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二人の転校生

おいでませ。玻璃です。

私のクラスに時期をずらして二人の転校生がやって来た。

一人は、東京から来たタムラさん。
彼女は少し茶色い髪の毛でマッシュルームカットの色白の子だった。

友達とタムラさんの家に遊びに行くと、お母さんがとても喜んでくれて、おしゃれなグラスにオレンジジュースやミルクセーキをたっぷりと入れストローを差しておやつと共に出してくれた。

タムラさんは宝物入れのお菓子の缶を持ってきた。
その中にはたくさんのサンリオグッズが入っていて、それを広げて見せてくれたときは、みんな口々に

「わぁ!やっぱり東京ってすごいよね。」

と、グッズを手に取り、感動していた。
今思えば、数がたくさん入っていただけで、萩にも売っているものばかりだった気がする。

そんなある日、公園で遊んでいた私たち仲良しグループの一人が転んで膝をすりむいてしまった。

「大丈夫?血が出とる!」
「痛そうやね~。」

と私たちが声をかける中、タムラさんは

「平気?」

と尋ねた。

平気…?私たちの地域ではまず使わない問いかけだ。

「はぁ~やっぱり東京の人は違うね。」

ある時、ひょんなことからタムラさんと意見が食い違ったことがあって少し喧嘩のようになってしまった。
その日以来、

「やっぱり東京の人ってあんな感じなんやね。」

と距離を置くようになった。
タムラさんは休み時間も一人でいることが多くなってしまった。
あの時のタムラさんの一人で座っている背中を思い出すと今でも謝りたい気持ちでいっぱいになる。

結局、私たちはタムラさん本人を見ることはなく、「東京から来たタムラさん」としてしか見れてなかったのかもしれない。
その裏には、東京への憧れと自分達は田舎者だという引け目があったのだろう。
その後タムラさんは他のグループに入り楽しそうにしていた。

そして、二人目の転校生がやって来た。
ズッコケ三人組のモーちゃんのような体格のいいフナトくんだ。
まず、挨拶から衝撃的だった。

「フナトくんは、どこから来ましたか?」
「はぁまぁま~つぅ~」

抑揚をつけてのんびり口調で答える。

山口弁の「先生」のイントネーションは「せんせい⤵」と語尾が下がる。
だが、浜松から来たフナトくんはいつもののんびり口調で「せんせい⤴」と語尾を上げ、ボーっとした雰囲気で先生と話していた。
私たちはその様子が面白くクスクス笑っていたが、同じクラスのキシモトくんは違っていた。いつもフナトくんの様子にイラついていた。

ある日二人は口論となり、カッとなったキシモトくんは鉛筆でフナトくんの腕を刺した。

「きゃぁー!」

クラス中が悲鳴の渦になり、両方の親を呼んでの大騒ぎとなった。
結局、先生と親同士が話し合ってどうにか解決したようだが、二人はその後も仲直りはしなかった。

こうして転校生二人を平和に迎えることができなかった私たち。

使う言葉が少し違ったり、みんなとペースが違う人を受け入れず差別する。
閉鎖された田舎特有の「よそ者」に対する偏見。
今は世の中が大分変ってきたが、昭和の田舎では大人も子供もまだまだこういった差別的なことをやったり言ったりしている人も少なくなかった。
もちろんそうでない人もたくさんいたと思うが。

もしも転校生の二人のような立場に自分の子供や孫がなったら…と思うと胸が痛む。この事を思い出せた今、自分ができる事や次の…またその次の世代へ伝えていける事があったらいいなと思う。

では、またお会いしましょう。







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