9) オーストラリアのレイザーラモン家(25歳)
私は東京でのサラリーマン生活をやめた。
25歳の時だった。
自分なりに悩んだ末、私はオーストラリアのメルボルンという街に旅立った。
仕事で関わる海外支店の同僚があまりにのんびり暮らしている様子だったので、他国の生活や仕事の価値観を覗いてみたくなったからだった。
なぜオーストラリアかというと、
・英語圏だから
・たまたま何度か訪れたことがあり馴染みがある
・シドニーは行ったことがあるが、第2の都市メルボルンはない
・メルボルンってなんかおしゃれそう
以上である。基本的にあまり計画性はない。
何はともあれ大して考えもせず1年の語学留学である。
東京で外回りの営業ついでにこっそり留学センターに通い手配はすべて整え、最初の1ヶ月はホームステイすることになった。
滞在先はブラジル出身のレイザーラモンさん夫婦宅だ。
正式なスペルなど残っていないが、私が保存した彼らの写真には「レイザーラモン家」という名前で残っているのでたぶんそうなのだろう。
海外生活を立ち上げる第一歩としてホームステイは有効だと思う。
食事や洗濯物など身の回りのお世話をしてくれるので、メインの学業に支障なく生活をスタートすることができる。
オーストラリアに降り立ったのは6月。メルボルンの冬は予想以上に寒く、5度前後になることもしばしば。コートは必須だった。
レイザーラモン家は30代の若い夫婦だ。ブラジル出身だが(?)寒さにつよい。
なぜかというとレイザーラモン氏はいつもTシャツだし、レイザーラモン夫人が外干しした洗濯物はいつも乾ききっていない状態できれいに畳まれている。
私は与えられた部屋でいつも毛布にくるまっていたが、耐えきれずレイザーラモン氏に「部屋が寒いんですけど…」と伝えたことがある。
彼は「オーケー!暖房いれるね!」と笑顔で答えてくれた。
家にはセントラルヒーティング(家全体を温める暖房機)が備えられており、各部屋の壁や天井に通気口があって、そこから温かい空気を取り入れることができる。
レイザーラモン氏は毎晩20時に暖房をいれてくれるようになった。
でも20時から20時10分までだった。Tシャツの彼には暑かったのだろう。
天井の通気口から10分間だけやってくる暖かな空気を私は両手をあげて迎え入れた。
きっとこれから予想も出来ない人々の文化や価値観に出会えるに違いない。
体は冷え切っていたけれど、心はホットでエキサイティングなのだ。
※昔レイザーラモンという芸人がいました
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