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みる

見る
観る
視る
診る
看る

それぞれの意味をきっちり理解してる?
伝える
表現する時に適切に選んでる?

表現する時には『みる』で良い。
伝える時にはそれぞれの意味、ニュアンスをしっかり理解して選ぶ必要がある。

ここにこだわらないと、
自分が伝えたいことが100あったとして、
少しづつ目減りしていってしまう。

100を100で伝えるにはこのワードチョイスが非常に大切である。


先日、かいき塾の中で、

彼女のことを恋人と呼ぶ人がいて、そのワードチョイスに感動を覚えた。

ちゃんと恋人という言葉に意思を持ってわざわざそれを使う。
その意図、ニュアンスに感動を覚えた。という話。

それを聞いて素晴らしいなと思った。
ひょっとすると、伝える意図もあるが、実は表現だったのではないかなと思う。

その流れで、
『先生』という言葉を無くしたい。
という意見も出た。

先生と呼ばれる人がいることで、
その瞬間に上下関係、従属関係が出来上がる。
社会を見た時にも理不尽な上下関係ができている。

というもの。
確かにそれもあるなと思いながらも、
感じたことがあった。

ぼく自身、
先生という言葉はとても良い言葉だと思う。
上下ではなく、
ただただ【先を生きる】それだけ。
前を歩いている人。
道標的な。

本来はこういう意味だと思う。
文明の発展などで意味が変わってきているのだろう。

それぞれの受け取り方が変わってきているのもあると思う。
いわゆる義務教育の先生にはぼくも疑問を持ってる。

ぼく自身は幸いにも『先生』に恵まれてきたと思う。
そのおかげで今がある。

中にはひどいなーと思う人もいた。

割合的にみると、社会不適合者がほとんどじゃないのかな(笑)
非常に閉鎖的で狭いところで生きてきた人が、
社会にもまともに出たことがないような人たちが、
社会に出る準備を教えるのだから(笑)

だけど本来はそうではないはず。

この『先生』という言葉は現代社会の被害者なのかもしれない。


この間ふと思ったことがある。
満月を見たときに、

月は太陽に照らされてこそ
輝けるんだ。

ってよくいうよなーと。

ちょっと待てよ。
月は照らされたくて、太陽さん照らしてくれてありがとう
みたいな構図になってるけど、
ほんまはそうなんか?

実は、照らされたくないのに照らされて、
それやのに、あんたは太陽さんがいないと輝けないやつなんだよ。
なんてこと言われて、
ええありがた迷惑なんちゃうかな。
そっとしといてくれ。
眩しいねん。

そないおもてるかもしらん。
人間が勝手にそう捉えてるだけ。
月の本意ではないかもしれない。

勝手に決めつけんな。
って思ってるかもしれない。

結構な被害者やなと思った。

月と先生はどちらも被害者かもしれない。


これは表現と伝えるの違いでもある。
表現を勝手に解釈して、決めつけてしまうと、
往々にしてこういうことが起こる。

現代社会のコミュニケーションにおいては、
ちゃんと本人が『伝える』をしないことには信じちゃいけない。

表現を勝手に受け取って勝手に解釈して人に伝えるのはとても危険である。
そんな経験よくある。

芸術評論家やばいやつやな。

相手は表現をしているのか、伝えるをしているのか。
これをこちら側が判断できた方が良いとおもう。

日々常に、表現か?伝えるか?
この判断の癖はつけたほうがよさそう。

表現こそが大切

表現の大切さ、
訓練をしよう。

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