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ONEPIECEに支えられた発達凸凹道

昔から漫画のONEPIECEが好きで、最近なんかは特に盛り上がってますけれども。ONEPIECEないしはジャンプ作品と言えば、言わずと知れた「努力」「友情」「勝利」がコンセプトですよね。

これ、1人を好み、基本個人プレーで勉強ばかりやってきた私とはかけ離れた世界観だったんですよね。だからこそ憧れ?みたいなのがあったかもしれないですけど、とにかく自分の心をいつも揺さぶるものがあって、胸が熱くなる内容だったんですよね。

好きなシーンの中にはこんなセリフがあります。

「この世に生まれて一人ぼっちなんて事は絶対にないんだで!!!!」(サウロ)
「私!!!生きててよかったァ!!!」「今日という日が!!!やって来たから!!!」(ブルック)

胸アツシーンに感涙しつつ
「私の仲間は何処にいるんだろう」
「自分がそうな風に思える日は来るんだろうか」
そんな風に感じていた。

もう少し細分化すると、仲間に出会うためには自分が何者かを知らなければならないし、それを発信することでしか自分に合う人たちを見分けることは出来ない。それなのに長い間自分が何者なのかも分からず、私が果たせる役割が分からず、そんなだからずっと1人で孤独だったんだ。私の場合、物理的には近くにいてくれる人達がいた。それでいて慢性的な孤独を感じていたから、余計に先がないように感じた。

それでも諦めたくはなかった。ONEPIECEを見て、憧れて、ほとんど夢見る乙女状態だったと思う。

白馬の王子様を待つ

以前職場の同僚にこんな風に言われたことがあった。「はあちは、白馬の王子様を夢見てるからね~」

正直、その意図がわからず困惑したが周囲にはそのように見えていたらしい。

今だから分かるが、私は王子様を待っている訳では無い。「絶対的な理解者」が欲しかっただけだ。これまで誰かと「共感」する経験が乏しく、「誰かに分かってもらいたい」「人と共感し合いたい」という痛烈な想いが心の底にあったんだと思う。周りから見たらそれが「白馬の王子様を待つ乙女」に見えたというわけだ。

さて、こんな事を綴る今、私は「絶対的な理解者」に出会えたのだろうか。
結論から言うと、もう私に「絶対的な理解者」は必要ないと思っている。なぜならやっと自分が何者か理解することが出来たからだ。他者に理解を求めるのは、自分が自分で理解出来ないからだ。誰かに決めてもらわないと、評価してもらわないと、自分が分からない。今はもうそんな自分じゃない。

発達障害をアイデンティティにするつもりは無い。あくまでそれは私の一部であって自分を理解する手がかりに過ぎない。たぶん、その大きな手がかりが最後に残った課題だったんだと思う。それが分かった今やっと、私は自己受容というものが出来たんだと思う。

時間はかかったがここまで希望を支えてくれたONEPIECEこそ私にとって白馬の王子様である。
尾田先生、1ヶ月休載するそう。声も届かぬ私ですが、一読者として感謝申し上げたいです。最終章、心待ちにしております。

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