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小説/不幸の共有

 久々に旧友と会うときは、いつだって気を使う。最後に会ったのはいつだったか。あの頃から私は痩せただろうか太っただろうか。SNSにあがっている洋服を着ていったら、コイツはいつも同じ服を着ていると思われてしまう。でも気合を入れすぎたらそれこそダサい。当たり障りなく、でも垢抜けて美しい自分を装いたい。そう。全部自分のための気遣いなのだけれど。
 プチプラの服はなるだけ着ない。でも、ハイブランドを主張する服も着ない。ブランド物だけれど、さりげない服を着る。分かる人には分かる服。化粧も主張しすぎないように。厚化粧だなんて思われたくない。
 いつもより倍も時間をかけて準備をして、家を出たのは16時だった。待ち合わせは17時。恵比寿駅。家から随分遠いけれど、そこを指定されてしまったのだから仕方がない。
 「出かけてくるよ」
 玄関にかけてある鏡で前髪とピアスの最終チェックをする。同居する恋人に声をかけると、リビングから愛猫を抱えながらのそりと顔を出した。
 「はぁい、いってらっしゃい」
 穏やかな笑みを見せ、「あんまり遅くならないでね」と付け加える。
 「寒いからストールして行った方がいいんじゃない?」
 「ストールはカバンに入ってる。飲みすぎないし、遅くならないように帰る」
 猫の額をなでると、彼はゴロゴロと喉を鳴らした。頭上にキスをすると、柔らかな毛先から猫独特の匂いがする。
 「いってきます」
 そう言って家を出た。いつもは履かない、ピンヒールのパンプスを履いた。

 恵比寿駅は土曜日の夜とあって、いかにも都会的な人々で溢れていた。少し目眩がする。改札を出て、時間を確認すると「17時3分」だった。しかし待ち合わせ相手は周囲に見当たらない。しばらく改札が見える位置に立ち、行き交う人々を眺めていると、ようやく彼女の姿が見えた。
 「久しぶり!」
 彼女は大きく手をあげてニコニコしながら近づいてきた。丈の長い、綺麗なモスグリーンのコートの裾がはためている。
 「ごめんごめん。電車1本乗り過ごしちゃって」
 「ううん、私も今来たところだよ」
 そっか、ありがとう。行こうか。
 彼女はスタスタと歩き出す。私はその背中について歩く。足が痛くなる。彼女はヒールの太いパンプスを履いていた。歩きやすそうな靴であった。

 彼女が予約しておいてくれたのは、クラフトビールが飲める小洒落たバルだった。店内はそこまで広くない。窓際にハイテーブルとスツールが3組と、カウンターがあるだけの店内だ。我々は窓際の席に案内された。ハイテーブルの上に、小さな「Reserved」と書かれた三角錐がおいてある。どうやら彼女が予約しておいてくれたようだった。足元が冷えるから、とスタッフがブランケットを2枚持ってきてくれた。ありがたく、それを膝にかける。
 彼女は何度かこの店に来ているようで、手慣れた様子でメニューを選び、私にもおすすめのビールを1つ頼んでくれた。ビールはすぐにやってきた。「乾杯」と特に祝う物もないというのに、グラスを掲げる仕草をして最初の一口を飲んだ。寒い季節ではあるけれど、やはり最初の一口はうまい。乾燥した喉を焼け尽くすように流れるビール。胃袋の中に収まると、ほんの少し身体の温度が上昇する。

