短読16 処分前の学習机の引き出しに拒絶してない鍵がかかって
はじめに
16首目は、藤田美香さんの歌です。ご投稿ありがとうございました。「一読してわかる」ように感じる歌をどう掘り下げるか考えました。どうぞよろしくお願いします。
まず読んで思ったこと
さらに読む
「一度読んだら(何が書かれているか)わかる」タイプの歌は、逆に評がしにくいということがあります。そういうときは、読んで見えてきたイメージを言葉にするのが大事だなあと思います。何を見たか、そのイメージは意外と人によって違うので。私はこの歌を読んで、家のなかで日常的に使われていない小さめの部屋にポツンと机と椅子が置かれているのを思いました。それで、もう処分だなあと思って椅子に腰かけていたときに、例の〈拒絶してない〉引き出しを見つける、までの流れを読みました。この歌自体からはこの机が誰のものであるかがはっきりしなくて、でも自分の机だったらもっと、拒絶しているかそうでないかの判断が明確に出てくるようにも思います。
〈拒絶してない〉は意外とニュアンスづけされていない表現、例えば「拒絶はしてない」だと、「しかし積極的に歓迎しているわけでもない」「むしろ触れていいか悩む」という意味合いが浮かんできますが、〈拒絶してない〉だと「開けたとて拒まれない(だろう)」という気持ちが見えてくるなあと思いました。それはこの歌の人がいだいている机の持ち主への信頼の表れでもあるように思う。ただ「拒絶」という言葉を用いるとき、自分が拒絶しているかそうでないかは比較的断定しやすいけど、自分以外の人やものがそうであるかを断定するのは難しいところがあって、この引き出し(サイドから見たとき)は本当に拒絶していないのかを考えたとき、その葛藤がみえないままためらいなく次のモーションに移っていくことが見えてきた場合、それが一方的な振る舞いとして見なされる余地もあるなあと思いました。
歌のシーンとしては、気持ちが動くその一瞬手前の地点の話ではあると思うので、この歌の人のなかでめぐる気持ちの動き(ためらいとかいたずら心とか)を押し出すときは〈拒絶してない〉ことの確証がもっと見えた方が、明らかになりやすいのではないかと思っています。
企画趣旨はこちらから
https://note.com/harecono/n/n744d4c605855
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