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ゲーマーにおける神と時間

なんとも時事っぽいネタだけど。現実の宗教とは関係はありません(多分)

自分はゲーマーだ。ゲーム大好き人間である。それは多分自分と関わった事がある人ならご存じだとは思う。じゃあどんなゲーマーなのかと言うと、なかなか表現がし辛いとこにいると思う。いわゆる雑食ゲーマー。

一番プレイしたゲームは何か?って言われるなかなか難しい。TOP3で言うならば「モンスターハンター」「ギルティギア」「ロケットリーグ」だと思う。対人対戦ゲームに手を出しつつも、協力型のゲームもシリーズとしては長くプレイしている(モンハンは初代からナンバリングを追っかけている)

初代モンハンは人生初のオンラインゲームタイトルになった。攻略サイトに溢れる武器の数々…
しかし当時はオフラインでは入手不可能なモノも多く、眺めるだけでは我慢できず…
夜な夜なハンターとしての狩猟生活が始まったのである。
人生の大事な時期に、ゲーセンでこのゲームを対戦する事にハマってしまい…
時間があればゲーセンに籠りっきりの日々になったが、これはこれで楽しかったように思う。
このゲームにハマってなかったなら全然別の人生を歩んでいたのだろうか?
ここ数年でずっとプレイしてるタイトルの一つ。最初はバカゲーかと思っていたのだが
攻略が進むにつれスポーツ対戦ゲームとしての側面が出てくる面白いゲーム。
ただし操作が難しく参入障壁高め。その分華麗なショットが決まるとサイコーに気持ちいい!

ただこれらの長くやってるゲームの下に続くゲームは色々あって、そこにはジャンルやシリーズも様々で、これらTOP3の総プレイ時間よりも、この下にある様々なゲームのほうが多いのだろうと思う。

そんなわけで、ファミコン時代から始まったゲームライフは現在も続いているのだけど、そこで一つゲーマー人生で大きな問題を抱えている。いや、これはきっと自分だけの問題ではない。

私たちゲーマーは圧倒的に時間が足りていない

今やゲームの市場規模が拡大しており、面白いゲームっていうのはわんさか出てきている。面白いだけならばまだしも「神ゲー」と称されるものも量産されつつある。

ゲーマー…と名乗る以上は、どんなゲームが存在しててどう面白いのか?という知的探求心を含めて「神ゲー」と称されるタイトルは押さえておきたいという心情が雑食ゲーマーな自分にはある。

しかしもう…皆さんお気づきの通り、神ゲーのやり残しが発生している。もっと言うならば自分の好きなジャンルにおいてもそうだろう。自分の好きなハードにおいてもそうだろう。自分の好きなメーカーなら…ワンチャン…くらいの感覚だと思う。

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最近、神ゲーとして名高いSwitchの「ゼルダの伝説 ブレス オブ ザ ワイルド」
書いてる私自身も現在プレイ中…というか途中で止まっている現状。ここでもやり残しが…

その昔、ファミコンやスーパーファミコンをやっていた子供時代は、かなりの時間ゲームで遊んだ記憶があるものの、大人に比べて時間的な制約が少なかった分、金銭的な制約が生じていた。なので同じゲームを繰り返し遊んでいたし、それはそれで楽しかった。

ところが大人になって金銭的な制約が外れたものの、今度は時間的な制約を大きく受けるようになってしまった。

それだけではなく、金銭的な制約を受けなくなった今日までに、既にプレイ機会を逃したゲームがあり、それがそのまま放置されているような状況だ。例えばドラクエとかFFのナンバリングは、全部プレイしているわけではなく3.4.5.7.10といった具合に歯抜け状態である。

そしてそのプレイ機会を逃したゲームにも当然「神ゲー」は存在している。つまり既にプレイしたい過去の神ゲーですら積み状態にある…というような状況なのだ。

クロノトリガーは神ゲー!…自分はプレイする機会を逃したまま未プレイ…
そ、そのうちやるから!!

