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教育実習の思い出

大学に行くということは、人それぞれ目的があり、何かを得たいという思いから進学を希望するんだろうと思う。

しかし、私は明確な目的があって進学を希望したわけではなく、「まわりのみんなが進学を選択しているから自分もそうする」、「自分の今の学力でがんばれば手の届きそうな大学に行く」という何ともぼんやりとしたお恥ずかしい理由で大学を選び、普通に受験勉強して、普通に進学した。

家は裕福ではなく、私立の大学などとてもじゃないけど認めてはもらえなかったので、学費の安い大学、なおかつ最低限の生活費は自分で稼ぐという条件付きで進学を許してもらえた。
今考えると、大した目的もなく途方もない学費を捻出してもらったことに申し訳なく思う。


ただ一つ、大学に入ったからには、高い学費を払ってるわけだから、何か資格は取った方がいいという思いから、教員免許状取得のための単位は欠かさず選択し、履修していた。
先生になりたいなどという思いはこれっぽっちもないのに。
(教師の方々、本当に申し訳ありません)


大学四年生になり、教員免許状取得のためには、どうやら教育実習に行かねばならぬことが判明する。
かつて自分が通っていた高校に教育実習生として三週間実習を積まねばならないわけである。

私は恥ずかしながらそれが億劫で仕方がなかった。
楽しい楽しい大学生活を満喫していた私にとって、大して教師になりたいという思いも無い人間が、なぜ三週間も時間を取られないといけないのかと思っていた。
しかし、根は真面目なので、ちゃんと行きました。



いざ、教育実習が始まり、私の担当についてくださった先生(A先生とする)は、一言で言うと寡黙で必要なことだけ厳しく言う先生だった。
労うとか褒めるとかはあまり無く、私を本気で教師として育てようという気概を感じる先生だった。
ただ、当時の私にとっては、ひたすらに怖い存在でした。


言われるがまま、とあるクラスを担当することになり、生徒の前で挨拶し、実習の心得を教え込まれ、夜になり実習ノートを書いて帰宅するという初日が終わった。

実習ノートというのは、その日何をしたかを、具体的に、何を感じ、何を思ったかを書いて、A先生に提出するという物です。


次の日の朝、その実習ノートのA先生の私の文章に対してのコメントが以下です。

「自分の書く文章に責任を持つことを学びなさい。字は体を表すとも言います。心の込もった字を書くことが、読んでもらう場合の基本です」


朝っぱらから恐怖に慄きました。めちゃくちゃ怒ってる…
自分なりに丁寧に書いたつもりではあったんですが、さすが先生です。
こちらの思惑などお見通しです。


そうして始まった実習は、最初の一週間は他の先生の授業を後ろで見て勉強させてもらい、二週目から自分で授業を担当し、三週目から振り返り、まとめに入るという流れでした。

学生時代は、「授業を作る」ことがいかに難しいかなんて考えてもいませんでした。
私の担当教科は社会。
帰宅して、授業案を作るのに毎日明け方近くまでかかっていました。
緊張で夜も眠れず、一つの授業の中にあれもいれなきゃ、これもいれなきゃと考えるとキリがありませんでした。


次の日に初授業を迎える日の、私の実習ノートに対するA先生のコメントには、こう書いてありました。

「教える側の情熱、生徒への思いは、授業を通して伝わるものです。何かを伝えられるといいですね。先生の授業楽しみにしています。」


…やめてくれよ…楽しみとかプレッシャーでしかない…


初めての授業は、それはもうめちゃくちゃでした。
緊張で呂律は廻らず、自分でも何を言っているのかわかりませんでした。
あれだけ準備した資料も何一つ生かすことができず、生徒たちの目が点になっているのがよくわかりました。

その日の実習ノート。

「この1時間に全力を傾けて。授業は気合いだ」

気合いが足りなかったようです。


それから毎日のように授業が続き、慣れないながらも生徒との交流を深めていくうちになんとか慣れていく自分を実感していきました。

実習ノートには、授業をする上で、心がけることをより具体的に書いてくださっていました。

毎日、授業に臨み、受け持ったクラスをしっかり見て、放課後には部活も指導し、その日の振り返りを他の実習生同士で行い、明日の授業の準備をし、帰宅後も授業を練り上げる。
そんな日々が続き、私は先生って超人なんじゃないかと考えるようになりました。
私のようなペーペーの実習生にできることなど限られており、その上、保護者との関係やら、いじめの問題やら、他にもありとあらゆる雑務をこなす…とてもじゃないけど、私には無理だ…と考えていました。


日々、実習ノートを通して私にコメントをくれていたA先生は変わらず厳しかったです。
でも、その厳しさの中に少し優しさを感じることができるようになってきたのは、私の心に余裕が出てきたからでしょうか。

実習最終日前日。

「教員の多忙さ、大変さを理解してくれましたか。教えることは、クセになるとやめられなくなるんですよ。どんな場合でも、頑張っている人は輝いているものです。〇〇くんも輝いていましたよ。」

ギョッとしました。この日まで褒めるということがあまり無かったA先生が褒めてくれました。


実習最終日。

「この三週間、学生気分を忘れて厳しい実習生活を送ったわけですが、色々と勉強になったでしょ。その経験が宝物なのです。…人と関わり合いながら生きていくのが人間です。これからたくさんの人と関わりつつ、自分の夢に向かって突き進んでください。辛い三週間を乗り切った自信は何よりの武器になります。強く、たくましく、一歩ずつ人生を歩んでいってください。来春、いずこかの高校に赴任されることを強く願って筆を置くことにします。見事でしたよ」



この三週間。本当に得難い経験をさせてもらったなと今でも思います。

生徒の悩みに寄り添い、時には笑い、時には苛つき、時には騒ぎ…
A先生の言うように、人は人と関わり合いながら生きていくということを、この実習で学ばせてもらえたなと実感しております。


とはいえ、やはり教師は私には無理でした。
実習にいく前の教師という職業に持っていた勝手なイメージというのは変わりましたが、私には職業とするには無理でした。

せっかく実習の期間、全身全霊を持って私を指導してくれたA先生や、慕ってくれた生徒たちには誠に申し訳なかったですが、実習を通して改めて、教師という職業は誰にでも勤まるものではないということがわかりました。

生半可な覚悟ではなれるものではないし、仮に、なることができたとしてもすぐに見抜かれます。
というかその前に、生半可な覚悟では激務の前に撃沈すると思います。

教育実習生という、教師の教の字もわかっちゃいない人間ですが、教師という職業の異質さ、大変さというのは一端とはいえ実感できたかなと感じます。


私は大学を卒業後、まったく畑違いの世界へ飛び込んでしまいましたが、いつかまた、A先生に会えることがあれば、今も宝物のように持っている「実習ノート」を見せて、当時の私の情けない姿を肴にして、思い出話をしたいと思います。

○「かおるこ@先生を応援したい」様の企画に参加させていただきました。
○素敵な企画ありがとうございます!!


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