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相手のナラティブの中から自分を眺めてみる

大学4年生の夏休み、宇田川元一先生の著書『他者と働く』を読んだ。越境活動を通して対話をする機会ができたけれど、結局「わかる!」という共感に行き着き、またそう言われることに安心感があった。この人と「違う」となったら、関わることすら恐れる自分もいた。

大学3年生の12月、わたしは認定NPO法人カタリバでボランティアをしていた。Zoomで1対1で高校生と対話を行った後の振り返りで、「はるかはどんなこと考えて対話していたの?」とインターン生に問われた。正直よくわからず、問いに答えることもできなかった。できなさにその時はただ凹んでいて、そんなわたしに彼は続けて「はるかは対話できていないよ」「対話って何?」など、いろいろ問いかけてもらったけれど彼の思う正解は何かをさぐってしまったり自信なさそうに返したりした。自分にしかベクトルが向いておらず、それらの問いが悪にも思えてしまった。
それでも、後々その時のことを考えた時に、彼はどうしたら高校生にもっと意欲と創造性をもってもらえるような対話ができるのか探っていたんだろうなとか、わたしが考えていることを知りたいって思ってくれているのかもしれないとか、相手の視点に立つことができた。それに加えて相手から見たわたしは、ぜんぜん応えてくれないじゃん!今落ち込むとこじゃないだろ!と思っただろうなとも思った。自分の異常さにそこで初めて気づいた。悪じゃないことに気づいて、彼の考えとかも、知ってみたいと思ったりもしたし、自分の振る舞いを変えないといけないと思えた。

今までは自分が、この人とは合わない・・・と思ったら付き合わない方向を選んできたし、それで何とかなっていた。でも、自分とは違うだれかとコラボレーションする状況に立った時、そんなわけにもいかない。この人とは合わないと思っても、なんとか一緒に作り上げる必要がある。だからこそ、自分視点だけではなく、相手視点も持って関係性を構築し、より良いものをつくることが大事なんだと思う。

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