![見出し画像](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/58455492/rectangle_large_type_2_fd5d33b38485d9a4c820a8077f620cce.png?width=800)
noteで投稿を始めるワケ
思考と感情を快適化する専門家、ヒプノセラピスト はらゆうこ と申します。
ここでは、ヒプノセラピー(催眠療法)のこと、思い出深いセッション、ユニークな保護犬ベルさんとユニークな元不登校児大学生の息子のこと、日常から得た気づきをライトにポップに書いていきたい。
そして電子書籍ではなく、紙の本を出版するのが目標。
はらゆうこ、バツ2、53歳。挑戦します!
+++++++++++++++++++++++++++
さてさて。私のこれまでを下にまとめてみようと思う。
まだ会社員をしながらの兼業セラピスト。
なんせシングルマザーとして息子を私立大学に行かせてるもんで、このコロナ禍で大企業にお勤めするのは非常に安定感があるし、しばらくはこのままのスタイルで。
20代の頃はショーモデルをしていて、でも身長が170cmしかなくて、オーディションではたいてい一番チビだった。大きいことがコンプレックスだったのに、モデルになったら小さいことがコンプレックスに。
ああ、住む世界によって基準値が違うんだなぁと悟った。
(ほら、美人の定義だって国によって違うじゃない?)
あんなに大きいことがいやだったのに、モデルになったら小さいだなんて、ほんと不思議。
子供の頃から目に見えないものが見えたり聞こえたり感じたりする人で、専門は予知夢。
特に人が死ぬ夢はいつ誰がどうして死ぬのかまで言ってしまうので、母からは「ひとさまの前でそういう話はするもんじゃないよ」と釘を刺されるけども、見たものは言わないと気持ちが悪いし。
部屋にはしょっちゅう幽霊が出て、「来る」ってわかる時は、部屋の空気が凍るから身構える。
洋品店を営む伯父からもらった本場から輸入したというミッキーマウスのちょっと不気味な人形は、いつも夢の中で人間になって私を怖がらせた。
従兄が京都の修学旅行で買って来た電子オルゴールの音がする絵馬は、電池を取り替えていないのに20年経っても毎朝7時に決まって鳴り続けた。
そして家の呼び鈴が真夜中にピンポーンって鳴るので恐る恐る玄関に行ってみるけど誰もおらず。毎晩鳴るので故障かと思って取り替えたけど、やっぱり鳴る。
たまたま泊まりに来ていた従姉が、「あれはなに?」って怯えていたっけ。
そんなホラーな家で育った私は18歳で青森から東京に出る。
いろんな仕事をしながらモデルを続け、25歳で最初の結婚をし、30歳で離婚。
その頃に所属していたモデル事務所の社長が私に事務所を譲り、社長兼マネージャー兼モデルをしながら、養成所を立ち上げる。
33歳で再婚、妊娠、事務所を畳んで家庭に入る。
結婚する前から価値観が合わないと薄々感じていたけれど、息子の不登校を巡り、息子の心を夫から守るために別居を経て離婚。バツ2って自分でも衝撃的だった。
2度目の結婚で自己肯定感がボロボロになり、どうして私ばかり変わらなきゃならないの?どうしてあの人は変わらなくていいの?と自問自答がグルグルして止まらなくなり、その時にヒプノセラピー(催眠療法)と出会う。
前世退行などを通して、私と夫の関係、私と息子との関係を、タマシイの歴史として垣間見て、なぜ人と人は出会うのかを知る。
実は15年前にスピリチュアルカウンセリングサロンを自宅で開業して、透視リーディングやチャクラヒーリングを看板に上げてた。
当時はブログを書けば集客出来るような時代だったので、今よりはラクにお客様も私に辿り着いてくれたし、ま、一応繁盛はしていたと思う。
けど、夫が見てもらった霊能者が「奥さんにスピリチュアルな仕事をさせてはいけない」と言ったそうで、夫が「俺らの身の安全のために辞めてほしい」と言い、その時にいろんな思いもあったのであっさりと看板を下ろした。
いろんな思いとは、「スピリチュアル」のことを「スピ」とか言って、見えないものが見える自分のことを特別な存在だと思っているスピ系の人がいたり、スピ系のイベントに行くと、全然素敵な人がいなくて、みんなヒッピーみたいで、そういう世界なのかなーっていう思いに囚われて「いいや、普通の人で。普通にキラキラ生きたい」って思ったのだ。
そこからは普通に、と言っても、モデルの仕事を少ししながら、ファイナンシャルプランナーとして大手生保で働いたりしながら、元クライアントさんやそのご紹介でカウンセリングは細々と続けていく。
いっぱい転機はあったけど、一番の転機は50歳の時。
青天の霹靂とはこのことか、という出来事で、私の外資系金融機関でのキャリアは幕を閉じた。
50過ぎて同じ待遇の職場なので見つかるはずもなく、同業他社で年収は半分近くまで下がったけれど、同じ年代の女性にしてはきっとお給料水準は高い職場に就職することは出来た。
その時に、思い出したことがある。
「あ、わたし、55歳までに一生出来る自分らしい仕事を見つけて軌道に乗せて、早期リタイアするのが目標だった」
で、借金しながら、ヒプノセラピストの学びを始めて、今に至る。
2018年に開設したFacebookでは2ヶ月足らずで1000人越えのフォロワーが付き、今は約5000人のフォロワー、インスタはまだまだこれからだけど800人のフォロワー。
ほぼ毎日欠かさず投稿し続ける中で、出版社のイベントで登壇させて頂いたり、様々な方々とのタイアップのお声かけや、信じられないような成功者の方々との出会いがあって、SNSってすごいなぁとしみじみ感動中。
毎日の投稿が面白い、わかりやすい、読みやすい、とお褒め頂き、「どこかに蓄積したほうがいいよ」というアドバイスから、noteでの投稿を始めることに。
子供の頃から文章を書くのが好きで、毎年のように作文コンクールは入賞、中学1年時に弁論大会で優勝し、その後はゴーストライターとして2年、3年の弁論大会も優勝に導く(今思えばなんちゅー担任教師だ。天国の先生暴露を許して)
高校の頃も宿題で出したエッセイを国語の教師が勝手に出版社に送り、なんだか賞を頂いたがなんだったのか忘れた。
ずっとずっと私の中に「書く」っていう欲求が消えることはなく、ただひたすら感じたコトを言語化することに喜びを感じてる。
そんな私だけど、読みやすい記事を書いていくので、ご興味が湧いたら「スキ」って言ってもらえたら嬉しい。
というわけで、ではでは、どうぞよろしくお願いします。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?