見出し画像

単純というレール

自分が医療職を志したのは、至極単純な理由でした。
何かを始める時の動機なんて、そんなものですよね?
いやいや。
失言ですね。
この世には、もっと土台のしっかりした動機を持って活動されている方々も大勢います。
ただ、その中に自分が当てはまらなかっただけ。

学生時代の自分は、頭が使えない奴でした。
何をやっても中途半端人間。
勉強は並より下。
ゲームをやらしても、負けっぱなし。
1人静かに作業できる何かに熱中することだけは、周囲よりほんのちょっとだけ、勝っていたかなぁ?
月に本を何十冊読んだり、作文を書いたり、詩を口ずさんだり。
そんなことできる人なんて、この世の中たくさんいるよね。
自分は凡人だ。
そう感じながら、冴えない学生時代を過ごしていました。

高校3年の夏。
ずっと気になっていた、青年海外協力隊体験事業に参加する事ができました。
うまく集団生活に馴染めない自分にとって、少しでも学校から離れるきっかけが欲しかったのです。
そうして夏休み初めの1週間を、カンボジアで過ごし、軽くホームシックになりながらも、ホストファミリーや事業に参加した同世代の子達と、意外にも話せてしまう自分がいて驚きました。
日本では味わえない空気、発展途上の苦しさ、その中で生み出される人の温かさ。
全ての体験が刺激的で新鮮で、自分がこれまで持ち続けていたものが、どんなに小っぽけで浅はかだったのだろうと、改めて考えさせられました。
帰国後、狂ったように大学探しに没頭。
国際的な勉強をしたい!と、
漠然とした想いを胸に、残りの夏休み期間、資料請求したり、大学見学に行ったり。
さらに、猪突猛進で進学コースの補修を受けて、頑張ってみたり。
しかし、夏休みを明けても、進学したい大学は決まらず。
本当は何がしたいのか?
完全に目標を見失っていました。
そんな時、生徒指導で英語の教科担当をしていた、先生に呼び出されたのです。
正直、苦手な先生だったので、なるべく関わらないように目を逸らしていました。
それなのに、友達にハブられてダメになった時、
「お前、ハブらてるのか?」なんて、
デリカシーのない発言に、イラッとした覚えさえあります。
それでも、辛い時期普段と変わらず自分と接してくれていたのは、その先生だけでした。

そして、ある日のことです。
先生「お前。進路は決まったか?」
桜月「いえ。まだです。」
先生「そうか。お前、看護師になれ。」
桜月「、、、はい?」
先生「俺がお前を看護学校に合格させてやるから、すぐそこの看護専門学校を目指せ。授業料も安いし、親孝行になる。ただ、1クラスで枠が少ない。だからこれから約1ヶ月放課後、俺と勉強だ。」

は?嘘でしょ?
何を言い出すかと思えばこの教師。
テレビドラマじゃねーんだぞ!
(⚠︎記憶美化はしていません。)
本当に、自信満々にこの発言を、言い放ったのです。
現代風に言うと、かなりのドヤ顔で。
頭に?を大量生産。なぜ?自分なんだ!?
看護師?医療現場なんて考えもしなかった。
とりあえず、猶予をもらい家へと持ち帰り、悩みに悩み抜いて、ふと、あることを思い出したのです。
それは他の教科担へ、青年海外協力隊体験事業のことを話した時のこと。

先生「桜月さん。カンボジアどうだった?」
桜月「すごくいい経験になりました。」
先生「そっか。それはよかった。もし海外行きたいならさ、看護師とか目指してみたら?」
桜月「看護師ですか。。。」
先生「僕の姉が看護師やっててね。お金貯めては海外飛び回ってるんだよ。海外に興味あるならそう言う手段もあるよ」
桜月「そうなんですね。考えてみます。」

あ。これだ。
そうか!その手があった!
決意しました。
約1週間後。
生徒指導室を訪れ、英語教師に
「よろしくお願いします!」と、
直角90度のお辞儀をしました。
そうして、放課後地獄の特訓の幕開けです。
課題を出されて、時には不貞腐れ、時には泣きながら勉強、勉強の日々。
そして、なんとか無事に看護後学校合格。
そのさらに3年後、ミラクルが重なり晴れて看護師資格を獲得。

相変わらず、考えることは突拍子もなく、普段の雰囲気からは看護師の欠片が微塵も見えない、と周囲からは言われます。
自分もそう感じてます。
実際、ほぼ先生たちが作ってくれたレールの上を歩いてきただけです。
選択したのは自分でもあっても、日陰にいた自分を、手を引いて日当に連れてってくれたんですよね。
お陰で眩しすぎて、息苦しくなる時もありましたが。

将来を迷うのは当然です。
未来が見えないのなんて当たり前。
(back numberのサイレンでも言ってます。)
だから、道標は誰かに委ねるのも、頼るのもありだと思います。
「面白そうだから」「気になるなぁ」ぐらいで、十分動機になり得ています。
単純思考で、ここまでのらりくらり歩いて、たまぁ〜に走ってしまった自分が言うんですから。
ただそこからの選択は、自分です。
先生が言ったから。
親が言ったから。
それは、言い訳にすぎません。
敷かれたレールを選んだ時点で、自分の物語が始まっています。
歩数が数えられなくなったら、覚悟を決めて生きてください。
間違えたと思ったら、寄り道して元通りのレールの上じゃなくても、自分が思い立った単純な理由で進んでもいいのかなって。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?