 「今日はありがとうね、突然の連絡だったのに」
 彼女はすぐ頬が赤くなる。綺麗にセットされたショートヘアからは小振りの耳たぶがのぞいている。小さな真珠のピアスがついていた。とてもよく似合っている。
 「こちらこそ、誘ってくれてありがとう」
 きっと何か話があるんだろう、と思った。それが何なのかはわからないけれど、何か変わったことがあったから、私に連絡をしてきたんだろうな、と思った。どのような話であったとしても、おそらくその話題はこの食事の後半に語られることだろう。
 二人で当たり障りのないことを話した。仕事のこと、上司の愚痴、親のこと、大学の同級生のこと、誰かの噂話。
 「そういえば」
 3杯目のビールがテーブルに届いたとき、彼女がグラスの縁を指で撫でながら言った。
 「タカコ、結婚したんだって」
 貴子は、我々が学生時代つるんでいた仲間の一人だ。あまり目立つタイプではなかった。どちらかというと、物静かで、誰かの後をついて回るようなタイプの女の子だった。(ああ、もう女の子などという歳ではないのだけれど)
 私はみんなと研究室の分類がまったく異なっていたから、4年生のあたりからその仲間たちとは随分疎遠になった。目の前にいる彼女とてそうである。今日は卒業以来、5年ぶりの再会なのだから。
 「ああ、タカコ。そうなんだ、知らなかったよ。相手は会社の人とか?」
 学生時代、貴子の浮いた話は何もなかった。みんな、大学内の手頃な異性とくっついたり離れたりしていたけれど、貴子は誰とも付き合うこともなく、入学から卒業まで過ごしていた。私が知らなかっただけかもしれないけれど。
 「それがさ、聞いてびっくり。カズフミ。相手はあのカズフミなんだって」
 「え、カズフミ?カズフミって。その人、」
 「そう、私の元カレ。やばくない?笑っちゃった」
 彼女はそう言って、本当にケラケラ笑った。ビールをグラス半分ほどいっきに流し込み、ぷはぁ、と吐息をもらす。
 「私の学生時代の思い出、カズフミくん。まさかタカコの旦那になるなんてさぁ、びっくりだよ。卒業してから、どういう手順で結婚に至るのか本当不思議。何があったんだろうね?」
 「何がって…まぁ、何かあったんだろうね」
 私も少し意外に思ったが、二人の結婚なのだから、まぁ、二人が幸せならそれでいいのだろう、と思う。だが、元カノの立場からいうと、少し気まずい気持ちも分からなくもない。
 「タカコから聞いたの?」
 「ううん、全然別。別の人から又聞きしただけで、タカコともカズフミとも連絡とってないよ」
 タカコ、友達だと思ってたんだけどね。
 彼女はそう言って、自虐的な笑みを浮かべた。私も釣られて口元だけ笑う。友達だと思っていた、というのは「直接報告をもらえなかったことに関して」だろうか。それとも、「自分の元恋人が旦那になったことに関して」だろうか。そのどちらともなのかもしれない。
 「一生会わないと思ってたのにさ、カズフミくん。まさか友達の旦那になるなんてさ。気まずいよね、なんか」
 そうは言っても、それを理由に疎遠になるんじゃ私も大人げないし。なんだか嫌になっちゃうよ。別にいいんだけどさ。本当、別にどうでもいいことなんだけどさ。


 「毛、ついてるよ?」
 彼女の長い一人台詞が終わったことに気付かず、うんうんとうなづいていたら、唐突に首元を指差された。
 「毛。白いやつ。動物飼ってる?」
 慌てて襟元に手をやると、黒いニットに飼い猫の毛が一本ついていた。出かけにキスをしたとき、ついたのだろう。
 「ああ、ごめん。猫いるんだ、うち。コロコロしてきたんだけど、取りきれないね」
 「え、女一人で猫飼ってるの?」
 それ、結婚できなくなるやつじゃん!と彼女は大きな声で笑った。手元には5杯目のビールが半分ほどになっていて、頬は柔らかに上気している。
 「一人じゃないよ。二人で住んでる」
 猫の毛を手元のペーパーナプキンで包むながら答えた。しばし間があって、視線を上げると、彼女がにっこりと笑ってこっちを見ていた。
 「彼氏と暮らしてるんだ」
 口元に形だけの笑みを浮かべていた。
 「へぇ、いいね。同棲」
 視線を落とし、まるでワインを品定めするみたいにビールグラスをくるくると回している。
 「結婚するの?」
 「ううん、結婚は、まだかな」
 「そうなんだ」
 ふぅん、と変な間ができた。彼女はビールを飲み干して、店員にグラス2杯の水を頼んだ。
 「そういやさ、私、もう三十歳になっちゃうんだよね」と、彼女は言う。
 「いや、私だってそうだよ。同い年でしょ」
 「まぁ、そうなんだけどさ」
 彼女は机の上に残された食事の残りをつまみながら、会社の愚痴を話した。私の恋人の話はそれ以上なにも聞かなかった。否、聞きたくなどないのだろう。だから、私もそれ以上何も言わなかった。

