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最後の1年の青の時代。

大学を卒業しても就職先を決めなかった私。
ニートまっしぐらになるかと思いきや大学4年の秋には専門学校の入学することが決まっていた。
親に頼み込みもう1年勉強することを許してもらった。そして必ず1年で国家資格を取り、実家に戻って実家から通える就職先に内定することを条件に、勉学に集中するために専門学校併設の寮で暮らすことになった。

3月の終わりに寮へ引っ越しをした。
個人でやってる引っ越し業者を探し、荷物を詰め込んでドライバーさんに「ついでに私も一緒に乗ってていい?」とお願いしたら「本当はダメだけどしょうがないなぁ」と言われる。

軽トラで4時間かけて寮へ到着した。
ほとんどの寮生が高校を卒業したばかりの子だった。
私が選んだ学科は大学卒業が条件だったのだ。そしてその年で入寮したのは学科の中で私1人だけだった。

食堂でポツンと1人。
新入生では学科違いで1人成人している子がいた。
あとは元々在寮している最終学年の子がひとつ年下でいた。
完全に目つきが違った。医療系の専門学校は厳しい。
特に看護学科は軍隊か?というほど厳しい。
けれどその子は人懐こく年上の私も快く歓迎してくれて早速飲み屋街に繰り出した。飯食った後に軽く飲もう~!歓迎会やでぇと色んな話をした。
その子は鹿児島出身だった。超酒が強かった。

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次の日完全に二日酔いのまま入学式で自分のクラスの子と対面した。
毎年人数が増えて行っているのだが、私の年は40人いた。定員いっぱいだった、はじめは。

そう、厳しさに耐えられずに何人も辞めて行った。
最終的には30人くらいになっていた。
もう全員の顔をはっきりと思い出せない。

毎日の4時間(360分)の座学に加えて主に
前期実習でクリニックと地域活動支援センター
後期実習で作業所と病院を回る

あと何といっても国家試験の勉強が4月から始まる。
そして夏休み(5日間)に過去問がどーんと渡されて
「これ3周して問題と選択肢を丸暗記してくださーい」
と言われる。
最終的には暗記してページ数を言われたら分かるくらいまで暗記した。

国家試験の問題は毎年そう大きくは変わらない。
予想問題をむやみに解くより実際の問題を覚えて応用した方が効率的だった。

だが、ここで予想外のことが起きた。
秋頃の受験申込時期に”今年は問題の出題形式を変える”という通達があった。先生たちも予想出来ないと困惑していた。

実際には選択肢の中から、正答を2問選んでどちらもあっていれば1点。
という内容だった。あとは1教科分野で0点のものがあれば全体点数が足りていてもドボンは毎年恒例だった。

そして1月に国家試験があり、2月に後期実習というスケジュールだった。
自己採点で落ちていることが分かっていても卒業して来年も受験資格を得るためにどんなにグチャグチャな心境でも実習には行かなければならない。

それを理解した上で、クラス全員で勉強した。
全員が全員合格すると思っていた。
そんなギュウギュウのスケジュールだったため、学校行事(運動会)は私が通っている学科は不参加だった。

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比較的前期はお気楽なもので、全員成人で社会人経験がある生徒が多いというともあり学校帰りに駅の立ち飲み屋で1杯ひっかけて帰ることも多かった。あと焼き鳥で必ずハツを食べるので「魔女」と言われるようになった。

毎日のように軽く酔っぱらって帰ってくる私を心配した寮母さんが半分呆れて実家に電話された。
ティファールよりも速く怒りが沸く、怒る父から寮の部屋の固定電話に着信があった。
「おい、酔って勉強出来るんか?今すぐ帰ってきてお父さんの所で嘱託で働くか?」と言われて「すみません。もう飲まずに帰ります…」といい大人がしっかり目に怒られた。

