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ドイツ閉店法 寝坊した日のこと

先日、久しぶりに寝坊をしてしまった。
仕事には間に合ったけれど、ヒヤッとした。

寝坊をすると、ある一日のことを思い出す。

今日は、ドイツの閉店法について。Ladenschlussgesetz

私が学生だった頃、私の住んでいる街の商店街は、土曜日は14時までしか営業していなかった。
因みに、日曜日は営業していない。
学生寮は、街から少し離れたところにあったのでバスを利用していたが、そのバスは土日は一時間に一本しか走っていなかった。

私はある時、予定より大幅に寝坊をしてしまい、お昼の12時頃に目を覚ました。
慌ててバスに乗り込み、買い物に出かけ、問題なく食料を買えたのは良かったが、帰りのバスを乗り過ごした。
冷凍食材を買ってしまったか何かの理由で、重い荷物を抱えて、学生寮まで歩いたことがあった。

それ以来、寝坊するとこの日を思い出す。

加えて、もう一つ思い出すシーンがある。

『もう閉店時間だから、なるべく早く出て行ってもらえないか』

初めてこう声を掛けられた時に、私は少なからず驚いた。
スーパーの閉店10分前に入店したのだが、牛乳だけを買えば良かったから、充分に間に合うと思っていたのだ。

しかし、お店に入るなり少し嫌な顔をされ、こう言われた。
私は、そそくさと乳製品売り場に行き、牛乳だけを手に取り、レジに向かった。
なんて愛想のないスーパーだろう、とその時は思ったのだけれど、今はどのお店も平均的にそのようなものだと分かった。

日本では蛍の光が流れ、そろそろ閉店のお時間ですよ~と、やんわりとアナウンスされる。
お客が店内にいたとしても、自主的にお店を出ていくまでは、例え早く出て行って欲しいと心の中で思っていたとしても、温かい笑顔で丁寧に見送って下さるだろう。

ドイツでは、お客様は神様などではない。
レジの係のかたが、座ったまま作業するのも驚いたし、自分で買い物かごから買い物レーン(ベルトのようなもの)に商品を並べるというのも、初めての経験だった。

買い物に行くと、私は今でもほんの少し緊張する。
レジ係の人は、商品をスキャンしてそのままベルトで流す訳だが、私はそれを袋に詰めないといけないし、お金も払わないといけない。
なるべくテキパキやりたいのだが、いつになってもほんの少し緊張する。

ドイツには、閉店法という法律がある。
開店の許可ではなく、店を閉めなければならないという法律だ。
国で定めたもの、そして各州毎に定められた法律があるので、各州毎に変わってくる。

1900年、ドイツ帝国時代に定められた閉店法がルーツだ。
1957年、西ドイツにてこの閉店法が施行される。
開店して良いのは、以下の時間。

平日は7時~18時30分。
土曜日は7時 ~14時まで。

以後、この法律は改正されていく。
1989年: 木曜日のみ20時 30分まで営業可能
1996年: 平日 は20時まで、土曜は16時まで営業可能
2003年: 土曜日も20時まで営業可能

このように、段階的な緩和方向にあるということだ。

そもそも日曜日は、キリスト教における安息日。
日曜日のミサに皆を行かせるという意味合いもあったようだ。

現在においては、労働者を守るためという位置づけであり、ドイツ労働組合の力が強い。

日曜祝日は、全ての商店が閉まる。
(中央駅など、特定の場所においては日曜日も営業している)

年に何度か、開店が許された日曜日があり、街中はごった返す。
これほど日曜日に買い物したい人がいるというのは驚きだ。

また、この日曜日の位置付けは、買い物だけではなく、生活においても同様だ。
ドリルなどを使った騒音となる工事や、大音量の音楽などは、騒音として避けなければならない。

余談だが、コロナのロックダウンが噂されたころ、食料やトイレットペーパーの買い占め、買いだめがあった。

小売大手のALDIが、倉庫に山のように積まれたトイレットペーパーの写真を掲載し、買いたければ買え!というような挑戦的な台詞で、買い占めを抑制しようとしていたが、あまり効果はなかった。

ドイツではこのような買い占めのことを、ハムスター買いと呼ぶ。
ハムスターが、口いっぱいに頬張っていても、更に物を口に詰め込む様子に例えているのだそうだ。

ドイツではかつて冷戦時代に、自宅で充分な食料を保管・貯蔵する事が推奨されていた。
その指標として、2週間外に出なくても過ごせるようにという基準だったらしい。
瓶詰、缶詰などの保存食がスーパーの棚に多いのは何故なのか、少し分かった気がした。
この慣習が、特に年配のかたには色濃く残っているのか、保存食を地下に保管している家庭は今でも多い。

キッチンに冷蔵庫一台、地下室にも冷蔵庫一台、そしてコンビニのアイスコーナーほどの冷凍庫があるというのが、今までお邪魔した家々の様子だ。

このように、ドイツ人は、手元に充分な食料や備品がある事を良しとしている習慣があるのではないかと思う。
それが、コロナ騒動時のハムスター買いに繋がっているのではないか。

話は戻るが、この閉店法によって、労働者の権利が守られている。

休むことの権利。

それは、ドイツ人の労働に対しての意識が良く分かる法律だと思う。
この法律には、もちろん反対意見もある。
年々緩和されてきているのは、そのような意見が多いためだろう。

便利さだけを求めるのではなく、そこで働く人の権利を守る。
わざと『何もしない日』を作り、それを満喫する。
それが家族やパートナーとの時間、自分の為の時間になる。

何が正しいのかは、国の慣習や考え方、そして一人一人違うと思っている。

でも、こんな不便なドイツが、私は時々とても優秀に見えてくる。
私が日本で働いた経験が、そう思わせるのかもしれない。
働くためだけのために生きているような数年が、私にもあったからだ。

自宅には眠るためだけに帰り、寝不足のまま翌日に出勤する。
趣味などの時間も、全く作り出すことができなかった。

あの時を振り返ると、そこに戻りたいとはどうしても思えない。

ドイツで働くようになってから、この居心地の良さに感謝している。
ドイツ人は、バカンスのために働いていると揶揄されるほどだ。

日曜日は買い物ができないのに、街には結構人がいて、ウィンドーショッピングをしている。
買い物はできないから、本当にショーウィンドウを見るだけだ。

大抵の人は、一つ一つの商品を見ながら、隣にいる誰かと話している。
買うつもりなのか、買わないつもりなのか分からないけれど、あぁでもない、こうでもないと、延々と話している。
買わなくても、こういう楽しみ方があるのかと、私にとっては新鮮だった。

ドイツは、少し不便だけれど、居心地が良い。

日曜日は、森の散歩か、ウィンドーショッピング。
どちらも1セントもかからないけれど、隣に誰かがいてくれたら、楽しくなる。

それこそが、値段の付けられない価値なのかもしれない。

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