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祖母の蒔いた種

おいでませ。玻璃です。

冬休みになると宿題の書き初めを書くために、伯父の牛舎の離れに住んでいる母方の祖母、トメおばあちゃんのところに行った。
トメおばあちゃんは達筆な人で、私に習字を教えてくれた。

「玻璃ちゃん、いきなりバッと書かんで、一回半紙を真っ直ぐに見てどう書くか考えてごらん」

半紙を引きで見つめ文字のバランスを考えていざ書き始める。

「力を入れて書くところとスッと力を抜くところがあるからね。全部力入れたら墨が滲んでしまうやろ。
全部力を抜いたらヒョロヒョロ文字やね。」

確かにそうだ。
何度も教えてもらいながら繰り返して書くうちに何となく力の入れ方や書くスピードがわかってきた。

「習字だけやなく、何でもそうよ。力の入れどきと抜きどきがあるからね。」

小学生の私にはちょっと難しい話ではあったが、なるほどと印象に残る話だった。

書き終わるとちょっと薄めの温かい緑茶と美味しいオヤツを用意してくれた。美味しそうに食べる私をニコニコと見ていた祖母の顔を今でも思い出す。

そして別の日には、父方の祖母、フチばあちゃんの所へ泊まりに行った。
フチばあちゃんのところでは、いつも布団の足元にコタツを置き、足だけコタツに入るように布団を敷く。
足がポカポカ温かく、フチばあちゃんの横でぬくぬくと眠る幸せな時間。

そんな時、決まって昔話をしてくれる。
字が読めないフチばあちゃんは、本を読むのではなく、豆電球だけがついている暗い部屋の中でゆっくりと語ってくれる。私は目を閉じてその語りを聴く。
聞いたことのない昔話だったから、ばあちゃんの作り話かもしれない。

「むかーしむかし、あるところに…」

本を読むわけではないので、目からの情報は入らず私の耳と心に直接ばあちゃんの声が優しく響いてくる。
閉じた目の前に情景を浮かべながら聴くその昔話が大好きだった。
聴くたびに少し違う結末に

「ばあちゃん、この間と違うよ」

「玻璃ちゃん、そんな風に決めつけて聴いたら面白くないやろ?その時その時で違ってもええやろ。それもまた面白いもんよ。」

「ふーん。ま、ええか。」

小学生の私にはイマイチピンと来なかったが、今思うとなかなか深い話だ。

こうして、私は二人の祖母からこの冬、大切な種を蒔いてもらった。

トメおばあちゃんから教わった、まずは物事を一歩引いて見てみる。
そして行動を始めたらその時々で力の入れどきと抜きどきを考える。
今でもこれは大切にしている。

フチばあちゃんがいつも聴かせてくれた昔話から、物事の楽しみ方を教えてもらった。
想像の力。
本を読んでも、音楽を聴いても、文章を書く時でも私の目の前にはその情景が映像となって浮かぶ。
そして、生活の中で起こる様々な事に対して、何でもラストを決めてかからないこと。
「こうでなくてはならない」と思い込まなくてもいい。違う結末でもいいじゃないか。

そんな私にも孫が3人。そして来年には4人目が誕生する。
この孫たちに、私も小さな種を蒔いてあげたい。
私がこの世からいなくなった後、孫たちの中で咲く花のために。

では、またお会いしましょう。

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