴ・ジネストさんのケアの映像を見て動揺する場面だ。認知症の男性とイヴさんのあまりに人間的で親密な様子に、「そうはなれない自分に気づいて、イヴさんの示す親密さを拒絶したくなった」と書いている。

自分は、相手に身を委ねることに恐怖を抱いている——。本書には、尹さんが少年時代に「聞くこと」も「話すこと」も苦手になるきっかけとなった、父親のことも書かれている。こんなにも自身を晒して書き、考えていくところに、私はたまらなく惹きつけられた。そこに確かに尹さんの体温を感じたからだ。

「聞くこと」と「話すこと」を考え続け、実践し続けている尹さんは、拒絶の気持ちを「どうしてこうなんだ」と責め立てたりはしない。自分の内なる声にもじっと耳を傾ける。

他人の話を聞く前に、自身のジャッジを形成するに至ったストーリーを知り、その顚末を最後まで聞きとり、それを手放さない限り、私たちは相手の話を聞くことができない。本当に尊重することができない。

ありがたいことに、会社の仕事で本の著者にインタビューできる環境にいた私は、どうしても尹さんと話したくてその機会を作っていただいた。Tシャツ1枚の軽装で現れた尹さんの、あの誰とも違う空気感をずっと忘れられない。話す時の尹さんは、手元に視線を落とし、テーブルに置いた腕の中に、何か大事なものを抱えているかのようだった。半分は私に、半分は自分自身に話しているように見えた。私にはそれがとても心地よくて、でも繊細なガラス細工を前にしているようでもあって、少し怖くて、眩しかった。

私からのインタビューがひと段落すると、うずうずしていたといった感じで尹さんが私に問いかけてきた。手品で連なったハンカチを引っ張り出されるように私が話したのは、詳細は忘れたが個人的なことだったと思う。会社で、しかも仕事相手にそんなことを話すというのはものすごくぞわぞわ、そわそわした。うっかりすると泣きそうで、私は笑ってごまかした。

私は、聞くのも怖いし、話すのも怖い。だけれどそれを求めている自分もいる。求めているからこそ、尹さんに会いたいと思ったのだろう。

もう一度会いたい、そして今度は聞いてもらいたい。私は頼りすぎはしないだろうか。セッション代を払って会社でないところで聞いてもらったら、余計なことを考えずに済むだろうか。次の機会を作るにはまだ踏ん切りがつかない。聞くことも話すことも怖くなくなる日を、この本と一緒に待とうと思う。


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