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母がいなくてぽろぽろ泣いた日

幼い頃の記憶で、今でもはっきりと覚えている場面がある。
私が小学校1年生の時、ちょうど母がパートの仕事に出るようになった。母は私が生まれてからずっと専業主婦で、詳しいことは知らないけど、よくある子どもが小学生に上がったから仕事再開しようか〜というやつだったんだと思う。


母が初めて出勤した日、当たり前だけど帰宅したら母は家にいなかった。もちろんそのことは事前に十分聞かされていたはずなんだけど、私は母に会いに行った。なぜそうしたのかその時の心境は覚えてない。寂しくて仕方がなかったのか、ただの好奇心なのか。お店に入りると、そこにはいつもと違って飲食店の制服を身にまとう見慣れない母の姿があった。よそ行きでいつもと違う母だ。

「あら、いらっしゃい。来たの!」

たぶん、そんな感じの声を私にかけた瞬間、こらえていた涙がぽろぽろ出て来た。なんで泣いていたのかよくわからないけど、やっぱり寂しかったのかな。でもここは家じゃないから。そういう気持ちがあったのかな。お店の中で静かに泣いていた。冒頭に書いた今でも覚えているのは、そんな瞬間。



では、私は母が仕事をすることに反対だったかといえば、そうではない。この飲食店での仕事は1年くらいでやめたものの、そのあと母は某ファーストフード店にパートで勤めだす。何事も場を与えられたら本気になる人なので、母は仕事の話をしょっちゅうしてくれた記憶がある。

「今日はサンデー初めて作ったけど、形がいびつだったからマネージャーに捨てられたわ。ショックだったけどがんばる。」とか。
「時給ってお給料が少し上がったんだよ。」とか。

ちなみに母はその後、マネージャーまで昇格し、かつ接客を競うコンテストで優勝してハワイ旅行を2度勝ち取るなど、なかなかなの頑張りっぷりだった。私はそういう母が誇らしく、あれ以降寂しいと感じたことはただの一度もない。だからむしろ、記憶に残ってる小学校1年生の泣いた日だけが浮いて見えるのだ。私は母が仕事してきたことをよく思っているのに、なんでこの日はこんなに泣いてたんだろう?と。



時が流れて私は母親になった。子どもを産んでも一生仕事をしていたいという気持ちは昔から変わらない。また私にとって家族は、何にも代えがたい大きな力を与えてくれてる存在。ただ去年くらからフリーランスになって仕事が面白くてのめり込みが深くなったから、時に夫や母に「なんでそこまで」って呆れられることもある。それでもやっぱり、後悔する選択はだけはしたくないって気持ちは変わらない。

昔話まで引っ張り出して、こんな話をなんで延々と書いたのかというと、今日実は子どもの大事な行事と自分の大事な仕事の日が重なっていることに気がついた。普段ならどっちかすぐ選べるけど、今回は苦しかった。答えが出せないからじゃなくて、息子の行事に参加できない自分の意思に気がついたから。

息子にはもちろん目を見て話をして、心の底から謝った。「いいよ、わかった」って言いながらも息子はぽろぽろ泣いていて、私も一緒に泣いていた。こんなにこの子を泣かせてしまって辛い。だけど、どうしてもどうしても私にとって代えることができなくて。


息子にとって、今日の出来事がこの先もずっと心に残ってしまう場面となるかもしれない。エゴであることはわかっていても今日の出来事が「なんであの日僕はこんなに泣いたんだろう?ママは仕事頑張っていて楽しそうなのに。」って思ってくれたらいいな。そう願わずにいられない。そして…だからこそ、私はやっぱり仕事を楽しんでもっともっとやるんだ。今そんな気持ちです。

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