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生きづらさに気付かなかったマイストーリー VOL.1

「目と目で通じ合う~♪ 
た~しかに うん いろおっぽい~♪」

物心ついたころから 
歌と踊りがだいすきだった

目の前には数万人の観客 歓声
当てられる色とりどりのスポットライト
煌びやかな衣装

ちいさな部屋の隅に座布団を重ねて
ステージをつくり

母のハイヒールをはき
花嫁衣装のベールを人差し指に通し
中身のラムネを食べたピンク色の
マイクを小指を立たて持った

満面の笑みで

歌って踊って
そして観客に語りかけた

「みんな~!ありがとう~!! 
わたしのために集まってくれて~!
みんなだいすき~!!」

これをやってるときに
そーっと家に入ってきたご近所さん家族に
一部始終みられていたことがあった。

そのときのにやにやした顔と
ワキに染み出てくる冷や汗を思いだすだけで
ジャンプしたくなるくらい恥ずかしい。

これは4歳のときの話し。

まぎれもなく、これがわたしの原点だったように思う


幼少期の環境

1983年 夏 
美容室を営む両親のもとに
長女として生まれた

早生まれの年子の兄とともに
食べ物、着るもの、勉強、習い事など
何不自由なく与えられ
買って~!!
とだだをこねた記憶はない

ただ、ひとつだけ
私たち兄弟にとって脅威なことがあった。

それは

母の不機嫌

完璧主義の母だった
家はいつもピカピカ
食事は色とりどりのおかずが何品も並ぶ

私たち兄弟の習い事とその課題、勉強
家事、店の経営、夫(父親)との関係、
姑との関係、
母自身の幼少期の傷

そんな余裕のない状況だったら
誰でも手が出てしまうほど
感情をコントロールできなくなるだろうと思う
(今さら母を責めるつもりはさらさらない)

けれど、幼かったわたしたち兄弟にとって
それは生存が危ぶまれるほどの恐怖だった

幼い子どもにとって

母=世界
母に嫌われる=生存の危機

だからである

その恐怖感は
私たちの感情を行動を
コントロールした


おとなしくて
優しくて
手のかからない
いい子ね

周りの大人たちはみんなそう言った

はじめてみた社会 幼稚園では

同級生がはしゃぎ
言いたいことを言い
思うがままに走り回る姿をみて

これは人なのか?

とまで思った

言いたいこと言っていいわけがない
やりたいことをしていいわけがない


ほら先生に怒られてる

けれどまた繰り返す

なぜ 
わざわざ嫌われるようなことをするのか 
そんなことしたら生きていけないのに

と不思議でならなかった

そうして
大人のいうことをよく聞き
先もって大人の喜ぶことをする
大人びたこどもが完成した

幼稚園ではいつも1人
流行ってたスカートめくりも
私だけされない

みんな楽しそう
みんな笑ってる
一緒にはしゃぎたい
けど
自分にはできない

自分を奮い立たせて
輪の中に入っていく労力を考えると
1人で妄想する方がよかった

余談だが
顔は中の下だったのに、
なぜか気弱なタイプの男子にモテた。
美容師の母に長い髪を可愛く結ってもらっていたからかもしれない

上靴の片方を見つけやすいところに隠してみて
私が困った顔をすると
「僕が見つけてあげる!」と持ってきてくれた
(全部お見通しなところが可愛くない笑)

ケードロではいつも私だけを助けにきた
(運動神経が悪いのですぐに捕まる。
また逃げないといけないから、もういいのになー…と思った)

みんなの前で
好き?
と聞かれたら
うん
と答えておいた
(先生までもがヒューと囃し立てた。
嫌でたまらなかった)

嬉しそうに笑う男の子をみて
ちくっと胸が痛んだけど
みんな笑ってるからいいか…
と思った


そう
空気をよんだら
すべてうまくいった

「手のかからない 穏やかな 優しい子」
というブランドバッチを胸につけて

自分を守った
社会に殺されないために
生きるために

大げさですか?

恵まれた家庭で、何不自由なく育った
少々の暴力や暴言、不機嫌くらいなんてことない!
幸せだと思え!って声も聞こえてくるかもしれない
けれど
「私はこんなにかわいそうなの!」
と目を潤めて伝えたいわけではない。