そして神ゲー消化をしてる間にも、次々に神ゲーは生まれているわけで…こうなれば、一生ニートで金銭的な制約が全くない状態であっても、存在する神ゲーコンプリートは不可能だ。

プレイするだけならばまだしも、神ゲーとなればやり込みたくなるのがゲーマーの性である。となると、神ゲーの中でも消化率に差が出てくる始末である。骨の髄までしゃぶりつくすのか、あるいは食べ残しを許容するのか…という神ゲーの消化具合まで選択しないといけない。我々は贅沢すぎてもはや神をないがしろにする恐ろしい状況にあるのかもしれない。

神ゲーにおける一神教

そんな中、やり込み勢の中には熱心な者も存在している。その熱心さに驚かされるのがRTA(Real Time Attack)と呼ばれる遊び方だ。その競技性は至ってシンプル、クリアタイムを競う。

その根底にあるものは「自分にとってこのゲームが好きだから、やり込んで超スピードクリアしちゃうぜ」というようなところだが、普通にプレイしてても絶対にできないような事を、軽々とこなしていく様は圧巻の一言。

一応ここで「一神教」と表記しているが、宗教における一神教とは厳密には少し違う解釈になってしまうが、神ゲーにおける話なので許してほしい。

神ゲーの事が好きすぎて競技化する様はまさに一神教と言えるだろう。
最初からスタートしたのに、1時間も経たずに伝説ポケモンが手元にある恐ろしさ…
RTAにはチャートと言う経典が存在する。スイクンチャートはかなり特殊らしい。

この信仰の在り方は、自分の好きな神ゲーをずっと遊んでいられるという点にある。あえて世間の神々を追わず、人生のどこかで出会った神ゲーに敬虔な信者としてつかえるスタイルだ。

この点で見るならば競技シーン等で長らく調整とアップデートを繰り返し、総プレイ時間が膨大になっているであろう対戦型のゲームも「神ゲー」と表記していいだろう。

ランク、アンランク共に長く遊ばれているバトロワ型対戦FPSの金字塔「APEX LEGENDS」
新シーズンごとにランク戦の阿鼻叫喚や、キャラクターの追加、銃の調整などなど
バトロワというゲーム性も相まって、繰り返し遊べるゲーム体験が魅力だ。

もちろん対戦ゲームを「神ゲー」と言うと、そこのコアなユーザーからは「こんなゲームが神ゲーなわけねーだろ!調整も煽ってくるユーザーも含めてクソだよクソ!」なんて言われそうであるが、少なくとも一つのゲームにそれだけ時間と情熱を注げれるあたり、間違いなく面白いゲームであり神ゲーと呼称して差し支えないだろう…と冷静に分析すればそう思う。

もちろん競うだけが一神教ではない。

MODと呼ばれる一神教も存在する。最近日本でもMOD文化はメジャーになってきたが、元々あまり日本では馴染みのない遊び方の一つ。既存のゲームにユーザー側が手を加えるタイプの遊びである。

マインクラフトはMODでも最も有名なタイトルの一つ。
カジュアルさでいえば影をつけて美麗な世界に浸る影MODの存在だ。
コアなので言えばMODパックという、根本的に別のゲームになるような遊び方もある。

マインクラフトやSKYRIMなどがMODで有名かと思われる。元々のマイクラやスカイリム自体が神ゲーである事は間違いないと思われるが、さらにそのベースのゲームだけでは飽き足らず「これをこうすれば面白いんじゃね?」とユーザー側がどんどん追加していくのである。「そう、こういうのが遊びたかったんだよ!」というようなMODも存在しており、痒い所に手が届いた感があるMODも少なくない。

既存のゲーム体験に加えて、ユーザーが提唱する新たなゲーム体験を追加で得られるため、そういう意味でもずっと同じタイトルで遊んでいられるという魅力がある。MOD開発している人もMODを遊んでいる人も、そもそものタイトルが面白かったからこそ、神だからこそ為せたのである。

逆にマイナーなタイトルで神ゲー…と言うほどではないゲームであっても、MODを追加する事で神と成り得るようなタイトルも存在している事だろうと思う。

日本ではかなりマイナーなトーチライト2もMODが盛んなタイトル。
むしろシナジーズMODを入れて完成系との声もあるくらい。
もちろんMODが無くても素晴らしいゲームなので是非遊んでみてほしい。

一部の原理主義者からは「作品はそのままにして完成系である!改造するなんて言語道断!」と批判が飛びそうな部分ではある。確かに聖母マリア的な美しさは損なわれているのかもしれないが、MODで固められた作品はさながらデウスエクスマキナと言えよう。

マインクラフトのような元々無限の遊びがあるタイトルにも、定期的なアップデートが入り遊び方が広がっており、更にMODも数が増えてきてMODすらもアップデートされているという現状がある。有名MODを一通り遊び網羅するだけでも数年を必要とするぐらいのコンテンツ量であり、更にそれぞれもまた面白く神ゲーが無限に広がっているのである。

ゲーマーこそ信仰心を

ようするに僕たち私たちには残された時間をゆうに超越する神々に囲まれて生きており、その神を全て信仰するのは不可能である。

まさに日本古来からの考えである八百万の神…っていうと変かもしれないけど、神は至る所に存在する。

civの名称で有名なシヴィライゼーション。シミュレーションゲームだが
この手のゲームのお約束、色んな地形や毎回違う戦略と展開を楽しめるので
ハマると人生いくつあっても足りないと言われる程の神ゲーだ。

