見出し画像

映画を観た話(ちょっと重い)


「ニーゼと光のアトリエ」
監督:ホベルト・ベリネール
1940年代、ブラジルの都心にある精神病院の女性医師ニーゼが、芸術や自然体験を通して患者に寄り添い社会とのつながりを取り戻そうとする姿を描いた作品。

普段ならTwitterにでも140字くらいで書いて投稿してしまえるかもしれないけれど、この映画は取り扱うテーマが大きすぎて深すぎて、簡単な言葉で感想を書いて投稿することができなかった。
人と人が関わり合いながら生きる上で、大事にしたいことが丁寧に美しく描かれている。そして、ニーゼを演じる女優グロリア・ピエスの演技に、聡明さや慈愛を感じて、本当に引き込まれる。
観終わった後、心にずんと重みを残すので、できれば心が元気な時に…。
それでも、観て、感じて、考えていきたい作品。



以下、映画の感想というよりも、映画を通して感じたこと知ったことをたらたらと記録のように書いています。
ネタバレ含む自己満足な長文の感想なので、興味のある方はお付き合いください。















***






冒頭、医師たちの発表会で、ロボトミーや電気ショック療法による暴力的な治療の成果について語られる。実際に患者を連れてきて実演するシーンまであった。
「カッコーの巣の上で」が頭をよぎった。
患者(ニーゼは顧客と呼んでいる)をひと扱いしない、暴力と格差と差別のはびこる病院内の日常のシーンが流れていく。今となってはモラルに反するのような対応も、精神科というある意味異常な環境で、医師や看護師は当たり前のように淡々と差別し、暴力し、黙認している。
生活の環境や習慣によって壊れたまま、人格否定を繰り返されることでトラウマや発作をさらに悪化させている。

最初の方はずっしりと心を沈ませる苦しみや、痛みのあるシーンが多いけれど、ニーゼが関わっていく顧客がだんだんと変化していく様は美しくて繊細で、精神の歓びが表現されているようだった。

しかし映画の後半、セラピーアニマルとして顧客を癒していた犬たちが、病院で飼育することに反対する医院長の思惑で殺されてしまい、顧客たちもスタッフも泣き叫び、取り乱す。
権力を持った人間は、言うことをきかず疑問を投げかける対象のささやかな幸せを、簡単に捻り潰す。

最悪の事態を経験したあと、その悲しさを押し流すように淡々と展覧会へ向けた絵の搬出作業に移る。
顧客が絵を描き始める過程と描かれた絵画という結果が美術評論家の目に留まり、その活動が認められていく兆しを見せて、物語は終わる。

人の精神は予期せぬところで簡単に壊れてしまう。何が引き金になっていたのか、本人が自覚できないこともある。
本人が複雑に絡まってできてしまったトラウマを解いていこうとする時、たくさんの衝動や記憶や葛藤の日々を闘わなくてはいけない。その時に人の、そして医師の助けが要る。
心は、安らぎを感じている状態でないと変化しない。頑なな岩のように武装してる状態では容易ではない。無理にしようとすると、摩擦が起こり双方が傷ついてしまう。
どれほどの期間を経て信頼関係をつくってきたのか、その信頼関係が生む安心感によって、物事を冷静に見つめる視野がつくられる。
また、他人とつなぐ信頼という糸は、人それぞれに太さがちがうから、どれくらいの強さで引きあえばもっと鍛えていくことができるのかを、常に見つめていないといけない。
これらが分かっていれば、自分のプライドを守るために人のしあわせを奪うことにどれだけ責任があるか想像がつくはずだ。

精神病と判断されなくても、日常の中で受ける差別や圧力、価値観の差によって自分を歪めていくうちに、自分でも知らない間に危険な状態にまで追い込んでいるなんてことは、いくらでもあるだろう。
これは、この時代の、精神病院の中での出来事ではなくて、現代の日常にも存在するはなしなのだと思う。

重苦しく、張り詰めたシーンがつづく中には、ちゃんと癒される時間が存在する。ニーゼの精神を支えるの夫や猫たちとのシーンは、惜しみない愛を受け取って、また惜しみない愛を注ぐ対象がいることの大切さを表しているようだった。

人間が希望を感じるには「個々にできることが増える」「純粋な好奇心が生まれる」「好きなことを発見する」ことが必要なようだ。そんなよろこびの過程を経験することで、衝動を抑える方法を知って、創意工夫をしようと前に歩き出せるのではないだろうか。

映画の中では、もうひとつ「自然との関わり」も印象的に描かれていた。
木漏れ日の光を感じること、雨と戯れること、犬たちの世話をすることを通して、心がほぐれてくる様子を描いていた。
退院する仲間を祝うお祝いのシーンもあった。歌や踊り、衣装、化粧、カラフルな装飾は、その場にいる人たちの心が同じ色になるという心地よさや楽しみが表現されている。
どれも省くことのできないプロセスだし、人生を彩るために必要なものだと思う。全部がこの映画の中にバランスを崩さず散りばめられている。
映画の中のひとつひとつのエピソードには、ずっと重たいトラブルや、対立や説得などに要する長い長い歳月があったに違いないだろうが、映画だからという点があったにしても、あんなに素直に人に応えて、出来事を喜び合えて、幸せを表現できるのは、ブラジルという国に住む人の気質なのだろうか。
世界中の「人間」に共通する特性であることを信じる。

***