ただ息をしているだけでもいい?

わざわざこんな重たい話をする必要もないんだけど、頭に浮かんだのだから仕方がない。

twitterのタイムラインで流れてきた記事で、臓器提供の記事がありました。そこから発展して、死に際の意思表示について思った話。



私の父は私が18の時に亡くなったのですが、死ぬ間際、父が仕事でお世話になっていた方が見舞いにきてくれました。とはいえ、もうその段階では、父は意識もない。やせ細って黄疸が激しく、モルヒネで生かされている。そういう時期でした。

その方は父と親交が深く、情の深い人でした。変わり果てた父を見るやいなや、大声で泣き叫んでいました。
「どうしたんやー。こんな姿になってしまって。」と。
そしてそのあと、
「こんなになってしまって、もう。早く死んでしまえ。」っと一言。

ある意味正解なんです。
実際この数日後に父は息を引き取りましたし、私が父の立場だったとしても、それを言われて怒りとか感じないだろう。

だけどやっぱり「もしかしたら奇跡がおきて回復するかもしれない」という気持ちの家族の前で言うには、ちょっとしんどい言葉でした。だから17年経過した今でも覚えているのでしょう。

もちろんこの方を恨んではいない。
だけどいつまでも心に残っているのは、今となってはどっちが正しいのか確かめようがないからです。父はどういう死を望んでいたのか、聞くことができないまま病気になってしまった。告知するか母が悩んでいる間にどんどん悪化し、入院してから数ヶ月で死んでしまったから、父の意志はわからずじまいなんです。


家族からすれば、ただ息をしている状態であっても生きていてほしい。だけど生かされている本人は、それで幸せじゃないかもしれない。だからこそ延命治療について、臓器提供について、どういうことを望んでいるのか。これを家族や大事な人に伝えること。わかりやすく文書に残すことって、やっぱり大事なんでしょうね。

ま、死ぬときの話なんて辛気臭いし嫌なんでけどね。でもそれを知らず、急に大事な人の死期に際してしまうと後悔するかもしれない。日頃から話をしておくことが、人生の最後を豊かにすごせるのかもしれない。そんな風に思っています。


わー、やっぱり重たい話になってしまった。ごめんなさい。
でもこの話、心のどこかに留めておいて、ふとしたきっかけで大事な人としてみるといいかもしれません。

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浜田 綾(コトバノ):ライター
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