日本人無宗教説 ――その歴史から見えるもの 藤原 聖子 (編集) 書評

日本人無宗教説 ――その歴史から見えるもの (筑摩選書 255) | 藤原 聖子 |本 | 通販 | Amazon


 


 

内容

明治からの現代までの知識人の見解や新聞投稿などを通じて、日本人の宗教観を「欠落説」「充足説」「独自宗教説」とで分類し、俯瞰する。


 


 

感想

概ね良かったし、三つの分類により見やすくなっていた。


気になった点が二つ。過剰に思える客観性への意識と、情報の偏り。


主著者の藤原聖子さんが比較宗教学専門ということもあり、かつあとがきにあるように、研究手法としての客観視ということなのだろうが、それにしてもあまりに主観を排しようとして、引用とそれの解説に終始する記述は内容としていかがなものだろうか。著者の立場や意見や感性が最初に表明されている方が、理解しやすい部分もあるように思う。このような本を読む人は別の同系列の本も読むだろうが、様々な意見の一つとしてとらえにくい。各章のまとめが読者への救い。


情報の偏りについてだが、仕方ないことではあるが、いわゆる知識人と新聞記事、そして読者投稿が引用元のほとんどとなっている。国民一般の意見などというものは存在しないが、特に古い年代ほど、知識人の見解に偏っているように思えた。例えば、無宗教マルクスを関連付ける市民などほとんどいないだろう(少なくとも現代では)に、マルクス主義的宗教的潔癖性を念頭に置く言説を取り上げる根拠はなんだろうか?


客観性への終始と合わせて、人数的には小さな見解と大きな見解が同等に扱われているように感じた。少数派の意見なんて無視しろなどとは言わないが、日本人の宗教観の変遷を読み取る材料としての、情報の取捨選択の正確性に若干の疑問を感じる。


ただ裏を返すと、物語として見やすくするための無理な体系立てになっていないという評価点にもなっている。

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