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見る力、言葉にする力、形にする力。-2

前回、生成AIとのやり取りで感じたことを書きましたが、その続編?です。
(続編的な意図や連続性は全くありません。)

生成AIにも様々な個性があるようなので、今回は、言葉からビジュアルを生成するのではなく、ビジュアルの解釈から新たなビジュアルを生成する感覚を試してみたくて、自分の写真をAIに放り込んで「ゴッホ風」になるようにお願いしてみました。その成果が上の絵です。
ゴッホの自画像は有名ですが、サンプルとして提示されていたものを選べば「ゴッホ風」の「タッチ」になると勝手に思い込んでいたら、「ゴッホ似」の私ができあがってきました。
顔の輪郭は、ほぼそのままですが、私はアゴヒゲを生やしてはいませんし、目も青くはありません。
サイトの機能を十分に理解しないままに作業を進めた私の一方的な落ち度ではあるのですが、こうしたサイトを利用する際に、ディテールを理解して進めるユーザーは少ない(?)はずなので、UIの不備というわけではありませんが、恐らく多発している現象なのだろうと思います。

マウスやタッチパネルがコミュニケーションの手法に大きな影響を与えたのと同じように、新しい技術は、使い手側にも新しいコミュニケーション・スキルを求めるということなのかもしれません。

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