「日本を元気に」という言葉がイラッとする本当の理由
先日、ジャーナリストの江川紹子さんがこのようなツイートをされているのをみかけました。
これが直接はどの選手の発言に呼応して出たのか、スポーツに疎い私には分かりませんでしたが、たしかによく思うことです。観衆など受け手が「元気をもらった」と言うのは分かるとしても、送り手側が言うのはちょっと上から目線を無用に感じますし、「おためごかし(表面は人のためにするように見せかけて、実は自分の利益を図る行為)」と受け取られることもあるかなと思います。
これと似たような話で、街おこしやイベントをする際のポスターなどに、
「まちを元気に!」
とか
「日本を元気に!」
と書かれているのをよく見ます。「元気にも何もこっちは元気じゃ」と見かけるたびに思ってしまうのですが、それだけではなく、地域振興活動をしているなかでこれを見たら、別の言葉に変えることお願いしています。
それは「元気に」と言うものの、「元気になりたいのは言ってるあなたの方だよね」というのがあまりにも見え透いているというのが一つの理由です。この言葉を使ってる側が「商売で一儲けしてやろう」とか「たくさん客呼ぼう」と思っているときに、そうはあからさまに言えないから「まちを元気に」と言い換えているという・・・・・・まあ、それはそうですよね。
そして、それが書かれていても大半の人はそこまで気にしなかったりしますし、だからこそこのフレーズはしょっちゅう使われてしまうわけなのですが、それでも替えた方がよいと思っています。なぜなら、このフレーズを使っている時というのは、その企画なりイベントが「何のために」「どういった人を対象に行われるのか」分析・検討が足りていないときだからなのです。
そのイベントなり企画の特性だったり方向性がハッキリしているときは、そんなフレーズを使わずその売りとなる要素や魅力となるポイントがキャッチフレーズにはっきり謳われるわけです。それが書けないというのはターゲットがどういった人たちであるか具体性がないまま話が進んでいるとか、企画を通して何をなさねばならないのかという本当のゴールが見えていないとかの証左だったりする、なのでこのフレーズが出るときは「危険」と思うのです。
こういうフレーズは商店街のキャンペーンとかで主によく見かけるのですが、検討していると何か面倒なモノのフタを開けてしまう可能性があったりもして、結局当たり障りのないところで「まちを元気に」に落ち着いてしまう・・・・・・という側面もあるにはあるようですがw でもこのフレーズが出ている企画やイベントは「それ相応のレベル」と判断するのはそれほど間違っていないと思います。
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