見出し画像

身の回りのちいさい変化

最近、家にずっといるにも関わらず、オンライン上での方が人と関わったりする機会が増えてる。(そして体重も増えた!)
年齢もあるのかな。やっと自分の地盤がしっかりしてきて、外の人と関わるのが苦でなくなった。(いや、やっぱりまだ引っ込んでるんですがね笑)

自分でも驚いたのは、3月に入ってから、家族とメールや電話をする機会が確実に増えた。初めは心配とか情報共有だとか、やらねばとか心配に駆られてとかだったけれども、だんだん自分のしてる仕事とか挑戦してることだとか、日々のなんでもない話とか、意見を求めたり意見したりするようになった。そんなことあったかな…笑 うちの姉妹にはなかった気がする。おもしろい変化だった。

自分の中で大きかったのは習慣ができてきたこと。今までは、なんだかんだしようと思っていたけれど、他ごとに気が移ってしまって取り掛かれなくなっていたことが多かった(おそらく脳みそのクセ)だけど、家にいると体がなまるということで、頭や体を起こすために20分以上の散歩の習慣をつけたり、これまた仕事がなくなってしまった芸人さんが始めたエクササイズのレッスン動画を見ながら一緒にやってみたり。多分こんな事にならなかったら、きっとやっていなかったと思う。
好きな時に食べて、好きな時に人と会話して笑って、必要なだけ体を鍛えて、必要なだけ思考する。こんなにも普通のこと、なんで今までできなかったんだろう。
この方が、断然健全。健康になれる気がする。

全然まめじゃないSNSもこまめに更新しちゃったり、過去動画見返すだけだったYouTubeも、明日の配信を楽しみにしちゃったり、大道芸人さんのツイキャス見たり、それで見てたらコメントしたくなって、アカウント登録しちゃって、コメントして、読まれて喜ぶ、みたいな笑
なんかこの感じいいーなー、なんだっけと思っていたのですが、思い出しました。ラジオに投稿して読まれてテンションあがる感じ。あの懐かしいワクワク感が味わえるなんて、なんて不思議。
この現状だからこそ、人とのやりとりというか、関わることで生まれる楽しさを実感している。あと、オンライン上では本音が言いやすい。匿名性もあるからかな。いいのか悪いのかはあるけど。
でも最近わたしが感じるおもしろさは、本名でやってるからこそ感じるんだと思うんです。フェイスブックが出た時は、実名だから投稿すること、かなり考えました。そして、ひんぱんにSNS疲れしました。さらに見られることを意識しすぎて投稿をしたくなくなるという…。きっと自分を良く見せたいっていう意識がずっとあったからだと思います。
今もあるのかな、いいね欲しいからリア充アピールみたいな…。
ほんとに、人間は虚像が好きですね。なんだろう、最近思うけど、はったりができる人間が前に前に出てきたけど、 今ははったりが剥がれ落ちて本物になった人たちだけが残っていく時代になってると思う。
うーん。
自分はまだ本物にも、はったりの強さも持ち合わせていない。
生き残るのか…。続けられるのか…。

***

今朝、姉が送ってくれた新聞記事の中に、印象に残る言葉があった。お姉ちゃんありがとう。
数学者・大道芸人のピーター・フランクルさんの言葉
「芸人は喜びを分かち合う場の責任者であり、下僕。困難な状況下でも見れば笑顔に。」

うん。
今は半端だけど、どちらの気持ちも少しずつわかるようになってきた気がする。