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13歳で、人生を棒に振るのはまだ早い。

中1の息子の定期テストの点数が、すごいことになっていた。

息子の名誉のために点数は差し控えますが、要するに桁がおかしい。(ほとんど言ってるようなものですね、息子よ。ごめん。)

親として、さすがにやばいと思った。

「ええええ。(どうしたら…こんな点数になるのよ)」
相手は思春期男子。マイ子育てルールとして、自己肯定感を下げる言葉は使わないと決めているけど、そんなルール崩壊しそうなくらいの衝撃である。

私の子育ての方針は「教育不熱心」。いや、本人が望むならいくらでも教育熱心になる。そうじゃなくて、本人が望まない限りは、過度な教育はしないと決め込んでいた。

理由は単純で、私が教育熱心な家庭で育ったから。人というのは、ないものねだりをする生き物でして。親は私のことを大切に育ててくれたとわかっているし、親が施してくれた教育あって、今の私がいるというのは100も承知です。けれども、物心ついた頃から公文式に通い、塾に通い、お受験に備えて勉強し、なのにお受験に失敗して自己肯定感をこじらせてきた私としては、子どもに過度な期待はしたくない。そういうの重たいんです。子どもは、子どもらしく遊べばよろしい。勉強は、本人が望む限りはやらなくていい。

そんなわけで、我が子には幼稚園も勉強より、体力や対話力など、いわゆる非認知能力を上げることを教育指針にしている園を選んだ。小学生になってからの習い事は、本人が強く望んでいるバスケットボール、そこまで好きではないかもだけど、4泳法をマスターするまではやめないと決めた水泳、それから学習系は、チャレンジ(進研ゼミですね)の3つをしていました。バスケと水泳は続いたけれど、チャレンジは課題が溜まりに溜まっていく。ある日「チャレンジの課題が全然提出できてないけど、どうするの?」 と聞いたら、やめたいと。確か小学校2年生くらいのときかな。私のスタンスから言えばOK。だって本人が望んでないのだから。やる気のない人にやらしても意味ないでしょ。ただし、学校の宿題は確実にやること、それを条件にやめることをOKしました。

その後彼が、確かに学校の宿題をやってきたか?というと、そうでもない。思えば小3くらいのときから怪しかった。自主学習と呼ばれているくせに、提出しないといけない課題(それって「自主」じゃなくね?名前おかしくね?と思うけど論点が逸れるのでまぁいい)をずーっと出し続けてなくて、先生から、定期的にお電話がかかってくるようになった小3,4,5年生の頃。でも通知表的な評価で言えば、中の中くらいだったので、そこまで気に留めてなかった。

学習面はともかく、先生からの評価が毎回よかったので。彼は、親の欲目を抜きにしても人当たりが良く、人懐っこく、人に好かれる。「優しい子はたくさんいますが、〇〇くんはそれだけではなく、お友達の嬉しい気持ち、悲しい気持ちに寄り添って行動できる子です」と懇談で先生に言っていただいたこともある。なんてええ奴なんだ…!母は誇らしいですよ。勉強がそこそこで、お友達と仲良くやれてるなら上出来じゃないか。それ以上は望まない。

小6の頃には、少し学力に対するやる気が芽生えたようだし。きっかけは、なんとあの『ドラゴン桜』。ちょうどドラマ化されていた頃で、息子は、どハマりする。録画しては繰り返し見るほどハマったようで、自主学習をちゃんと提出するようになった。それだけじゃない。ノートには赤鉛筆で「間違ったところをできるまで復習する!」と、でかでかと書いていた。そんなの一般的には普通のことと思われるかもしれませんが、この子的にしたら革命レベルの出来事なんです。ものすごくわかりやすくドラゴン桜の影響を受けていたようです。さすが私の子。影響を受けやすいんだよね。小学校を卒業する時の彼の学力は、中の中くらいだったと思う。


そんなこんなで中学生になる。最初の定期テスト。結果はそんなによくなかった。中の下くらいかな。テストの結果を受けて「塾に行く?と聞いたけど、彼曰く、「次は学習のやり方を変える。友達と勉強するから、塾は行きたくない」とのこと。ほんまかよ!と思いつつも、彼がやるといってるんだから母は信じますよ。

