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自己満弁当のすすめ。

時間のある月曜日は、できる限り弁当を作っています。

私は、これを自己満弁当と呼ぶ。


私にとって弁当に限らず料理を作るという行為は、誰かのためであることが多い。でもこれは、私の、私による、私のためだけの弁当。だから自己満弁当。自分を喜ばせ、労り、労うために存在する。そんな自己満弁当の定義を書きます。



「ご機嫌ファースト」が大原則。

自己満弁当には、私のテンションが上がるものしか入りません。ランチにおける、ワクワク度合いの高まりって、一般的にはこうじゃないですか?

外食 > 弁当

私はこれを逆転したい。つまりこう。

外食 < 弁当

お昼ご飯を買いに行く時って「ああ、今日は何を食べようかな〜」ってワクワクしますよね。対して弁当だと「ランチ食べに行きたいな〜。でも今日は弁当あるからなぁ」って気持ちになりません? まるで551のCM「(551が)ある時〜」「ない時〜」みたいな。(関西ローカルネタですみません。)

でも自己満弁当だと、好きなものしか入ってないから「今日は大好きなものが詰まった弁当だから、お昼ご飯が楽しみ!!」となります。といういわけで、外食よりもワクワクする自己満弁当の定義を書いてみます。


その1 NO残り物

自己満弁当は、自らのテンションを上げるもの。弁当の定番である前日の晩御飯の残り物は、自己満弁当には入りません。残り物でテンションは上がらないから。

弁当に残り物が入りがちな理由としては、弁当を作る時間の節約、そして費用の節約ではないかと思います。ただ、自己満弁当は、以下述べる通り、頻度は問わないし節約のためでもない。だから、残り物は入らないんです。


その2 値段を気にしない。

自己満弁当は、食材の値段も気にしません。弁当=節約の象徴とも捉えられている気がしますが、自己満弁当の目的は、その名の通り自己を満足させるため、しかも外食に勝つほどのです。だから値段も気にせず、とにかく私が喜ぶものを詰め込みます。


その3 作りたい時に作ればいい。

繰り返しますが、自己満弁当の目的は、節約でもなく、健康でもなく私の満足のため。ですから、その頻度は問いません。

今年初の弁当は、なんと3月20日でした。冬場は寒くて起きれなかったことと、息子の勉強の朝活に付き合っていたから仕方ないんです。このnoteを書いている今は日曜日で、本当は明日弁当を作ろうかと思ってたけど、雨が降ってて買い物が億劫になったので中止です。雨が降ったらお休みって…ハメハメハ大王並のゆるさですが、気が乗らないときは、やらなくていいの。


その4 マンネリ上等

私の作った弁当を見ていただけるとわかるんですが、大体同じです。鮭、卵焼き、肉料理(ポークチキンが圧倒的に多い)、ブロッコリー、プチトマト

はい、絵に描いたようなマンネリですね。でもいいの。私はこれが好きで、テンション上がってるので。献立が同じで私が困ってない、かつテンション上がってるならそれでいいの。


その5 手間を愛する。

テンションが上がるものなので、冷食は入りません。もちろん冷食を否定しているわけではなく、息子たちのお弁当作りにおいて、幾度となく助けていただいた救世主…なんですが、自己満弁当には入りません。

理由はやっぱり手間暇かけて自分好みの味にした方がテンションが上がるから。忙しく過ごしがちな日々ですが、この時ばかりは自分のために手間をかけたい。マイこだわりポイントとして、盛り付け下手ですが、可能な限りは見た目も大事にしたくて、大葉も毎回買ってます。ちょっとの手間ですが、彩りがぐっとよくなりますからね。


おまけ 幸せのお裾分け。

自分のためにやってることですが、副次的に家族のためにもなってたことも書きます。私の場合、弁当を作った日は夫と母の分も作ります。なので言い方を変えたら3人分弁当を作ってるとも取れるんですが、ノンノンノン。そうではないんだよ。

大事なのは、私のために作った弁当を家族にお裾分けしてるんです。結果的に同じだし、ケチかよ!と言われそうですが、私的にはこの違いが大事。家族のために弁当を作ると考えたら、おかずは私基準でなく家族のためとなるし、頻度ももうちょっと上げると思う。自己満弁当の定義から逸れるんです。


ってなわけで、書き出してみたら結構定義がありました。


なんでこういうことを始めたのかというと、気付けば、私は人のためにしか料理を作ってこなかったなと。自分一人のために料理を頑張ろうと思わない。平常時の私であれば、自分一人の食事がめちゃくちゃ適当なんです。

1.買う
2.卵かけご飯
3.ラーメン

上記の3つのいずれか。この3つ全部自分が好きなものなんだけど、自分のために全く時間をかけてないんですよね。本当に適当。

でもそれって言い換えると、他人のためには時間を使い大切にするのに自分の扱いが適当になってるということ。食べることは生きることで、生きるために手間暇かける料理を自分のためにやってないってなんか私が可哀想。気づいた時にゾッとしました。だからこそ、この弁当は私のためだけに存在しています。

自己を満足させられていない人が、他人を満足させられるわけがない。だから、私の場合は弁当だけど、なんでもいいんです。

自分のためだけに自分を大切にする何か。特に小さい子どもを育てているお母さんは忘れがちだと思うから、自分のためだけに時間を捧げる何かをやってみることをおすすめします。


さぁ、次はどんなお弁当を作ろうか。

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