ただ、
あなたに「ラクに生きる方法」について話すには
幼少期から植え付けられた世界観はきってもきれない

あなたがいま
生きづらいのは
世界観とそれよりも深い何かが原因

わたしがすべてを話すことで
何かのヒントになればうれしいなと思う。

小学生〜中学入学前

大人びた子どもが小学生になった

「みんなで仲良く」の90年代

1人でいることがウケが悪いと判断したわたしは
なんとか友だちをつくった

ただ大人びているだけで
能力は高いわけではなく
勉強もスポーツもいまいち

就学前にはあった
「手のかからない良い子」というブランドが

「勉強もスポーツも平凡な目立たない子ども」になり
自分の価値がなくなってしまったと脅威に感じた

パッとしないブランドがない子どもは
空気をよんで
嫌われないように生きるしかなかった

大して面白くない話しも
あわせて笑った

無視が流行れば標的にされた
一定期間仲間外れにされたこともあった
気づけば背中に
値下げ!!と書いたシールが貼られていたことも
何度もあった

仲良くしてくれたら安心し
仲間外れにされたら落ち込んだ

いじめてくる相手に対して
憎しみといった感情ではなく
天気が変わるような感じで捉えていた

今日は晴れであたたかくてうれしい

今日は嵐で寒くて心細くて辛い

そんなふうに周囲を捉えていた

感情にフタをして
なるべく何にも考えないようにして学校に通った

そのとき家庭でもいろいろあったけど
これはさすがにえげつなすぎて言えない
その出来事も私にとって深い傷になったことはたしか。

冷んやりして
お尻の奥がきゅっとなって
息が吸いづらい
そんな世界だった

そんなとき
自分のブランドを持てるチャンスが到来した。

小学校5年生で引っ越しすることになったのだ

めちゃくちゃうれしかった
この環境から逃げ出せる
と思った

そして憧れの
「転校生」というブランドバッチが手に入る!

ドキドキしながら転校の日を迎えた

すると「転校生ブランド」は
想像よりはるかに人を惹きつけた

転校先は明るく自分の意見をしっかり言う
自己肯定感が高い子どもたちばかりだった

このブランドにノリに乗りまくって
空気を読むワザを身につけているわたしは
優しくて明るくてノリがいいお姉さんキャラを発揮し人気者街道まっしぐらになった

しかし
それも長くは続かない

中学校に入学し
井の中の蛙になったからである

中学生〜高校生

努力する自分というブランドバッチ

どんなに努力しても上達しない部活
ただ
「努力とチームメイトを励まし、盛り上げること」
だけは長けていたため
副部長に選ばれた

強豪校なのに副部長が万年補欠
というなんとも理解し難い構成だったが
(他校の生徒からは隠し球と思われていたと思う)

選ばれたときには涙が出るほどうれしかった
努力は報われるんだと思った

勉強も頑張った
偏差値45から65まであげて
偏差値50の志望高に入学した


努力できる自分
努力をすれば何でもできる自分


というブランドバッチを握りしめ


努力は必ず報われる

という
鎖のような価値観を植え付けた

そして
ブランドバッチがないと生きていけない
自己肯定感が底辺だったわたしに

わきあがり
みなぎる
根拠のない自信
という
怯えている自分を守ってくれるアイテムを
手に入れた


それは後のわたしを
苦しめることになる


高校に入学

持ち前のノリの良さで
華やかでかわいい子たちと
グループをつくることに成功した
(この10人グループはのちに一生のたからものになる)

ノリの合う仲間と過ごす時間は楽しすぎて
家に帰らなくなった

河川敷やカラオケで
オールしてそのまま学校にいく

そんな生活が楽しくて仕方なかった

世界は暖かくて、何にも怖くなくて
本来の自分に戻れる感覚だった

母からの鳴り止まないコールにも出ず
メールで
〇〇ちゃん家に泊まる
と一言いれるだけ
(余談だが母からの着メロはアダムスファミリーのテーマ曲にしていた)

ちょっと胸は痛んだけど
まぁいいか
と思った

自由にさせてくれる友達の親を羨ましく思った
早く大人になりたかった

もう十分に大人なのに と

不思議で仕方なかった

そして時はたち

進路を決めるときになった

バンドでボーカルをしたり
クラブでシンガーをしたり
ダンスをしたり

本当の自分が
本当に好きなことをやっている時間が
たまらなくたのしかった。

けれど
物心ついたときから
なる!
と決めていた
音楽への道は選ばなかった

反対されたわけではない

「音楽関係にすすみたい」
と中学生のとき一度言ったときがあった
反対されなかった。

けれど
反対しているように思えた
思い込んでいただけかもしれない

無意識に母が喜んでくれる職業を選んだ

「おじいちゃん(母の父)は、お母さんに看護婦さんになってほしかったみたい」

と微笑みながら話す母。

母は亡き祖父に良い報告ができる
と喜んだ

こうして私は夢を
歌手から
看護師に変えた

自分で決めた

自分で決めたと思い込んでいた



ながーく拙い文章を読んでくださり
ありがとうございます^^

VOL2は看護学校時代から社会人〜現在まで

看護学校時代にはまたまた壮絶ないじめを経験しましたよー!😂
そして幼少時の世界観にどっぷり戻ってしまいました。
そこからどのように抜け出すことができたのかをお話ししたいと思います😊

生きづらいと悩むあなたが
ラクに生きられるヒントになりますように^^













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