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家族は、世界最小単位のコミュニティ。

今から10年前、上の子を妊娠したときに出産した産婦人科は、胎教に力を入れていました。私はお受験や早期教育にいいイメージがなかったので、その延長線上と捉え、胎教はしないつもりでした。「お腹にいる時くらいゆっくりさせてあげたい、かわいそうじゃないか」そう思っていました。

ただ、とにかく胎教に力を入れている産院だったことから、看護婦さんに「説明だけでも聞いてみては?」と言われ、聞いたところ即、考えが変わりました。(この変わり身の早さよ。)

胎教は勉強ではなくて、母と子のコミュニケーションです。お母さんとお腹の赤ちゃんとのコミュニケーションが、世界で最初のコミュニケーションであり家族は世界最小のコミュニティです。ここでお母さんと深い結びつきを得ることができたら、生まれた赤ちゃんはお父さんとも他の家族ともコミュニケーションが取れる。同じように他の人ともできる。そういう意味で胎教を推奨しています。

口頭で聞いた話だから、一字一句正確なわけではないです。ただ趣旨としてはこのような話をされていて、膝を打った記憶があります。

「なるほどなぁ。最初のコミュニケーションかぁ。であれば、私もやりたい。私もお腹の中のこの子と仲良くなりたい。」

そう思い、産院主催の胎教教室に数回通いました。具体的には「プリガーフォン」という道具を使って、お腹に話しかけたり、本を読んだり。あとは、右脳を使うといいらしく、粘土の時間、音楽を鑑賞する時間がありました。次男の時は引っ越していて別の産院で産んだけど、同じ方法で引き続き胎教はしていました。


結果、我が子たちがコミュニケーションに長けているか?
我が家は、コミュニティとしていい感じか?


それは、正直わからない。特に困っていることはないけど、何が正解かなんてわかりませんからね。だから胎教をして、明らかに効果があったかどうかは、何とも言えません。ただ、私は何か役割を得てしまうと「完璧に全うしなくては」という謎の使命感がどうも強く、ときに自分自身を苦しめることが多い。妊婦になったときも「子どもを守らねば、しっかりとしなくては」という謎使命感にかられていました。でもこの「胎教は母と子のコミュニケーション、家族はコミュニティ」の話を聞いて、少しだけ肩の力が抜けました。そういう意味では効果があったかな。私はただ、この子と仲良くなりたい。それだけ。


母になって10年目、私は年々自分の好きなことに夢中になっています。母としての謎の使命感はいい意味で薄くなったとはいえ、やっぱり時々姿を現す。そんなときには「家族はコミュニティだ」の言葉を思い出すようにしています。母として立派であろうとか、どうでもいいじゃないか。元気で生まれてくれた時点でもう十分親孝行ですから。親と子というより、一人のコミュニティメンバーとして、子どもたちとフラットに接する気持ちを忘れないこと。「ただ仲良くなりたい」と考えていた時の気持ちを大事にすることを思い出したい。


さて、今日は我が家の最年少メンバーの誕生日でした。
これからもたくさん喋ろう。
たくさん仲良くしよう。


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