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ユースの勉強会#1【テーマ:移民・難民】

映画「東京クルド」

映画「東京クルド」を観た。日本で暮らす、私とあまり年の変わらないクルド人の青年を追いかけたドキュメンタリーだ。

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アフリカの貧困や日本の相対的貧困の問題に関心がある根底には、不平等や格差に対する疑問や憤りが常にあった。しかし、なぜだか移民や難民のことについてはどこか他人事で、自分にはあまり関係の無いものだという認識があった。

「“奴隷制”を許していたなんて信じられないと人は言う。“なぜ昔の人はリンチできたんだ?”“なぜ人種隔離政策などを受け入れていたんだ?当時私がいたら絶対に許さなかっただろう”と。だが今も人は差別を許している。」

これは、映画「13th -憲法修正第13条-」の中で、アメリカのアフリカ系アメリカ人の大量投獄に対する人々の態度を揶揄した、ブライアン・スティーヴンソンの言葉である。

無知や無関心が、ある問題に対する”許容”を意味してしまうことへの恐怖を感じた私は、まずは知ることから始めようと思い、勉強会を開催した。

入管法改正反対デモに参加し、日本の移民政策に詳しい人、ヨルダンに訪れたことがあり、中東の難民問題に関心のある人、在日フィリピン人の権利などを学んでいる人、他者との対話を通して、自分や社会について考えるイベントを主催する人、メディアやジャーナリズムを専攻する人など、多様なメンバーが集まり、移民・難民を軸に対話を重ねた。

移民・難民っていったい誰なのか?

そもそも、移民や難民というのは誰なのだろうか。議論の中で、「不法入国者」という言葉が包含する意味を誤解している人が多いのではないか。という発言があった。

何か犯罪を犯した人なのか、日本で悪いことをする危険性がある人なのか、紛争や迫害を逃れて、ただ日本にやってきただけの人なのか。なんとなく、「悪いことをした人」もしくは、「悪いことをしそうな人」というイメージが先行し、「難民条約」に批准しているにも関わらず、日本の難民認定率が1パーセントにも満たないという事実を知らない人が大半なのではないか[㊟1]。

その人たちは、どこからやってきたのか、なぜ日本にやってきたのか。その理由を知らずに、「不法入国者」という言葉からくるイメージだけで「悪者」と決めつけ、入管に収容され、非人道的な扱いを受けることを許容してしまうのだ。

無関心は悪なのか?

”無知や無関心が、ある問題に対する””許容”を意味してしまうことへの恐怖”から、この勉強会を主催したと先述したが、「無関心を責めることが果たしてできるのか」という議論も生まれた。

関心がある、というのは必ずしも、すべてのことを深く知っていることを意味するのではない。選挙の時に、候補者の政策をみて、移民に対しどんな考えを持っているのかを考慮して投票したり、入管法改正反対デモのツイートにいいねを押すといった小さなアクションでも、問題の解決につながる」と、ある参加者は言う。

私たちは、何かを知っている限り、何かについては無知である。自己責任論が浸透し、新自由主義的な価値観が広がる社会に生きる私たちは、他者に対しどこまで責任をもつべきなのだろうか。入管の問題に関心のない人たちは、「悪者」なのだろうか。明確な結論は出ずとも、大きな問いが残った。

「生まれた時から、社会が複雑すぎる」

これは、ある参加者が言った言葉だ。生まれた時から、社会は複雑すぎるし、生きているだけで、目に入ってくる情報が多すぎる。「入管の問題がニュースで取り上げられるようになり、社会の関心は高まってきたが、それと同時にメディアの影響力の大きさを実感し、メディアとの付き合い方を考えなくてはと思うようになった」という発言もあった。大きな話題の端っこで、見えなくなっていることや、いないことにされている人がいるのかもしれない。

また、「知りたいと思ったときに知れる」ことがメディアや報道の役割の一つなのではないか、という意見もあり、ハッとさせられた。

移民・難民をテーマに話していたが、色々なところに話が進み、まとまった答えや結論はでなかった。しかし、参加者全員、もやもやすることが大事だ、という点では合意し、近々第二回の勉強会を開催することとなった。

㊟1
参考:出入国在留管理庁【令和2年における難民認定者数等について】

〇あとがき〇
参加してくださった皆さん、ありがとうございました!ここに書いたことは、あくまで私の主観で切り取ったことなので、誤解等あれば遠慮なく言ってください。またお話できるのを楽しみにしています!