母の魔法の言葉
おいでませ。玻璃(はり)です。
今日は後年の母の話。
美空ひばりさんの「川の流れのように」が大好きだった母。
自分の人生と重なるものがあったのだろう。
母の人生の川の流れが下流にさしかかった頃、父母は故郷を離れて娘たちがいる関東に越してきた。
都内にある銀行の社員食堂で主任を務め、退職後も「50歳からのジャズダンス教室」に通ってたくさんの仲間と踊りやお茶会を楽しんだ。
きれい好きで家事の得意な母の家はいつも片付いていた。
そして何より料理が抜群にうまかった。忘れられないおふくろの味のオンパレードだ。
おしゃべりが大好きで、明るく楽しい元気な母。
孫たちにも人気の愉快で優しいおばあちゃん。
そんなある夜、父からの一本の電話。
「お母さんが倒れた。救急車を呼んだから」
私は凍りつき、そして取り乱し、泣き叫んだ。
「私のせいでお母さんが倒れた!」
その日の昼間、電話をしている時にちょっとした言い争いで私は母を強く責めてしまった。
あそこまで言わなければよかった。その時の後悔は今でも続いている。
病院に運び込まれた母の病名は、脳梗塞。
峠を越えて助かったが、重い右片麻痺と失語症が残った。
リハビリでなんとか自宅に帰れるようになったが、父、姉、私、そしてヘルパーさん、デイサービスでの介護生活の始まり。
理解力はあるがほとんど会話はできず、なぜか出てくる言葉は
「ココツト」
でもこの謎の言葉「ココツト」だけでも案外会話はできるものだ。
うれしいときは笑顔で
「ココツト~♪」
悲しいときは泣きながら
「ココツト・・・。」
拗ねているときは、唇をとがらせて
「ココツト!」
私はまだ小さかった子供たちの子育てとパート、そして母の通い介護というハードスケジュールの毎日の中、つい出てしまう愚痴をよく母に聞いてもらっていた。
そんな時も「ココツト〜」と頷きながら親身に聞いてくれた母。
仕事から帰ってきた父の晩酌に付き合いながら夫婦二人でプロ野球をみる。
そんな時も「ココツト〜」と二人で巨人
を応援する時間が幸せだった父。
家族みんなを幸せにしてくれた魔法の言葉 「ココツト」
今、私は子供たちが無事巣立ち、2人の孫と5月には3人目の孫も生まれる。
この幸せな私の姿を見て天国の母は笑顔で言ってくれてるかな?
「ココツト♡」
いや、天国ではもう話せてるのかな?
「良かったね。幸せになってくれてありがとう」と。
ではまたお会いしましょう。
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