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空海の小道 東かがわ市 引田

空海といえば
明けの明星が口の中に入ったエピソードが
大好きだ。

小学館の学習まんが
人物日本の歴史にのっていたので、
フィクションかと思っていた。

明けの明星のエピソードは空海が自ら執筆した
「三教指帰(さんごうしいき)」という
書物にのっているので、
あながちフィクションではないのかもしれない。

そんな大好きな空海の絵が飾られていると聞いて
東かがわ市引田にお邪魔した。

空海の絵が飾られているのは
「萬生寺」の外壁


このお寺の女将さんが、
東かがわ市引田のボランティア団体
風まちネットの代表をつとめられていることもあって
実現した。


壁画製作のいきさつはこの説明がくわしい

感謝しながら、鑑賞していく。

嵐に耐えながら、当時最先端の都
唐を目指す。


唐では恵果和尚に師事し、
密教の奥義を授けられる。


目隠しされた空海が
花を投げる
何度投げても
中央の大日如来のところに落ちる。
この描写が大好きだ。

これも小学館の人物日本の歴史という
漫画にのっていたので、
フィクションだと思っていた。
今回調べてみると曼荼羅自体が
そういう使い方をされていたのは事実で、
空海の花が中央におちたという記録もある。

密教の奥義を授けられた空海。
当時、唐に留学したものは20年は帰国できない決まりだったが、
空海はその禁忌を破って
4年で帰国してしまう。
パンクな空海。

禁忌を犯したため、都で密教の布教ができなかった空海
自業自得だが、
そのためにかの有名な高野山を開いたとされる。

なぜ高野山を選んだのか?
二匹の犬に導かれて
高野山を選んだというエピソードが
今昔物語に残っている。
その場面を描いた絵がこちら

空海は土木技術にも精通しており、
堤防を作り、護摩を焚き、
技術と密教の両方で
人々を水害から守った。


晩年、死期を悟った空海は自分の入定を3月21日と定め
その日の1週間前から穀物を絶ち、
瞑想に入った。
その後、空海の姿をみたものはなく、
今現在も空海は人々のために祈り続けているという


その空海に習って、
後年の密教の弟子たちが
即身仏となり、
人々のために祈り続けて、
死してなお仏となりて
人々の幸せを祈り続けた。

ゼルダの伝説ブレスオブワイルドでも
祠をクリアすると
祠の主に会えるが、
そのモチーフが即身仏だと思われる。

カリスマ添乗員平田進也氏のツアーでも
大好評をいただいた
空海の小道。

また是非お伺いしたい

最後まで読んでいただき
ありがとうございました。


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