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うろつきうつろう話

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垂れ流し
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#今私にできること

8)初めての就職先、女の営業とは (23歳)

はじめての就職先は、旅行代理店での法人企画営業だった。 自社の既存商品を売り込むというよりは各企業のニーズに合わせ付加価値を与えたうえでサービスを提案する、といった内容だ。 とはいっても提案する機会をまず与えてもらうことが難しく、日中のおもな業務はアポイントメントの獲得である。 新たな顧客となりうる根拠や可能性を無理矢理ひっぱり出したあと、ひたすら電話をかけるのだが、そのほとんどは代表電話で門前払いを受けることが多く、30件かけて1・2件アポが取れればよいほうだった。

7)東京は下着泥棒と満員電車(23歳)

苦しい就活を終え、私は東京の街におりたった。 山など見えない。マイルドヤンキーもいない。正真正銘の都会だ。 東京にいたときは9割がた仕事に費やしていたので仕事以外の思い出があまりない。 東京勤務を言い渡されのこのこ出てきたので、たいした志も無かったのだろう。 東京での初めての住まいは新宿からほど近い、比較的活気のある町に決めた。 「ひとクセあるゆるい街」という感じで、私にとっては住み良い街だった。 この街の思い出といえばまず下着ドロボウだ。 先にも述べたがプライベートが

6)パチンコと就活(22歳)

男性厳禁(だったはず)の家には結局4年近く住んだ。 今振り返っても実家を出てから最も長く住んだ物件となった。 田舎から出てきて5年(編入浪人したため)、私はどう間違えたのかとてもマイルドなヤンキーになりさがっていた。 私にとって見るもの触れるもの全てが新鮮だった大学生活。 しかしここは都会ではなく、大阪の片田舎だったのだ…。 卒業できる程度に授業には出たが、編入してからはほとんどの時間をバイト先のパチンコ屋で費やした。(時給が高いから) 本当にロクでもない。 何か目標