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キラキラしていた頃

まだ僕が無精子症と分かる前に奥さんとよく近所を散歩しました。散歩の時には道に咲いてる花がきれいだとか、空気が変わったとか通りすぎた犬がかわいいとか他愛のない話ばかり。時々子どもの話も話題になりました。

二人の子どもが生まれたら、髪の毛の色は僕に似たほうが良いね。目の形は奥さんの方が良いよ。頭は奥さんの方が良いからそっちに似てほしいな。運動神経はどちらも悪くはないな。子どもの名前はどうしよう・・・

男の子でも女の子でもきっとすごいかわいい子になると思っていたし、そんな話を二人でするのが楽しかったです。

だけど今はそんな話は話題にあがりません。だって僕の遺伝子は子どもに引き継がせることができないのですから。

友だちの夫婦が自分の子どもはどっちに似ているとかの話を良くしていたし、僕も親に言われてきました。この手の話題は親子間ではしょっちゅう出るのだと思います。

だけどもし僕たちに子どもができたとしても、僕に似ていると言われることはあまりないだろうし、言われても妙な気持ちになるのだろう。そんなことを考えると、何も知らないで未来のことを語り合ったあの散歩の時間はすごいキラキラしていた時間だったと思います。

今は心にぽかんと穴が空いた感じで、楽しいことがあっても少しすると穴から気持ちが抜けていって虚しくなってしまいます。

でもそんな僕の心の空虚さ以上に辛いことがあります。それは奥さんの気持ちを考えることです。

奥さんは結婚する前から子どもは早く欲しいといっていました。そんな彼女は僕と結婚して中々子どもができず、その間同年代の友人たちにどんどん子どもができてきた時、どういう気持ちだったんだろう。

友だちと遊びに行くといって帰ってきたとき。「みんな子育ての話ばっか」と元気なく話していました。子どもが欲しくてもできなくて、周りが子どものことを幸せそうに話していた時どんな気持ちだったんだろう。

不妊治療で通院しているとき、お腹の大きな女性を見てどんな感情が沸いたんだろう。そんな奥さんのことを考えると辛い。

奥さんはすごく辛い思いをしている中、僕はまさか自分が原因だなんて思いもせずに能天気に過ごしていました。

そして無精子症が発覚したしたとき、僕はすごく動揺したし、人生で一番ひどい落ち込み方をしました。

そんな時に奥さんは普段と変わらず明るく振る舞ってくれました。「夜桜見に行かない」と、言ってくれて夜桜を見に行ったり、「ここのカフェ行ってみたい」と言って出かける口実を作ってくれたりしました。

奥さんが笑っているときは僕も気持ちが明るくなり、嫌なことを忘れることができました。この時期奥さんには本当に救われて感謝の気持ちしかない。そんな奥さんを幸せにするのが自分の人生だなと心から思いました。

そしてできるならあの楽しいことを想像して笑合うキラキラした時間をもう一度一緒に過ごしてみたいと願っています。





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