その後も、部屋の固定電話に抜き打ちで電話がかかってきており帰宅して勉強しているか?と割としっかりめに監視されていた。
だが父は眠るのがめちゃくちゃ早い時間帯なので20時以降には寮生たちと時々酒盛りに出掛けていた。せんべろ万歳。

成人組は門限がなく専用のキーカードを渡されて何時でも出かけられるし帰って来られるのだ。

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夏頃、珍しく夜遅くまで勉強をしていると部屋をノックされた。
勉強用のメガネ(手元専用)のまま覗き穴を見ると見知った顔の下級生がめっちゃ近くに立っていた。ヒッ!!っと思うが「どしたん?」ととりあえずドアを開けた。

「勉強中ごめんね。どうしても今コンビニ行きたいねん。キーカード貸してくれへんかな?」とお願いされた。
理由を尋ねると「0時から販売の一番くじを引きたいねん」とのことだった。
コンビニまで徒歩3分だったがさすがに未成年に貸せない。
仕方ないので一緒に行くことにした。
夜とは言え都会の熱がアスファルトに残る夜に、その子は財布を握りしめて絶対A賞当てたんねん!と言いながら歩いた。

コンビニに着いて真っ先にレジ横に置いてあるくじ箱に向かっていくその子。頑張れ!と励ますが出てくるのはG賞やF賞ばかりだった。持ち金が底をついて半泣きになりながらATMに向かうその子をとめた。

こうゆうもんは引き時は肝心なんやで…その代わりに私が1回引いたるからなと言いB賞が出た。
それをあげた。あとアイス好きなの選びと言って2人で齧りながら帰寮した。

その出来事以降、何かあれば色んな相談に乗ることになった。
女子の集団生活は揉めがちだった。
学校でしてきた喧嘩をそのまま寮に持ち込んで口喧嘩する女子の仲裁を何度もした。

成人組でいる時はなんだか楽しかった。気楽だったし、みんなそれぞれ目標がはっきりしているから他学科でも一緒にいて勉強がはかどる。

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秋になり、去年の国試落ちた組が国試対策講座に合流した。
年上の方ばかりだったが、みんな気さくにコミュニケーションを取ってくれた。去年の情報を持っているのは強い。休み時間に実習先のアタリ・ハズレも教えてくれた。

そして後期実習先が発表された。
私が配置されたのは去年スーパーバイザーが厳しすぎて生徒が途中で実習先に行けなくなってしまった病院だった。

その場で「先生!ここ去年の人辞めたところですよね?!もっと優秀な人たくさんいますやん!お願いやから変えて下さい~!!」一生のお願いなみの懇願だった。
先生は「大丈夫、去年のことはちゃんと抗議しています。あと2回の見回りのところを3回にします。見捨てたわけじゃないのよ。しっかりね」と言われた。

絶望だった。
寝ても覚めてもそのスーパーバイザーの話が頭から離れなかった。
いよいよ実習初日、その日の終わりに実習報告を提出すると「要約して書きなさいと言ったはず、文章もろくに書けへんのか。記録は基本やぞ」と呆れられてしまった。

約1ヶ月…このバイザーとうまくやれる自信をすっかり無くしてしまった。
帰りの電車で別の実習先に言っているクラスメイトとばったり出会って愚痴ってしまった。
そんな中でも法人内実習でそのバイザーだけとは関わることはなくなった。
色んな事業所を体験していくうちに楽しくなり、笑いながら患者様と話せるようになった。

あっという間に後半になった。
そして病院のイベントがあり、バイザーは保育園が休みのため2才の子どもを連れてやってきた。
「どうしても預け先がなかったので今日は連れてきました」と言う。
すぐにしゃがみ「わぁ~カワイイ!!いないいないばあっ!お手手ちっちゃいねぇ」
「あんよできるかな?」と聞くと「お姉ちゃんとお手手ちゅなぐ~」と懐いてくれた。

