それでもあなたは父親ですか?

こどもの頃から父親にはほんとうによく叩かれ、怒鳴られた。
食べ物や飲み物をこぼしたとき、何かものを壊した時、家の中を汚したとき、父親の気に入らないことをしたとき、口ごたえしたとき。
父親の前で何か粗相をすると、反射的に父の顔を見て身体をこわばらせた。
父の手が上がると目をぎゅっとつむって耐えた。

ときどき、そんなわたしたちの反応をみて、父はにやにやと面白そうに笑った。

母はそのときどうしてたっけ。ときどき、「子どもだから仕方がないでしょ」と言ってくれたこともあったけど、いつもとにかく忙しく動き回っていたから見ていないことも多かったと思う。それとも、母もしょっちゅう父に怒鳴られていたから何もできなかったのかもしれない。
父は母やわたしたちを小間使いのように扱った。わたしが物心ついたときから父は王様だった。

母が亡くなる数年前は父は毎日のように大声で怒鳴り散らしていて、母はひどく憔悴していた。離婚するように何度も勧めたけど、離婚しなかった。そして病気になって苦しみながら亡くなっていった。

父はいつも自分が一番大切。母よりも子供よりも、自分が一番大切な人。
大人になってわかったことがたくさんある。
でも、父は自分が一番大切だと決して自分では認めない。自分は良い父親だと錯覚しているからわたしがそうではないと暗にほのめかすと激怒する。ほんとうに良い父親だなんて思ってるの?

父は女5人姉妹の中の唯一の男で、それはそれは大切に大切に育てられたと本人からも叔母たちからも聞いた。そう、父は子供の頃から特別な子どもとして周りからたいそう大切に扱われていたのだ。
男だからという理由だけで。

すぐカッとなって怒鳴り散らす性格は子どもの頃からまったく変わらないという。スイッチが入ると怒りがコントロールできない。子どもの頃からずっと70を過ぎた今でも。周りは黙ってその怒りが治まるのをじっと待つしかない。

10代も後半になってくると、子どもの頃のように「父が怖い」という感情よりも、「また始まった、うっとうしい」という感情のほうが大きくなる。父はわたしたちのその態度が気に入らず、怒りがおさまらないと2階の子ども部屋まで上がってきてドアをこじ開けようとすることもあった。もちろん、わたしたちも絶対にドアを開けないようにガードしていた。

父はその頃購入した家をたいそう大切にしていて、ドアを無理やりこじ開けて壊れることを恐れ、大体はあきらめて1階に戻っていったと思う。

家を買ったばかりの頃、まだ子どもだった私たちが少しでも壁や床を傷つけようものなら、ものすごい勢いで怒鳴り散らされて叩かれた。
父は、自分の家を、自分以外のものが汚したり傷つけたりすることを絶対に許さなかった。それが小さな子どもであっても。

そんな子ども時代を過ごしたせいか、わたしはとにかく早く家を出たかった。
小さい頃住んでいた家は、近所仲もよく、幼馴染もいて、助けを求めることができる場所があった。
でも、引っ越した先は近所づきあいもなく、母以外に誰にも助けを求めることができなかった。しかし、母も同様に被害者で、「お前の育て方が悪い」といつも父になじられていた。

そんなだからかわたしは自己肯定感がものすごい低い人間になり、いつも些細なことに不安を感じ、ビクビクしている。これは育った環境のせいなのだなと腑に落ちる。

家を出てからも、父の短気な性格は変わることはなく、年に1度しか会わないお正月でさえ、ほんの小さなきっかけで父の怒りは爆発した。

本当は実家に帰りたくなかった。母のいない家はもう自分の家じゃない。
毎年、お正月が近づく11月ごろになると決まって父から、帰ってくるようにと催促の電話が何度もあった。
いつもこの時期が本当に憂鬱だった。

父は独りなので、正月ぐらいは帰ってあげようと我慢してしばらくは帰省していたのだけれど(相変わらず帰省のたびにぶち切れ、怒鳴り散らす)、コロナの数年前から誰も帰省しなくなり、コロナで自粛になり、帰省しない正当な理由ができて、心からほっとした。

私たちが誰も帰省しなくなると、コロナ禍でも父がときどき東京にくるようになった。わたしは兄弟とも疎遠なので、父がきても基本的には会わないようにしていた。家族が煩わしいと思っていたし、実際に煩わしかった。

母が死んだときもそうだったけれど、家族に何か問題が起こると、必ず私たちは揉めた。

家族は、遠くにいて、それぞれが幸せに生きていればそれが一番良い。
数年に一度連絡をするくらいの距離感がお互いを思いやることができて良好な関係を保てる。

叔母が認知症になったことがきっかけで、疎遠だった父と頻繁にやり取りするようになり、揉め事が起きた。勝手に怒ってわたしにブチ切れるだけならまだしも、関係ない姉や弟まで巻き込み、適度な距離感で保たれていた家族の関係にまた亀裂が入った。

父は自分が常に正しい人なので、年を取り記憶力もおぼつかない中、勝手な妄想で兄弟仲を悪化させるようなことをする。そんなことをすればまた面倒な問題が起こるというのに、わざわざそういう波風を立てるような言動にでるところが、ほんとうにこの人は自分の父親なんだろうかとあきれる。

この人は子どものことなんてほんとうにどうでもいいのだ。それよりも自分が大事。常に自分の老後のことを心配していて、子どもが家に帰ってきて自分の面倒を見ることは当たり前だと疑わない。

父親って何なんだろう。
18才まで子どもを育てるのは親の義務だと思う。
でも、食べものや着るものを与えて、とりあえず学校に行かせておくだけなら親じゃなくてもいいのだ。

母は自分のことよりも子どものことを一番に考える人だったから(父の体罰から助けてくれたわけではないけれど、彼女も同様に被害者だった)、どうしても比べてしまう。

本当に困ったとき、本当に誰かの助けが必要なとき、母がいてくれたらと何度思ったことか。
頑張って何かを成し遂げようと努力しているとき、新たな挑戦をしようとしているとき、母なら背中を押してくれる。途方に暮れてどうしようもなくなったとき、母ならなんとかして助け出そうとしてくれる。たとえ助けられなくても、心の支えになろうと寄り添ってくれる。決して子どもの足を引っ張ることなんてしない。

生きていてほしい人はいつもさっさといなくなってしまう。










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