ヤスパースの思想とドイツにおける戦争責任
以下、学生のときにレポートで書いた文章をアップしておきます。確か、テーマはなんでもいいから文章を書けという課題でした。なぜか電子回路の授業で...。哲学も専門ではないので、間違っていることもあるかもしれないです。
ヤスパースは二十世紀ドイツの心理学者、哲学者である。彼は1883年に生まれ、ハイデガーなどと並ぶその時代を代表する哲学者としてキルケゴールなどの実存主義に影響を受けた人間の心理を重視した思想を展開した。ヤスパースの主な思想は実存主義についてであるが、それに基づいた国家観や政治観など、主張したことは多岐に渡る。今回私が調査したのはその中でも戦争責任に関することで、ドイツで戦争を経験した後にハイデルベルク大学にて行われた戦争責任に関する「罪責論」という講演についてとその背景にある人間観、ドイツが戦争責任をどう処理したのかということである。
大学で行われた講義の概要を要約すると次のようなものであった。集団としての罪と個人としての罪を完全に分けて考え、その罪を次の四つの種類に分類してこの反省を将来にわたって継承すべきであり、戦争に間接的に加担したナチスを支持してしまった、止めることのできなかった個々人としての国民をその国民自身が裁くことこそが重要になってくる。もし集団としての罪を問うだけであれば、何もかもが同列に罪を背負うことになり、戦争犯罪を実際に実行した者と一般国民の間接的関与を同一視し、戦争に直接かかわった当人が抱えるべき問題とそれぞれ個々人の問題が適切に裁かれず、単なる安易な断罪に過ぎなくなってしまうからだ。まずは、刑事上の罪である。これは為政者たちが行った犯罪、例えば侵略戦争を計画し実行したこと、捕虜虐殺や一般市民に対する不当な弾圧など裁判所で行われるべきものである。似たもののように思われるが政治上の罪はこれとは異なる。政治上の罪はすべての国民が負わなければならないもので、国家の教唆と権力によって個人が行った行為が対象となる。次は道徳上の罪である。ナチズムが台頭したこの社会にいることの恐ろしさから現実を直視しないでいた、圧政的な風潮において自己の中でナチズムの正当性を完全否定することができず、反対することができずにいたことに対する罪である。また道徳上の罪からは形而上学的な罪が派生する。これはどのように捉えていたかではなく現実として現状を止める行動したかどうか、しようとしたかどうかである。現に戦争を生き延びて生きているということは命を危険にさらすまで抵抗をしなかったからで、生きていることそれ自体が罪となる。
この講義の内容は独自性を有していて、その背景にヤスパースの実存主義思想を見出すことができる。彼の「真理と自由と平和」という著書によると、国家という単位で戦争に類するものがない状態である外的平和と、国家の中での内的平和があり、外的平和が達成させられるため内的平和が絶対条件となり、内的平和を保つためには他者との愛を伴った闘争が必要であるという。それは争いから逃れられない宿命の人間が、物理的な争いではなく共通の真理を探すための実存的な仮借なき闘いをする事を指しており、外的平和のためには自由になることが必須で、その真理と自由から平和が生まれる。戦争に関するこれらの罪は人間の連帯性の欠如によって行われ、愛を伴う闘争の拒否がもたらしたものであるということである。
ヤスパースの「罪責論」について簡潔にまとめたが、実際にドイツは戦争責任に関してどのような対応をしたのだろうか。戦後はすぐにニュルンベルク裁判が行われた。この裁判には戦勝国が敗戦国を裁いただけに終わってしまったという批判がよくなされるが、ヤスパースも同様だったようだ。また、連合国は非ナチ化を推進しようとしていたがドイツ側の行政機構に任せられたため、ナチ支持者の公職追放も不十分なまま戦後体制に移行してしまった。初代首相のアデナウアーは対外的な評価とドイツの建て直しのために戦後補償を進めたが、一方で国民統合の強化を図るため非ナチ化を批判した。ナチズムや共産主義が非ドイツ的いう理由で一般市民と区別された指導者のみに罪を擦り付けた。国民は自国の罪を認めずに戦争賠償とホロコーストの賠償だけが重視された。戦後まもなくはこのような状態であったが70年代にプラント首相の演説を契機に戦争責任を再認識する世論が高まっていった。
調査内容は以上であるが、ヤスパースの責任に対しての私の考えにとても近い。戦争だけでなく国が行った行為には社会の構成員である一人ひとりが責任を負っている。ゆえに単に平和をうたい、道徳的な見地から思考停止をして戦争を隔絶されたものとして一方的に否定するのであれば、そのような態度は次の戦争を生み出すひとつの要因となりうるだろう。それぞれの責任を自覚して主体性を持って考え、それを本気で他人とぶつけること、これがよりよい社会の形成につながっていくと思う。
浜田泰弘,”戦後ドイツの戦争責任論と罪責論に関する一考察”,”現代社会研究”,第7号,P99-107, 東洋大学現代社会総合研究所”
宇都宮芳明,”ヤスパース”p83-86,160,161,清水書院
石田勇治,”ドイツの歴史”92,93,河出書房新社
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