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酒と花札と演歌と

おいでませ。玻璃です。

祖母トメが体調を崩し、母の昭子が旅館を継ぐこととなり、私たちはアパートから実家に戻った。

旅館は住まいと一緒になっていた。
詳しい間取りはあまり記憶にないが小さな私には迷路のように感じたものだ。

旅館には仲居さんが数人いて、ずいぶんかわいがってもらった記憶がある。
家族みんなが忙しい中、仕事をしながら退屈している私とよく遊んでくれた。

幼稚園生から小学2年生くらいまで旅館で暮らした。
その間に仲居さんから教わったものは、酒と花札と演歌だ。

何歳の頃だったのだろうか?私はビールの味を覚えた。
コップに少しだけもらって飲んでいたのをうっすらと覚えている。
子供の頃から父の晩酌にも付き合っていた。

「玻璃ちゃん、少しだけ飲んでみる?」

「うわ~苦い!でもおいしい~」

ビールの味は苦かったが、みんなが大笑いする姿が嬉しくて、「おいし~」と言って飲んでいた。

ある日調子に乗っていつもより少しだけ多めに飲んでしまい、旅館の廊下をケタケタ笑いながら走り回っていた事を覚えている。完全にヨッパライのできあがりだ。
それを見て大人たちもゲラゲラ笑った。
昭和というのは本当に自由な時代だ。

そして花札。
仲居さんは休憩中よくみんなで花札をしていた。
そこに遊びに行っては花札を貸してもらって「神経衰弱」をして遊んだ。
そのうち絵と絵を合わせて打つようになった。
花札は家族でもよくやっていた。
負けず嫌いの私は負けるとすぐに泣くので、大人はみんなわざと負けてくれていたらしい。

演歌も教えてもらった。
お客さんの布団を片付ける中居さんといつも一緒に歌っていたのが、殿様キングスの「女の操」だ。

「あなたぁのぉ〜ためぇにぃ〜
守り〜とぉした おんなぁのぉ みさぁおぉ〜」

と、得意げにこぶしを回して歌っていた。

「玻璃ちゃん、上手いね~」

とおだてられれば何回でも歌う。

こんな風に忙しい大人ばかりの中で育った私は、
「みんなどうやったら喜んでくれるか?」
「笑ってくれるか?」
「こんな風に甘えたほうがいいんだな」
と考えながら暮らしていた。

大人になってからも年上の女性とのコミュニケーションが得意で、これまでいろんな場面でたくさんの諸先輩方に可愛がってもらった。
今は年齢を重ねて、自分が年上の女性の立場に立たされることが多い。
それでも一緒にいる人へのサービス精神はついつい発揮してしまう。
時々疲れることもあるけれど、あの環境の中で育ち、培ったコミュニケーション能力は唯一無二の宝だ。

ではまたお会いしましょう。




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