次の定期テストも変わらず微妙。もう中レベルじゃないで。下やと思う。君、変化してる?? 三者面談もあったので、学習の仕方を変えるべきでは? 塾に行くべきでは? と再度聞くが、本人曰く、「部活(バスケ)をとにかく頑張りたい。第一優先にしたい。次のテストが悪かったら、塾を検討します」と言った。そうか。そうなのか。ほんまに大丈夫なのか?  母はとても心配ですよ。でも本人がそう言うなら、わかったと言うしかない。基本的に本人の姿勢を尊重すると決めたのは私だから。

そして、その次の定期テスト。学年末考査。冒頭に書いたとおり、結果はむなしく数学と理科で桁がおかしなことに。…全然大丈夫ちゃうやんけ! これはあかん。


というわけで、去年の年末から慌てて息子の家庭教師を買って出ました。一応昔は、○ライで家庭教師をしてたこともあるしね。


息子に勉強を教えるようになってわかったのは、学力以前の問題が多いこと。

冬休み開けにテストがあるというので、まずはそのテストを頑張ろうと決めた。テストの範囲を聞くも、知らないと言う。なんでやねん。テスト範囲をわからずして、対策が立てられるはずがない。相手を知らずして、戦うことができようか。否、できるわけがない。

息子:プリントに書いてたはず。
私:そのプリントはどこに?
息子:知らん。渡したんちゃう?
私:えっ…ママが持ってるの?(忙しさにかまけてプリントチェックができてないことは多々あるので、途端に焦る)

こんな感じで、勉強に入る以前に二人でテスト範囲の書いてあるプリントを探すところから始まった。


それから文字が汚い。下手ではなく汚い。字が下手なのは、仕方がない。習字など習わせてないし、そもそも母である私も字は相当汚いので、どうこう言える立場ではない。でも、字が下手でも、丁寧に書くことはできる。例えば、答えを書き直す際、消しゴムを使わず上書きして書く。横着すぎるやろ。


極め付けは、受け答えの態度が激しく悪い。

私:findの過去形はちょっと特殊で、edつけるんじゃなくて、foundなの。これはもう丸暗記した方がいいね!
息子:(10秒くらい無言。からの)……そっスか。(そのあと、あくび)

私:比例の式はy=axだから、aを求めるためにはどうすればいい?
息子:(長い無言。その後に首をふるのみ)
私:わからないってこと?
息子:……そっスね。(ほとんど聞こえない)

プルプルプルプルプル…(怒りの堤防が決壊しそうなのを堪える音です。)

それが人に何かを教えてもらっている態度なのか。親なので完全に舐めてるやろ。舐めんなよ。許すまじ。

そして、何よりも一番よくないのは、投げやりで諦めているところ。いろんな科目のワークを見たところ、テスト範囲以前のページにかなり空白が多かった。過去のワークもあんまりやってなかったみたい。私の時代とは違って、最近は提出物などの内申点は中1から含まれるらしい。こんだけ空白多いってことは、提出できてないってこと? これでは内申点0じゃない? テストの点数以前の問題じゃないか。その辺を聞いたけど、危機感もなさそうで「知ってる。でももう無理じゃね?」とだけ言う。

プルプルプルプルプル…(再び怒りの堤防が決壊しそうなのを堪える。)

無理じゃね? って。なにその他人事みたいな言い方。それは私に聞くことじゃなくて自分で決めることだし。いや、無理って決められても困る。だって君はまだ13歳。たかだか学校の課題如きでこんな早々に諦めていいのか。この先の人生しんどいこと、苦しいことなんて山のようにあるのに、その度に「無理じゃね?」で済ますのか。そんな人生でいいのか。

とは、もちろん言わなかったけど。どうしたらいいのかわからなくて、くらくらしていた。


そんな感じで息子の学習へのモチベは大して上がっていないけど、私と夫にせっつかれて、今年から毎朝早起きして30分程度私と朝活と称した勉強時間を設けるようになった。ただ、上記のとおり、とにかく態度が悪いのでとにかく疲れる。

ある日、息子の態度の悪さにほとほと疲れてこう言った。

「あのさ、こういう舐めた態度を取るなら、ママはもう勉強見るのやめたいんだよね。ママもさ、自分の時間は自分のために使いたいわけ。でも、〇〇が勉強に困ってそうだから、何か助けになればと思って今一緒にやってるの。でも態度悪いならもうやめていいかな?」