 会計は10円単位まで割り勘をした。彼女がクレジットカードで支払い、私が現金を渡した。
 「このご時世に小銭をここまで持ち歩いてるアンタはすごいね」と言って彼女は笑った。今日一番の笑顔だった。
 駅までの道中はほぼ無言だった。夜風がつめたく、首元をストールでグルグル巻きに防寒しても、背筋がゾクゾクした。
 電車の方向が逆なので、改札に入ったところで分かれた。彼女のモスグリーンのコートは人混みの中でもよく目立った。洗練された、都会の女性の背中だと思った。私は痛くなってきた足を引きずって、満員の山手線に乗り込む。

 家についたのは23時を少し回ったところだった。
 玄関をあけると、リビングからテレビの笑い声が聞こえてきた。見ると、コタツで横たわったまま寝息を立てている恋人の姿があった。
 「ユウちゃん、こんなところで寝たら風邪ひくよ」
 恋人の肩を揺すると、もぞもぞと動きながら目を開けた。
 「あ、おかえり」
 にこり、と寝ぼけた顔を崩しながら言う。「ストール持ってって正解だったでしょ。今日すっごい寒い」
 「ストールしても寒かったけど」
 「じゃあ、ここに入って一緒にあったまろう」
 うふふ、と笑ってユウちゃんが私の入るスペースを作ってくれる。ありがたくその中に入る。冷えた足先がコタツの熱で暖まり、じんじんしてくる。テレビでは、彼女が大好きな芸人がネタをやっていた。
 「これ、ユウちゃんが好きな芸人さんじゃん」
 「そうなの!録画もしてるんだけどね」
 彼女は嬉しそうにテレビの画面を見つめる。彼女の肩に頭を当てると、大好きなシャンプーの香りが鼻をかすめた。
 「飲み会、楽しかった?」
 「ううん、まぁ、普通かな」
 「普通か。なら、まぁいいんじゃない」
 「そうだね」
 ユウちゃんは、テレビを見てケラケラと笑った。私はそんな彼女の横顔を見ながら今日のことを思い返す。痛い足の指先。耳の奥がジンジンする感覚。口の中のアルコールのにおい。彼女が飲むビールグラスに残った口紅の痕。すべてがバカらしかった。でも、私はこのバカらしさの中でしか生きていく術を知らないのだろう。

 いつか私たちの未来に何か答えが見つかるとしたら、それはどのような答えなのだろう。それを他人が見たら、何というんだろう。間違いと弾糾されるのだろうか。はたまた、多様性を賛美されるのだろうか。そのどちらであったとしても、幸せかどうかを決められるのは、他人ではなく、自分自身に他ならない。だのに私たちは、人と幸せを競い、妬み、それと対峙するものたちは不幸を共有し、傷を癒そうとする。下らない。下らないのに、それが私たちのすべてなのだ。

 「明日晴れたら、アイス食べにいこうよ」
 「え、寒いのにアイス?死んじゃうよ」
 死なないよ、と言ってコタツに肩まで入り目を閉じた。足元に柔らかい感覚して見れば、猫がコタツの中でほかほかに温まっていた。抱き寄せて顔を埋める。にゃあ、と甘えた声でなきながらも、彼は抵抗しない。私はその温もりを抱きしめながら、少しの間眠った。

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