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私にとっての「嫌いな人」とは?

久しぶりにまた書く日記的なソレ

なんか凄く攻撃的なタイトルに見えるけど「こんな嫌なヤツがいた!」とか「こういう人間は最低だ!」とか、そういう内容ではないのでご安心(?)ください。

そういう変な人は世の中どこにでもいるし、誰もが思ってるような回答にしかならない&既に何度も言われてるような人々の特徴になってしまうので、今回は書かないことにします。

じゃあどんな内容書くんだよ!ってことなので先に伝えておくと、自分はなぜ特定の人のことが嫌いなのか?という、心の動きみたいなのを振り返ってみて、そこから「嫌いな人」を見直してみようという試みです。

キライな人…ってなんだ?

まず、自分はここ数年人と接する機会がドカーンと増えました…というより増やしました。ってことはつまり、好き嫌いの機会も増えていて嫌いな人も増えた…増えたには増えたんですが、実は本当に片手で数えるくらいにしか増えていません。

そもそも人を嫌いになる事自体が、デメリットが大きくあらゆる機会の損失になるというビジネスパーソン的思想もあるので、極力人を嫌いにならないように意識しているというのもあります。

じゃあ自分が嫌いになった人が、そんなにヤベー性格のやつなのか!って言うと、実はそんなこともなく…別に他の人からそこまで変に思われてなくても(実際は賛否あるかもしれませんが)個人的には「ムカつく!」みたいな現象が起きているという事です。

自分の嫌いな人が居たとして、別の仲の良い友達からは「あの人?いや別にそんな事ないけどなぁ…」的な温度感の差といいますか…あるあるですよね?賛否はあれど、誰もが嫌がる極悪人みたいな人を嫌いになったというわけではないという感覚です。

逆に凄く迷惑行為を働いた人なども間近で見てきましたが、むしろそういう風な人のほうが、妙にあっさりとしているといいますか、私自身が抱いてる「むかつく!」っていう感じより「まぁこういう人もおるわな…」的な達観したような気持ちになっている部分もあります。

こうやって文章にしながら顧みると、自分にとっての嫌いな人というのは、すごく絶妙な存在ということになりますね。世間的には最悪の部類ではないのだけど、とにかく謎の判定で自分の中では最悪という、どうにもこうにもできない存在ともいえるでしょう。特定の人が嫌いという感情は何とも非合理的で、それでいて逆らい難い気難しい感情の一つなんだなと認識しています。

なんで嫌いになったの?

で、あるならば…なぜ嫌いになったのでしょうか?最悪でもないのに、最悪の烙印を押し付けてしまう原因はどこにあるんでしょうか?

結論だけ先にいってしまうと「運」です。

え?と思われる回答かもしれませんが、結局のところ人に嫌われるのも人を嫌うのも運の要素が強いと思います。

嫌いになりそうな事象理由が最低最悪の場合でも、なぜか納得していたりする場面や人もいる反面、普段なら見過ごしてるような些細なすれ違いでも、ピキピキ来ちゃってキレる場合もあります。

そのような状況別に並べてみた時に、人を嫌いになる法則性みたいなのが見いだせなかったのが今回のミソであると思っています。

もちろんコレをされると絶対嫌だ!っていう行為があって、それに引っかかった場合は100%嫌いになる!って公言してる方もいますし、自分にもそういうのがあるんですが、とはいえ言葉だけで100%と言ってるだけで、完全無欠の100%では無いですし…

単に虫の居所が悪かっただけなんじゃないかな?というのが自分の結論になります。当然嫌いになるべくして嫌いになったケースもありますが非常に稀で、いずれにせよそれすらも、よくよく考えてみると運に左右されていた部分が多いのかなと。

どっちも悪くないのに、嫌いになりあって決別っていうシーンを漫画やドラマなんかでも見かけますが、ああいう客観的に見るとそうだよねっていうのが、ちょくちょく現実でも起こってるような気がしています。

人間だもの…恐れずに前に進もう

人に嫌われないためにはどうするか?という方法に対して言えることは、もうこの一つぐらいしか無いような気がしていて「運ゲーだと思って諦める」だと思います。

諦めるっていうのは凄くネガティブな言葉に見えて、仏教用語では「明らかにする」という意味も含んでおり、サティア(真理、悟り)という言葉の訳にもなり、素晴らしい言葉です。

私を嫌ってる人も私が嫌いな人も、どうあがいても運の要素が強すぎてどうにもならないのが現実なんじゃないかなと思ってたりします。

だからこそ運で壊れちゃった関係に執着するより、まだ壊れてない関係と、これから新しく出会うであろう関係にフォーカスしたほうが楽しく生きれるんじゃないかなと。

最近は「人に嫌われない」という要素が大きく捉えられすぎて、本質を見失っているような気がします。嫌われる事は大きな傷つきになるし、精神的なダメージも軽くないと思いますが、出会いが増えるにつれどうにもならない状況ってのが訪れてしまうので、運が悪かったで済ます割り切りも必要なんじゃないかなあと感じています。

もっというならば、私自身も運が悪かったと見捨てられてる側でもあるという視点で、自分としても運が悪かったと見切りをつける事を許容している側面があります。言い訳がましい…といえばそうなのですが、どうしても納得いかないものは納得いかないんですよね。

自分で振り返る場合は、嫌いの感情が先行しちゃってなかなか冷静に見れないのですが、時間が経ってある程度落ち着いてから見つめ直すと、自分のイビツな感情の動き具合に驚かされたりもします。

結局人との関係はタイミングが全てなのかもしれません。そんなタイミングで好きも嫌いも決まっちゃう謎の生き物、それが僕たち人間なのでしょう。そんなイビツさを楽しむくらいでちょうど良さそうです。

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