続けてこうも言った。

「今の成績でもどこかの高校には行けると思うよ。でも君は人や環境の影響を受けやすい。だから、適当に入った高校の場合、その先の選択肢は限りなく少ないよ。別に大学に行くことが全てじゃないし、大学に行ってるから偉いとも思わない。でも、もしも大学に行きたいと思ったとき、君の性格の場合、周りにそういう友達がいないと無理だと思う。そう考えたら、ある程度選択肢のある高校を選ぶのがいいのかなと思う。でも今のままでは無理やで。どうせできない、無理って決めつけているから。

まだ13歳なのに。すぐに無理って言うのは早くない? 勉強できなくもできる仕事はたくさんあるけど、諦める癖はどこに行ってもついてくるよ。仕事しても。この6年の頑張りが、のちの人生を作る。まだはじまったばかりじゃない。13歳なのに、諦めるのが早すぎる。人生を棒にふるには早いんじゃない?」

私の感情の堤防がついに決壊した。

言いすぎたかな。
と思ったけど、無言だった。
何も聞いてないんか。本当にもうだめなんかな。


シーンとした空気を紛らわすために、過去のワークをパラパラとめくると、一際字が汚いページがあった。

「こういうのだよね。字がきたなすぎるよ。全然読めない。採点する先生も人なんだからさ、もうちょっと…」と私が言ったとき

「それは!」

息子が急に大きな声をだした。
明らかに感情が乱れている。
何を言っても無視か、そっスか、しか言わなかったのに。
しまったと思ったのか、数秒おいて、ボソボソした口調で

「骨折してたときだから、左手で書いた。だから汚いのはしかたないやろ」

そう言って部屋を出て行った。


翌日母から「〇〇が昨日私の部屋に来て、何も言わないけど泣いてたよ。何かあった?」と聞かれた。(私は自分の母と同居していて、息子はおばあちゃん子なので、私には言わないことも母には喋ることがよくある。)


私が言ったことはちゃんと聞いてたし、むしろ痛いところを突いてしまったみたい。心の中では悔しいと思って泣いてたのかもしれない。


よく考えたらこの1年息子は不運だった。4月はコロナウィルスを煩い、中学入学早々2週間ほど学校を休んだ。しかもうつしたのは私だし。とどめを刺したのは骨折だ。バスケットボール部の練習で右腕を骨折した。元々勉強が遅れ気味だったのに、右手を使えないとなると、授業に大きく支障がでた。もちろん気にはなっていたので「右手使えないけど、学校で困ってないの? 授業とか大丈夫?」と聞いた。ただ、こちとら思春期男子である。「まぁ」とだけしか言わない。「まぁってどういうこと?困ってないの?」と聞くも「別に」のみ。君はエリカ様か? と聞き返したくなるが、繰り返すが相手は思春期男子である。なんとかやっているのだろうと思っていたが、なんともやれてなかったみたい。


「乳児はしっかり、肌を離すな」
「幼児は肌を離せ、手を離すな」
「少年は手を離せ、目を離すな」
「青年は目を離せ、心を離すな」

子育てにおいて、こんな言葉を聞いたことがあります。息子は13歳だから、ちょうど少年期でしょうか。尊重すると程のいい言い訳をしているだけで、忙しさを理由に、私は息子から目を離しすぎたのかもしれない。

自慢ではないが、私は諦めの悪さ、粘り強さに定評があります。というか、それのみで生きているかもしれない。

私が教えられることは、勉強よりも、簡単に諦めないこと。やれば結果はついてくること。学習面の改善を一人でやり切るには荷が重たいし、時間も私の知識も足らない。彼が前向きになって、塾に行くなり、自らの状況を理解して、次の行動に移れるようにする手助けをしよう。

子どもは、いずれ私の手を離れる。その時できるのは、健やかにすごせる環境のためにご飯を作るとか、家をきれいに保つとか、学ぶため生活のためにお金を稼ぐとか。いずれそれしかできなくなる。

頑張る姿勢を教えることは、今しかできない。私が、母としてこの子に直接してあげられること。最後の仕事かもしれない。そんな気持ちで息子に向き合おうと思う。

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