バイザーはその様子を見て「今日の一日その子と一緒に動きながらイベントの様子をレポートにまとめなさい」という課題になった。
最終的に遊び疲れたバイザー子ちゃんを抱っこして職務室に戻った。
「〇〇(旧姓)さんは、保育学科か教員になった方が向いてるわ」
「またまた~そんな冗談を。」
「いや。割と本気でそう思ってるで」
そんな会話が出来るようになった。先生も3回ちゃんと実習先に来てくれた。こうして無事に後期の1回目の実習を終えた。

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いよいよ国家試験前に講座も大詰めとなった。
7割取れれば合格できる。
そう言われ続けていたが、10点満点の小テストではいつも6点だった。
ギリギリ落ちる人として認識されていた。
部屋中に用語を書いたルーズリーフを張りつけまくり、寝ている時と自転車移動している時以外は勉強していた。自転車移動中も国試問題を音読したボイスメモを再生しながら小声でブツブツと繰り返し音読し通学していた。

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国家試験は2日間ある。
1日目は午前、2日目は午後の日程だった。
試験の座席は申し込み順のなので大体学校ごとになる。
前後横とも1年間一緒に勉強してきた友達だった。
緊張せず無事に1日目を乗り切った。

完全にハイになった子が「今からラウワン行こ!ボウリングしよ!」と言う。誰が行くねん…と思ったが「いいねぇ、行こう行こう」と半分くらいは行っていた。肝が据わっている。

ボウリングとか「滑る。倒れる。転がる。落ちる。」縁起が悪すぎて怖くて行けなかった。あと体力的にも早く帰って眠りたかった。前日横にはなっていたが眠れなかった。その日の夜は泥のように眠った。

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2日目は午後からだったので熟睡してから余裕をもって会場にもついた。
昨日ボウリング行った組も超元気だった。
あと5時間でこの1年の勉強が終わるのかと思うと早く済ませたいと思っていた。

無事に終わり、問題集を持って帰寮した。
ネットに回答速報が出るので自己採点をする。
法律科目が1点の科目があった。あぶねぇ。ドボン回避。

次の日、もう合否がはっきりしている状態で登校すると泣いている子が結構いた。落ちたのだ。
私も一つ違えばあちら側だった。たまたま運がよかったのだ。
努力と運どちらも必要になる。
多くの心理の資格を持っている人もドボン問題で不合格になった。
新しい形式での問題もネックになっていた。
片方正解なのにもうひとつが違って得点にならなくて全体点が届かなかった人もいた。

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そして後期実習後半では落ちたことが決定している人とペアになった。
かなり気をつかう。
これくらいの時期には就職も決まっていて、国家試験に落ちるということはそれもお流れになってしまう。
私も実家近くの就職先を見つけて内定していた。

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卒業して3年くらいはちょいちょい勉強会で集まっていた。
それも塵散りとなった。
同級生同士で結婚する人が3組いた。
Facebookにはその後、子どもが産まれたの報告がある度にお祝いムードとなった。私は仕事を辞めるときにFacebookも辞めてしまった。今となっては少し後悔している。友人との交流も絶ってしまった。だが媒体を替えて電話番号で出てきたよ~と連絡をくれる人もいた。有難い。

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実家から通うはずだった就職先をあっという間に辞めて、今住んでいる土地の就職先を見つけた。両親大激怒だった。祖母は泣いていた。

そして職場結婚をしてこの地に根を下ろした感じがした。
学生時代の友達はいないけれど、近所に話せる友達も出来た。

出産して、孫(ひ孫)を連れて帰ると両親も祖母も本当に喜んでくれた。
人生の第2ステージに移行した気がする。
夫と子どものサポートという、いわゆるセコンド的ポジションだ。

1年延長した青い春はもう終わった。今はこれでいいかなと思う。


#振り返りnote


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無印良品のポチ菓子で書く気力を養っています。 お気に入りはブールドネージュです。