ある友人の思い出

中学生だった時、私は孤立していた。
入った学校が超がつくエリート進学校だったから、
会話も何となく合わず、塾に通っている連中だらけの
派閥のような集まりに磁石のように反発し、辟易もしていた。

そんな中出会ったのがもっちゃんである。
もっちゃんはすんごい変わってる子だった。
受験して入った進学校なのに、勉強も運動も大嫌い。
とにかく親に反抗して育ってきた根暗な子だった。
そんなもっちゃんと私は席次が近いこともあり
次第に一緒に行動するようになった。

もっちゃんが大好きだったのがゲームとパソコンである。
最初はゲームボーイで遊んでた気がするが、結局行き着いたのは
PCゲームである。彼はFPSが大の好物だった。
私はというと、FPSはそこまでハマることはなかったが、
付き合い程度にCoDやバトルフィールド1942などやっていた。
二人ともオンライン対戦の可能性を感じていたのは事実だ。
他にもじゃが島戦記譚やポトリス2など、無料で遊べる
Webゲームを夜中まで遊んでいた。懐かしい。
ちなみに当時はMSNメッセンジャーでやり取りしてたような気がする。

よく秋葉原に出かけてはツクモ.exやドスパラ、今は亡き
クレバリーなどを見て回った。信じられないかもしれないが
中学生の頃は週5回ぐらい秋葉に繰り出していた。
当時はコンカフェなんかおろか飲食店もそこまで多くなかった。
ギャルゲーやエロゲーは多少あったかもしれない。だが正直
同人やエロというものに中学生ながら敬遠があって当時はひたすら
PCパーツ店をうろうろしていた。

彼の尊敬するべきところとして記憶力の良さがあった。
店に貼り出しているHDDの価格表なんかをじろじろ見ては
型番で覚えてしまうのである。例えば日立のHDDなんか
HGSTうんちゃらかんちゃら…という風に
私にも話すもんだから、会話に追いつくために私もしぶしぶ
型番を覚える羽目になった。しかしこれは後々仕事でも役に立つほど
良い勉強であった。私ともっちゃんの学校は秋葉原だったかもしれない。

そのうち自作欲が高まって二人ともついにPCを自作することになった。
私の主な自作構成だが、確か

・マザーボード:ABIT NF7-S
・CPU:AMD AthlonXP 1700+(通称苺皿)

だったのは覚えている。苺皿というのは
1.5V電圧のThoroughbredコアだから、某掲示板界隈でそう呼ばれていた。
発熱を抑えながらオーバークロックやダウンクロックが出来ると言う
当時は無限の可能性を秘めた文字通りのサラブレッドだったのである。

もっちゃんの自作構成はIntelだったことは覚えている。
私はAMD派、もっちゃんはIntel派とはっきりしていた。
それ以来、私はAMDのファンで筋を通してきた。
(一度裏切ってIntelで組んだこともあるけど…)
何しろ自分が使うPCは全部自作で、友達のも含めたら
現在まで10台近く自作経験をしてきた。それが仕事になったのだから
好きこそものの上手なれ、というのは本当なんだろう。

自作PCというのは、動かないことが当たり前で
それを楽しめるかどうかなのだ。
決して動くことを期待してはいけない。
もし動かないときにワクワクできないようであれば
はっきり言って自作PCを趣味にするのはやめた方が良い。
手軽に思えるようで、自作PCは実際大変な趣味なのだ。

もっちゃんも自作PCは嫌いではなかったが、
動かなかった時に正直嫌になることもあるようだった。
私も動かなくて苦労したことは何度もある。
それでも原因を突き止めて起動できたときは何とも言えない
嬉しさがこみ上げてくる。
もっちゃんは自作PCではなく、その先にPCゲームをやりたいという
目的があったので、そこで若干私とは道を違えていった。

結局もっちゃんはPCゲームばかりやるようになって、
私は他の色々な興味もあいまって、だんだん一緒に行動することも
なくなってきた。そのまま高校を卒業した後、彼は行方知れずとなった。

忘れられない思い出が1つある。
中学時代、私はゲームボーイを校舎で盗まれた。
結局犯人は分からなかったが、そのとき彼も一緒に
探してくれたのだ。何というか、彼の性格からして
とても珍しい行動だった。他人の不幸は蜜の味ということわざがあるが
彼は地でそれを行くような根暗な性格だったのに
あのとき一緒に探してくれたのはとても感慨深い出来事だった。

私も彼も非常に成績が悪い落ちこぼれだったが、
何とか高校を卒業出来たのは本当に今になって良かったと思う。
特にもっちゃんは卒業後の進路も決まってなくて
そのままニートになってしまったのだが、どういうわけか
周りの友人も私も悲観する気持ちにはならなかった。
とにかく彼が卒業できたというだけで、大団円だった。

彼のことは何だか珍妙な友人のようで
私の人生を語る上でかけがえのない出会いのような気もする。
彼がいなかったら自作PCのモチベーションもなかっただろう。
反面教師のようでいて、つかず離れずの友人でいてくれた
彼に私は結局依存してしまったのかもしれない。
あまり丈夫な体ではなかったので、達者でいてくれたら
いいのだが。



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