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短読16 処分前の学習机の引き出しに拒絶してない鍵がかかって

はじめに

16首目は、藤田美香さんの歌です。ご投稿ありがとうございました。「一読してわかる」ように感じる歌をどう掘り下げるか考えました。どうぞよろしくお願いします。

処分前の学習机の引き出しに拒絶してない鍵がかかって

藤田美香 Twitter

まず読んで思ったこと

 この歌を読んだときに、家の中にこの学習机があって、処分前っていうことなのでもう今は使われていない机なのかなーって思いました。処分、捨てることは決まっているんだけど、まだ完全に捨てたわけじゃなくて、これから捨てられるのを待っている間の時間かなって思います。
 机を捨てることを目前にして机を見たときに、引き出しが机学習机はあると思うんですけど、そこの一つに鍵がかかっていたと。でもその鍵っていうのは多分開けられるような状態でもあるんだろうなーっていうのが、この拒絶してないってところにまず出てきてるのかなーって思いました。拒絶って結構激しい言葉な気もするんですけど、なんか拒絶してないっていうのがカジュアル、してないがちょっとカジュアルだから面白い組み合わせだなって思いました。開けようと思えば開けられるってことだから、鍵はすぐ見つかるようなとこにある感じなのかなって思って。
 学習机っていうのは、基本的にかなり過去の塊のような存在なんだろうなっていうのを今思っていて。学習机って使うのって大体学生の時だと思うんですよね。学生(時代)が終わったら、あまり使われることってなくなるのかなって思うんですね。そういう過去、今はもう振り返ることもないかもしれない過去っていうのがすごい詰まっていて、しかもそれが、もしかしたらこれは家族の机かもしれないから、他人の過去を見ることができるものでもあるわけですよね。そうなると結構気になる存在(感)の机だなーって思いました。だからやっぱり拒絶はされてないけど、見てっても言ってるわけじゃないから、ここの開けるか開けまいかみたいなところの、このどうしようかなって考えるちょい手前ぐらいの瞬間を歌からは感じています。

さらに読む

 「一度読んだら(何が書かれているか)わかる」タイプの歌は、逆に評がしにくいということがあります。そういうときは、読んで見えてきたイメージを言葉にするのが大事だなあと思います。何を見たか、そのイメージは意外と人によって違うので。私はこの歌を読んで、家のなかで日常的に使われていない小さめの部屋にポツンと机と椅子が置かれているのを思いました。それで、もう処分だなあと思って椅子に腰かけていたときに、例の〈拒絶してない〉引き出しを見つける、までの流れを読みました。この歌自体からはこの机が誰のものであるかがはっきりしなくて、でも自分の机だったらもっと、拒絶しているかそうでないかの判断が明確に出てくるようにも思います。
 〈拒絶してない〉は意外とニュアンスづけされていない表現、例えば「拒絶はしてない」だと、「しかし積極的に歓迎しているわけでもない」「むしろ触れていいか悩む」という意味合いが浮かんできますが、〈拒絶してない〉だと「開けたとて拒まれない(だろう)」という気持ちが見えてくるなあと思いました。それはこの歌の人がいだいている机の持ち主への信頼の表れでもあるように思う。ただ「拒絶」という言葉を用いるとき、自分が拒絶しているかそうでないかは比較的断定しやすいけど、自分以外の人やものがそうであるかを断定するのは難しいところがあって、この引き出し(サイドから見たとき)は本当に拒絶していないのかを考えたとき、その葛藤がみえないままためらいなく次のモーションに移っていくことが見えてきた場合、それが一方的な振る舞いとして見なされる余地もあるなあと思いました。
 歌のシーンとしては、気持ちが動くその一瞬手前の地点の話ではあると思うので、この歌の人のなかでめぐる気持ちの動き(ためらいとかいたずら心とか)を押し出すときは〈拒絶してない〉ことの確証がもっと見えた方が、明らかになりやすいのではないかと思っています。

企画趣旨はこちらから

https://note.com/harecono/n/n744d4c605855


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