そんなに悪い死に方じゃない
ある医師が書いた本の中で、「自殺という死に方はそんなに悪い死に方ではない」ということを書いていて、その部分だけ読むと、「え?」と思うのだけれど、読み進めると「そういう考え方もあるんだな」と思う。
この医師が総合病院の当直で救急外来をやっていたとき、ときどき自ら命を絶った人が運ばれてくることがあった。脈を診て、打っていなければ「うまくやったね。ごくろうさま」と声をかけ、手を合わせる。
その人が辛くて辛くてどうしようもなくて、もう生きていることが苦痛で、1分1秒が地獄のようだと感じていたとしたら、死ぬことでやっとその辛さから解放されたのだから、それはそれでよかったのだ。だってもう苦しまなくて済むのだから。
もちろん、死を選ばなくていいように何らかの助けがあればよかったのだけれど、そんなことは百も承知なのだけれど、たとえ何らかの助けがあったとしても、どん底の泥沼の中で喘いでいる人を引っ張りあげるのは容易なことではない。自分で這い上がる気力はもうとっくに底をついていて、誰かに引っ張り上げてもらうことすらそれすらも苦痛で、落ちるところまで落ちてしまったら、もうどうしようもない。
誤解しないでほしいのだが、この医師はひとりひとりの患者と真摯に向き合い、常に患者の気持ちを第一に考え、その人が最期までその人らしく生をまっとうできるように努力を惜しまない医師だ。儲け主義に走るそこらへんの医師とは違う。そういう医師だからこそ、「うまくやったね。ごくろうさま」という声がけには、その人へのとても深い思いやりを感じる。
生きているだけで罰ゲームだと思う。これがずっと続くんじゃないかと思って途方に暮れる。もはや何もやる気が起きないし、すべてが面倒で、ただ日々が過ぎていくだけ。
これがどん底だと思って耐えていると、さらにどん底が続いて、「え?まだこの先があるの?」と失望とともに笑いがでる。
しまいには、さらにこの先のどん底はどうなっているのか、どこまで落ちるのか少し怖いもの見たさのようなワクワク感すらある。
結局は捉え方次第なのだ。この現状をどう捉えるか。「まあなんとかなるさ」と思える人と、「もうだめだ」と考える人と。
これはその人の生まれ持った性質と育った環境によるものだから、どうしようもない。考え方を変えることは容易ではない。
すべてははじめから決まっていた。その選択をすることも、どういう道を歩み、どう死んでいくかも。ただその決まった道を歩いているだけ。
選択肢が多すぎて迷うけれど、その選択もすでに決まっていたことで、最終地点に向かう途中経過にすぎない。
人はいつか死ぬ。遅かれ早かれ。
とりあえず最期を迎えるときには苦しまずに逝きたい。
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