結局はどのように信仰していくのか?という話になる。凄い話ではあるのだが色んな神々を見ていくのも素敵なゲームライフだし、ある一定の神を強烈に信仰するのも素敵なゲームライフと成り得るということである。

逆に言うならば、私たちは人生で必ず神ゲーを見逃すことにはなってしまう。どう考えても時間が足りてない。ひょっとすると人生を左右するような神ゲーにまだ出会えてない…という、言い表せないようなもどかしさはずっと付きまとう。

あの神ゲー未プレイだけど、本当に面白くてドハマリするようなタイトルだったらどうしよう?

カードゲームなんかも延々と遊べるゲームの一つ。
新バージョンごとに新たなルールやカードが追加されて、面白さが変化していく。
実はカードリスト眺めてるだけでも楽しい。私はMTG派ですが…

なのでゲーマーだと自負のあるものは、神への信仰心を高めていくしかない。一神教でも多神教でもどちらもで良い。神ゲーを追い求める行為こそがゲーマーたるものの宿命だ。これが即ちゲーマーの信仰に当たる。

貴方にとっての神は何か?を人生を使って探していく事になる。

何か求道的な行為で辛い修行のように思えるかもしれないが、何せお題が神ゲーである。心配するなかれ、「面白い体験」を得れることは間違いナシである。

一世を風靡したMMORPGの最高峰とも謳われているFF14
アクティブユーザーもさながら、コンテンツも充実しており十分すぎる神ゲー
FFの世界のどっぷり浸かって生活したいならばコレ。

宗教の神も、そうであるかも?しれない(あまり詳しくはないので…)けども、神ゲーもまた我々を救ってくれるように思う。神ゲーを遊んだからこそ人生が変わった…なんて人も多いはずだ。

ゲームクリエイターになった人や、インフルエンサー、配信活動などなど…かくいう自分も配信コミュニティで活動してるくらいには、人生においてゲームは切っても切れないような存在になっている。

今後、ゲームジャンルやハードといったカテゴリーにおけるゲーマーの区分けは古くなっていくのかもしれない。ゲーマーたちの新しいレイヤーとしてどういう信仰の仕方なのか?が問われる時代じゃないかなとも思う。

神を求めよ。さすれば救われる

今回はゲームにスポットライトを当てて神を追ってみたが、これはゲームだけに限らない。コンテンツ全般に言える話だ。神アニメだろうが神映画だろうが神漫画だろうが…いずれも神に成り得る。

そうして神を追い求め信仰している最中は、とても幸せなひと時なのである。今回はゲームで例えたけれど、神ゲーをプレイしている最中はワクワクドキドキの連続だし、なんなら寝る時間も惜しむ事になる。

最近の世の中では色んな事が起こっていて、いやな出来事も多いように思う。そういう背景には信仰が足りてないのじゃないか?と思う。あれ?文字だけ見るとスゲー事書いてるような気がする…統〇教会の件とかがあるので

暗いニュースも多いし、SNSなども炎上するだの…まぁ色々と騒がしい世の中だが、神への信仰が足りないのでは?そんな事してる時間あるの?と思う。そう、ゲーマーを自称するからにはつまらない事に現を抜かすわけにはいかない。

強烈な難易度とサッパリ分からないストーリーという、突き放しスタイルながら
ブームを巻き起こした「ダークソウル」間違ってやられたときのデメリットも大きくウンザリする事も多いのになぜか楽しいという稀有な存在。「古き良き」を思い出させてくれる神ゲーだ!

いつ人生が終わるかがわからないからこそ、空いた時間は神々との対話に全振りするのが正解なんじゃないのか?と思う。ゲーマーにとってのゲームオーバーとは神々に触れられなくなることなんじゃないの?…と。自分の好きな作品の続編や、新しい神を体感できない辛さはちょっと想像したくないくらいに恐ろしい。

SNSで愚痴を書いたり、作品の批評を越えて作者の人格否定したり、政治的発言でイライラ募らせたり、他人や自分を傷つけたり、犯罪行為を起こして捕まる…そんな無駄な時間など我々ゲーマーには無いはずだ。

もしこれらをやっているのならすぐさま辞めて、八百万の神々に合いに行く事をおすすめする。これらの神のようなコンテンツは間違いなく我々に充実した人生をもたらしてくれるし、救いにも成り得る。

これこそが僕らの新しい宗教と信仰の在り方だと気付いた今日このごろ。

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